見出し画像

10万文字の小説を人生で初めて書いて、学んだこと

 人生ではじめて、10万文字の小説を書き上げた。

 企画を考え始めたのが今年の1月。企画案を作り始めたのが2月。執筆に入ったのが4月。トータルで考えると、半年かかったことになる。

 最初は、バツイチの50代男性と、30代半ばの独身女性がシェアハウスで暮らす……みたいな話を考えていた。けれども、どう考えても色々と物議を醸しそうだったので、辞めた。あれから色々と考案を重ねて、登場人物も増えてストーリーに奥行きができた気がする。

 道のりは長かった。5万文字かきおえた後で、「やっぱり、なんか違う」と思って1万9千文字まで消したこともあった。逆に、全部書き直したこともある。書いている最中は、さまざまな葛藤が脳裏をよぎる。本当にこの作品、書き終えられるのだろうか。今年は小説で、創作大賞に応募できるのだろうか、と。



 過去に書いた小説で、最も長かった作品は、昨年の創作大賞で中間選考を突破した『すべては、嘘からはじまった』だ。

今年、こちらの作品は創作大賞には応募しません。

 小説を書いた理由は、映像が夢に出てきたからだ。葬式でひさまずく男子と、彼の姿を見つめるおさげ姿の女子高生。何か意味があるのだろうか、と思った。

 それまでは、この物語を書く予定すらなかった。当たり前だ。だって、夢に出てきたことを、書いたのだから。私は、これも夢のお告げだと勝手に信じて、書きすすめることにした。

 プロットもキャラクター設定もほぼ作らず、行き当たりばったりで執筆を進めた。仕事しながら書いたので、1ヶ月半ほどかかった。我ながら、思う。よく、ここまで行き当たりばったりで、中間選考を通過したなぁ、と。

 運だけではないけど、運も良かったのかもしれない。物語がウケるかどうかは、時代性や流行もあると思うから。

 書き方は、書きながら「こうしたら面白くなるかな?」と手探りで進めるスタイルで進めた。逆に、あまり決め過ぎなかったことで、臨場感が出たのかもしれない。

 ただ、そのやり方で何より苦しんだのは、物語の途中で「あれ? この人の見た目や性格、最初はどう描写したっけ……」と思い悩むことだった。その話を人にすると「えっ?そんな方法で、あの小説を書けたんですか?」と、めちゃくちゃ驚かれる。

 私も、自分でよく書けたなぁと思っている。けど、あの時は何かにとりつかれていたような感覚があった。とにかく、何が何でも中間選考は突破したい。できなければ、その年で創作大賞は引退かな、とも考えていた。(※今は、そんなこと思っていない)

 その反省を活かし、今年はガッツリとキャラクターを創り込み、プロットも緻密に組み立てた。おかげで、執筆の途中で迷子になることはなくなった。

 10万文字をかいて、学んだことがある。それは、自分ではじめた物語を「終わらせる」ことで得られる達成感と、責任を持てること。

 長編だからこそ、随所に飽きさせない工夫を凝らし、読者を惹きつける「引き」を作る。けれど、長くなればなるほど、今度は自分の思想や視点だけで物語を強引に推し進めたくなってしまう自分があらわれ始める。自分で物語を動かそうとしてしまうのだ。

 独りよがりにならず、どれだけ「俯瞰の目」を持ち続けられるか。その戦いの連続だった。

 この視点を持てたのは、私自身がビジネス書『書く人生のはじめかた』を執筆した経験も大きい。


 ジャンルは違えど、一冊の本として「長くても読者が飽きない工夫」を意識して書ききった経験は、今回の小説を書く上でも大いに役に立った。そして何より、あのとき編集担当の岡本さんからいただいた数々のアドバイスが、時間を経ていま、小説を書く上でも活かされている気がする。

 本を出す、あるいは長い文章を書ききる。そのことで得られるのは、もしかしたら「人生が変わった!!」といった、大それたことではないのかもしれない。

 自分で物語をはじめて、終わらせる。書ききることで、自分の作品に責任が持てるようになる。それは確かな自信となり、いつしか自分の血肉となり、長編を書く上で役に立つ。

 そして、読者から感想をもらえた時、レビューをいただけた時。自分が放った言葉が誰かの心で育っていく喜びを知る。

 物語をはじめて、自分の手でしっかり完成させる。そのプロセスを踏むことで、書く人生に責任と自信を持てる気がした。ここで得た知見と学びは、必ず次の作品を描くための糧になる。私は、そう信じている。

「10万文字を完成させた私、めでたい。ウェーイ!」

 小説を書き慣れている人からすれば、10万文字なんて通過点に過ぎない、当たり前のことかもしれない。そんなことで浮かれている私は、おめでたい人間なのだろう。

でも、私にとっては、人生で初めての経験なのだ。やってみたからこそ、その難しさがわかる。たくさんの書籍を世に出してきた先人たちの凄さが身に染みて理解できた。

 その「初めての感動」を素直に噛み締められる自分を大事にしたい。この感覚は、経験が長くなるほど忘れがちになる。

 書き終えた瞬間の達成感は、確かに最高だった。だが、本当の勝負はここからだ。公開する瞬間は怖い。これまでジェンガのように、誰にも見せない部屋で慎重に、大切に積み上げてきたものを、明日から世の中に解放していく。ああ、ドキドキする。

 もうひとつ、高揚するのは……SNSで自分の作品を「書きました!」と伝える瞬間だ。読者の反応は、気にしないといいながらも、実は気になる。

「5回も書き直したって言って、これかよ……」
「話、いつ進むの?これ?」

 もし、そんな風に思われたらどうしよう。ドキドキ。けれど、この「生みの恐怖」を味わえることさえも、小説。そして自分自身と、本気で向き合った証拠ではないかと思う。

 そして、私が誰かの作品に感想を書くとき、狂気……いや。熱がこもってしまうのは、私自身が「書き続ける人間」だからだと、我ながら自負している。

 作品がどう受け止められるか、その反応は書く側が決めることができない。それが、書いて公開するという「覚悟」ではないだろうか。どんな評価も、すべてはこれからの作品作りの糧になっていく。私は心の底から、そう信じている。そして、そんなテーマも今回の小説では、少しだけ触れていく。

 明日から、小説を少しずつ公開する予定だ。

 作品の舞台は、私が日頃からお世話になっている世界。業界の方々や、表現者が今直面している可能性が高い「ちょっぴり厳しい、業界あるあるなお話」も、少しだけ織り込んだ。

 この業界にいると、みんな輝いて見えてしまう。もちろん、キラキラしたものが苦手な人もいるし、そういうものが好きな人だっている。けれども、キラキラしていると思っていたものが、蓋を開けたら実は「こんなに泥臭かったんだ」と思うことだってある。

 私自身はキラキラしていないと自負しているが、最近周りから「キラキラしている」と言われることが増えた。

 VERY妻に憧れているので、褒められたらなんでも嬉しい一方で、実際の作業自体はそうでもなかったりもする。地味な作業の方が遥かに多い。
人は、外から見たイメージで見ていくものだ。

 だから私は、プロフィール写真こそお金をかけたいと思ってしまう(まだ撮影していない)のかもしれない。

 それから、少しでも美しくありたいからと、命懸けで断食したり、


 エステにだって10万円課金してしまうのかもしれない。


 イメージは、見せ方次第でいくらでも作れてしまう。または誰かの思い込みで、あなたのイメージが成り立ってしまうこともある。

 そんな感じで「人から見たら宝石に見えても、実際は違うのかもしれない」みたいなニュアンスのことを色々と小説の中でずっと書いてみたかった。書けた、と思う。

 ただ、いろんな読者さんに受け入れてもらえるように、業界の方々以外の方にも楽しんでもらえるように。今回、色んな工夫を施した。(これについては、読んでみて「ミクさんは一体、どこを工夫したのだろう?」と考えてもらえたら嬉しいです)

 創作で商業となると「誰かのため」のものである必要がある。その部分は意識しつつも、私は今回「自分を救う」ために書いた。でもそれが、誰かを救うことにも繋がる気がしている。だから、書き終えた時点で「達成感」が半端ないのである。

 長い文章を読む大変さは、誰よりも知っている。

 だからこそ、どうか1話だけでも、読んでもらえたら嬉しい。そして、「第一章が長い」でもいいので、一言だけでも感想をもらえたら、めちゃくちゃ嬉しい。

何が言いたいかというと、一話だけ読んでもらって離脱でも構いません。SNSで一文だけでもコメント、感想を貰えたら、泣いて喜びますーーーー!!

 私の、はじめての10万文字。明日、いよいよ旅立ちます。

【完】


いいなと思ったら応援しよう!