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その首は、彼女にしか見えない|モロー「出現」



出現(ギュスターヴ・モロー)

プロローグ:物語の絵から、宙に浮かぶ首へ

みき:教授、前回は舟の上で死のうとする、シャロットの乙女でした。きれいなのに、どこか怖い絵。あの余韻がまだ残っています。

教授:ええ。物語をまるごと絵に閉じ込めた一枚でしたね。今日はその「物語の絵」を、もう一歩、夢の奥へ進めてみましょう。ギュスターヴ・モロー『出現』。一八七六年、フランスで描かれた絵です。予告したとおり、宝石のように細かく、そして、ずいぶん妖しい。

みき:わあ……。豪華な宮殿の中で、薄い衣をまとった女の人が立っています。片手を上げて、なにかを指さしている。その指の先に……えっ。首、ですか。人間の、生首が宙に浮いている。

教授:そう、生首です。しかも、ただ落ちているのではない。まわりに光の輪をまとって、血を滴らせながら、空中にぴたりと留まっている。この絵のいちばんの謎は、そこなのですよ。なぜ、首は宙に浮いているのか。そして、あの部屋にいる大勢の人のうち、この首はいったい誰に見えているのか。

みき:誰に見えている……。指さしている、あの女の人だけ、ということですか。

教授:その「まさか」を、今日はほどいていきましょう。舟の静けさから、宙に浮かぶ首へ。今日もずいぶんな振り幅です。

宙に浮かぶ、光る首

みき:まず、この女性から目が離せません。薄い布を重ねた、きらびやかな衣装。宝石で全身を飾っていて、踊りの途中みたいに片足を少し浮かせています。

教授:彼女は踊り子です。名をサロメといいます。いままさに舞を舞っていた、その手を止めて、宙の一点を指さし、見据えている。左手をまっすぐ上げて、浮かぶ首とにらみ合うような姿です。

みき:にらみ合う……。首のほうも、こちらを見返しているように見えます。目を開いて。

教授:ええ。切り落とされた首が、まぶたを開き、彼女をじっと見つめ返している。首のまわりには、金色の光輪。聖人を描くときの、あの後光です。血が幾すじも垂れて、下の床にまで届いている。踊りの華やかさと、この惨たらしさが、一枚の中で同居している。

みき:まわりの人たちは、どうしているんですか。

教授:それが不思議なところでしてね。奥には、玉座に腰かけた王がいる。かたわらに王妃。手前には、大きな剣を提げた処刑人が立っている。けれど、この人たちは誰も、宙の首に驚いていない。騒いでもいない。まるで、見えていないかのように。

みき:あっ。……もしかして、本当に見えていないんですか。この首は、サロメにだけ見えている。

教授:みきさん、それがこの絵の核心です。宙に浮かぶ光る首は、その場にある本物の首ではなく、サロメの目にだけ映った幻。幻視です。だからこそ、この絵は『出現』と名づけられている。ふつうの絵なら、切られた首はお盆に載せて運ばれてくる。モローはそれをやめて、まぼろしとして、彼女ひとりの前に浮かび上がらせた。ここに、この画家のいちばんの発明があります。

サロメとは、何者なのか

みき:そもそも、なぜ首を切ることになったんですか。踊り子と、生首。つながりが分かりません。

教授:もとになったのは、新約聖書の一場面です。舞台は古代、ヘロデ・アンティパスという領主の宮廷。この王が、兄弟の妻であったヘロディアを自分の妃に迎えた。その結婚を、洗礼者ヨハネという預言者が、正しくないと厳しく批判します。ヨハネは、後にイエスに洗礼をさずけたとされる、名高い人物です。

みき:批判された王とお妃は、面白くないですよね。

教授:ええ。とりわけ妃ヘロディアは、ヨハネを深く恨みました。そんなある日、宴の席で、ヘロディアの娘が見事な舞を披露する。喜んだ王は「褒美になんでも与えよう」と約束してしまう。娘は母に相談し、母はこう言わせるのです。「洗礼者ヨハネの首を、盆に載せて」と。王は困りますが、大勢の前でした約束は取り消せない。こうしてヨハネは牢の中で首を切られ、その首は盆に載せて娘のもとへ運ばれた。マタイとマルコの福音書に、そう記されています。

みき:その踊った娘が、サロメなんですね。

教授:ここが、私たちの旅らしいところなのですが、じつは福音書には、この娘の名前が出てこないのです。「ヘロディアの娘」とだけ書かれている。「サロメ」という名は、聖書ではなく、一世紀の歴史家ヨセフスが記した歴史書のほうに伝わっている名だとされます。聖書の物語と、歴史家の記録と。二つが後の世で結び合わされて、「踊るサロメ」という一人の女性像ができあがっていった。どこまでが聖書で、どこからが後付けか。その境目を見分けるのも、この旅の癖ですね。

みき:名前一つとっても、いろんな話が混ざってできているんですね。

教授:そうなのです。そして十九世紀の芸術家たちは、この名もはっきりしない娘に、とりわけ強く惹かれました。モローもその一人。彼は、母に命じられて仕方なく求めた気の毒な娘としてではなく、もっと謎めいた、こちらの心を見透かすような女性として、サロメを描いたのです。

宝石でできたような絵

みき:それにしても、この絵の細かさはどうでしょう。柱の模様、衣装の飾り、床のタイルまで、すみずみまで描き込まれています。

教授:モローという画家を語るとき、まず出てくるのがこの細密さです。彼の絵は、しばしば「宝石でできている」と言われます。絵の具を、まるで宝石を象嵌するように塗り重ねていく。この『出現』は油絵ではなく、水彩で描かれているのですが、水彩とは思えないほど濃密で、輝いて見える。

みき:水彩なんですか。もっと重たい油絵かと思いました。

教授:一八七六年のサロン、パリの大きな官設展覧会に、モローはこのサロメを二枚出しました。油彩で描いた《ヘロデ王の前で踊るサロメ》と、この水彩の『出現』。二枚そろって大きな評判をとり、彼の名を決定づけた。ちなみにこの水彩の『出現』は、いまはオルセー美術館のものとされていますが、紙に描かれた作品は光に弱いため、ふだんはルーヴル美術館の素描部門に大切に保管されています。いつでも展示室で会える、というわけにはいかない一枚なのです。

みき:宮殿の飾りも、なんだか一つの国のものには見えません。見たことのない模様がまざっています。

教授:鋭い。モローは、この宮殿を実在のどこかとしては描いていません。イスラムの装飾、ビザンチンの荘厳、古代エジプトやアジアの意匠、さまざまな文化のかけらを一つの画面に溶かし込んで、どこにもない幻の宮殿を組み立てた。時も場所も定かでない、夢の中の建物なのです。彼はこういう画家でした。目の前の景色を写すのではなく、頭の中に湧いた幻を、これでもかと細部まで築き上げていく。

みき:だから、夢の中みたいに見えるんですね。きれいなのに、どこか落ち着かない。

教授:その「きれいなのに落ち着かない」感じこそ、象徴主義と呼ばれる芸術の手ざわりです。目に見えるものそのものより、その奥にある目に見えない気配、不安や、官能や、死や、聖なるものを絵に呼び込もうとした人たち。モローは、その象徴主義を代表する画家の一人でした。少し前に見た、ルドンの『キュクロプス』。あの、闇からぬっと現れる一つ目の巨人を覚えていますか。あれも同じ象徴主義の仲間です。目に見えないものを、どうにか絵にしようとする点で、モローとルドンは深く通じ合っています。


まぼろしの女、その後

みき:この絵、当時の人たちはどう受け止めたんですか。こんなに強烈だと、驚いた人も多そうです。

教授:ええ。とくにこの絵に取り憑かれた一人の作家がいます。ジョリス=カルル・ユイスマンス。彼は一八八四年に『さかしま』という小説を書きました。世の中の平凡さに背を向け、屋敷にこもって、美しいものだけに囲まれて暮らす風変わりな貴族が主人公です。その男が、部屋にモローのサロメを飾り、うっとりと、そして長々と、この絵について語り続けるのです。

みき:小説の中で、絵の話をずっと。よほど好きだったんですね。

教授:好きというより、憑かれていた。彼はサロメを「ファム・ファタール」、男を破滅へ引きずり込む、宿命の女として読み解きました。美しさで人を惑わし、破滅させる女。この読み方は評判を呼び、以後、サロメといえば「魔性の女」というイメージが世紀末のヨーロッパに広まっていきます。

みき:でも、モロー自身も、そういうつもりで描いたんでしょうか。

教授:じつは、そこが面白いところでしてね。モロー本人は、サロメを単なる魔性の女に切り詰められることを、あまり喜ばなかったと伝わります。彼が生涯こだわったのは、「精神」と「物質」のせめぎ合いでした。肉体の欲や、この世の華やかさ。その向こうにある、目に見えない魂やたましいの世界。サロメは、その二つの世界のあいだに立つ存在として描かれた、そう考えていたようです。同じ一枚の絵でも、描いた人と、受け取った人とで、読みがすれ違う。名画には、よくあることです。

みき:作者の気持ちと、世の中に広まったイメージが、別々に育っていくんですね。

教授:そのとおり。そしてこの「宙に浮かぶ首」を見ていると、私はつい、遠く離れた自分の国のことも思い出すのです。日本には昔から、幽霊や物の怪を描く絵の流れがありました。この世のものではないものを、あえて絵に呼び出す。見えないはずのものを、見えるように描く。モローの幻視と、日本の幽霊画。もちろん、たがいに影響しあったという話ではありません。時代も場所もまるで違う。ただ、「目に見えぬものを描きたい」という同じ願いが、東と西で別々に絵になった。そう思うと、少し不思議な気持ちになります。

みき:国が違っても、人が見たいと願うものは、案外似ているのかもしれませんね。

教える画家、そして残された家

みき:モローって、こういう幻想的な絵ばかり、ひとりで描いていた人なんですか。なんだか、世間から離れて暮らしていそうです。

教授:静かな人ではありました。けれど、意外な一面もあるのですよ。晩年のモローは、パリの美術学校、エコール・デ・ボザールの教授になりました。一八九二年のことです。そして、この幻想の画家が、じつに良い先生だった。

みき:どんな先生だったんですか。

教授:自分の絵の描き方を、生徒に押しつけなかった。「君は君のやり方を見つけなさい」と、一人ひとりの個性を伸ばそうとした。だから彼の教室からは、モローとはまるで似ていない画家たちが、次々と巣立っていきます。若き日のマティス。マルケ。ルオー。マンギャン。のちに、燃えるような原色で世を驚かせる、フォーヴィスムと呼ばれる画家たちの多くが、この夢想家の先生のもとから出たのです。

みき:あの鮮やかな色の人たちが。幻想的なモローの教え子だったなんて、意外です。

教授:面白いでしょう。自分の幻を細密に築き上げた画家が、弟子には「自由になりなさい」と説いた。そしてモローは、亡くなるとき、もう一つ大きな贈り物を残します。パリにあった自分の住まい兼アトリエを、そっくり美術館にしてほしい、と遺したのです。壁を埋めた油彩から、無数の下絵まで。何千点もの作品が、彼の暮らした家にそのまま残された。いまもパリの一角にあるモロー美術館は、画家の頭の中をのぞきに行くような場所として、多くの人が訪ねています。

みき:絵だけじゃなくて、住んでいた家ごと遺したんですね。

教授:ええ。一枚の絵が美術館に「留まる」のではなく、暮らしそのものが丸ごと残されて、人が「流れて」訪ねてくる。私たちがこの旅で何度も出会ってきた、留まる絵と流れる絵。その、また少し違った形かもしれません。

自画像(ギュスターヴ・モロー)

止まった一瞬に、動いているもの

みき:教授。私、この絵を最初に見たとき、正直こわいだけでした。生首と、血と。でも、話を聞いたあとだと、違って見えます。

教授:ほう。どう違って見えますか。

みき:この絵、ぴたりと止まっていますよね。サロメの上げた手も、宙の首も、垂れかけた血も。次の瞬間には動きそうなのに、そのぎりぎり手前で凍りついている。……なんだか、彼女が「見てしまった」瞬間を、そのまま閉じ込めたみたいで。

教授:みきさん、今日いちばんの読みかもしれません。この絵が描いているのは、事件そのものではなく、彼女が幻を「見てしまった」その一瞬です。まわりの誰にも見えないものが、自分にだけ見えてしまう。それがどんなに華やかな宴の最中でも、その人はもう、ひとりです。踊りの真っ最中に、彼女はたった一人、死者と向き合っている。

みき:見えないものが見えてしまうって、こわいことでもあるんですね。楽しいばかりじゃなくて。

教授:ええ。そして、これは絵描きの仕事そのものでもあります。人には見えないものを見て、それを描かずにはいられない。モローが宙に浮かべた光る首は、彼自身が見てしまった幻の、いちばん濃い一滴なのかもしれません。止まって見えるこの一枚の奥で、彼女の中の何かが、そしておそらく、描いた画家の中の何かがいまも激しく動き続けている。

みき:静かに止まっているのに、いちばん動いている絵。前回の舟とは、また違う止まり方ですね。

教授:いい締めくくりです。宝石のように美しく、悪夢のように不穏。この矛盾を一枚に閉じ込められたことこそ、モローが世紀末の人々を虜にした理由なのでしょう。

みきのまとめ

今日学んだこと:

  • 『出現』はフランス象徴主義の画家ギュスターヴ・モローが1876年に描いた水彩画(106×72.2cm、オルセー美術館蔵・ルーヴル美術館の素描部門に保管)。同年のサロンに油彩の《ヘロデ王の前で踊るサロメ》とともに出品され、大評判をとった

  • 主題は新約聖書のサロメ。ヘロデ王の宴で舞い、母ヘロディアに命じられて洗礼者ヨハネの首を求めた娘の物語で、「サロメ」の名は聖書ではなく歴史家ヨセフスの記録に由来する

  • モローの発明は、切られた首を盆ではなく、光輪をまとった幻として宙に「出現」させたこと。あの生首は、その場のサロメにだけ見えている幻視である

  • モローは宝石のような細密描写と、諸文化を溶かし込んだ幻の宮殿で知られる象徴主義の代表画家。作家ユイスマンスは『さかしま』でサロメを「宿命の女」と読んだが、モロー自身は精神と物質のあいだの存在として描いた

  • 晩年は美術学校の教授として、マティスやルオーら後のフォーヴィスムの画家たちの個性を育てた。パリの自宅はいまもモロー美術館として残る

みき:こわいだけの絵だと思っていたのに、いちばん静かで、いちばん動いている絵でした。見えないものが見えてしまう一瞬を、こんなに美しく描けるんですね。

教授:美しさと、恐ろしさは、案外すぐ隣り合っている。その細い境目に立ちつづけたのが、モローという画家でした。

みき:次回は何を見ましょうか?

教授:夢の話を、もう一枚。しかし今度は、まるで手ざわりの違う夢を。アンリ・ルソー『夢』。日曜画家と笑われた男が、見たこともない密林と、そこに寝そべる裸婦を描いた、ふしぎな大作です。宝石の悪夢から、素朴な楽園へ。

みき:宮殿の幻から、緑の密林へ。今度も大きく景色が変わりますね。楽しみにしています。

教授:では、また次回。

参考にした資料・文献

Web資料


次回、vol.73 では、ルソー『夢』、日曜画家と笑われた男が描いた、密林と裸婦の素朴で不思議な楽園に迫ります。 この記事が面白かった方は、フォロー&スキで応援していただけると嬉しいです。

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