「キュクロプス」一つ目の巨人は、なにを見ているのか

プロローグ:まぶしい光のあとに、夢を見る
みき:教授……これは、ちょっと、どきっとします。先週まで、あんなにまぶしい港の光を見ていたのに。今日の絵は、なんだか、まどろみの中にいるみたい。むらさきや、くすんだ緑の靄のむこうから、大きな目が、ひとつだけ、こっちを見ています。
教授:そう、その「ひとつだけ」が、今日の主役です。これまで私たちは、目に映る世界の光を、ずっと追いかけてきました。波の白いしぶき、雪あかり、点描のきらめき。どれも、外の世界を、いかに見るかという話でしてな。
みき:はい。世界を、よく見る話でした。
教授:けれど今日は、その向きが逆になります。外の世界ではなく、心の中だけにすむもの。夢で見た、ありえない生きもの。それを描いた絵です。オディロン・ルドンの『キュクロプス』。たった一つの大きな目をもつ、巨人の絵なんです。
みき:キュクロプス。一つ目の巨人、ですね。なんだか、こわいような、でも……目が、すごくやさしい気もします。にらんでいるんじゃなくて、そっと、見ている。
教授:いい観察です。今日は、その「やさしい一つ目」が、いったい何を見ているのか。そして、目という器官そのものを、画家がなぜここまで大きく描いたのか。光の世界から、夢の世界へ。第三部の、最後の一枚をめくってみましょう。
オディロン・ルドン ── 夢を描いた人
みき:ルドンは、どんな画家だったんですか。
教授:オディロン・ルドン。一八四〇年、フランス南西部のボルドーに生まれました。ぶどう畑を持つ家の生まれでしてな。ワインで知られる、あのボルドーです。ただ、彼の子ども時代は、あまり幸せなものではなかったと伝わります。生まれてまもなく、家族の畑のある田舎へあずけられ、ひとり、もの思いにふける少年として育ちました。
みき:ひとりで、空想する子。
教授:ええ。その空想ぐせが、のちの絵の、いちばんの根っこになります。やがて絵を志した彼に、大きな影響をあたえた人が二人いました。ひとりは、植物学者のアルマン・クラヴォー。
みき:画家じゃなくて、植物学者。
教授:そう。クラヴォーは、顕微鏡をのぞいて、生きものと無生物のさかいめにいるような、ごく小さな命を研究していました。ルドンは彼のそばで、肉眼では見えない、ふしぎな微生物の世界を知るんです。目に見えないところに、こんな奇妙な生きものがひしめいている。この驚きが、彼の描く、植物とも動物ともつかない奇怪な生きものたちの、ひとつの種になりました。
みき:見えない世界に、命がいる。それを、絵にしたんですね。
教授:もうひとりは、銅版画家のロドルフ・ブレスダン。細密で幻想的な版画を彫る、孤高の人でした。ルドンは彼から、白と黒だけで、夢のような世界を立ちあげる技を学びます。そしてルドン自身、長いあいだ、色を使いませんでした。木炭の素描と、石版画。黒の濃淡だけで描く、その一群の作品を、彼は「ノワール」── フランス語で「黒」と呼んだんです。

黒の時代から、色彩へ
みき:黒だけ。今日の絵は、こんなに色とりどりなのに。
教授:そこが、ルドンという人の、いちばん面白いところでしてな。彼の画家人生は、大きく二つに分かれます。前半は、ひたすら黒でした。一つ目の生きもの、笑う蜘蛛、宙にうかぶ気球のような目玉。どれも、暗い闇のなかから、ぬっと立ちあらわれる。世のなかが彼の名を知ったのも、この黒の版画によってでした。
みき:こわい絵で、有名になった。
教授:ええ。しかも彼は、ずいぶん遅咲きの人でしてな。世に認められたのは、四十歳を過ぎてからでした。それまでは、ほとんど無名のまま、ひとり黙々と、闇の生きものを描き続けていたんです。
みき:四十歳を過ぎて、やっと。……これまで何人も出てきましたね。生きているうちは、なかなか認められなかった画家。
教授:そうですな。ルドンも、その縦糸につらなる一人です。ところが、五十歳に近づくころ、彼の絵が、がらりと変わります。あの黒を、ふいに手ばなすんです。かわりにあらわれたのが、パステルや油彩の、目のさめるような色彩でした。花、神話のひとこま、聖なる光。まるで、別の人が描いたように、画面が明るくなる。
みき:どうして、そんなに変わったんですか。
教授:はっきりした理由は、本人も多くを語っていません。ただ、一八八九年に次男のアリが生まれたことが、ひとつの転機だったと言われます。それまで、幼くして子を亡くす悲しみも経験していた彼にとって、無事に育つわが子の存在は、心の闇に、光をさし入れるものだったのかもしれません。むやみに結びつけることはできませんが、黒から色へという変化と、彼の人生の歩みは、どこかで重なっているようにも見えます。
みき:闇のなかにいた人が、だんだん、光のほうへ歩いていった。
教授:そして今日の『キュクロプス』は、その後半の、いちばん晩い時期に描かれた一枚です。一九一四年ごろ、ルドンが七十歳を過ぎてからの作とされています。黒の時代に何度も描いた一つ目の生きものを、最晩年、こんどはやわらかな色彩でつつみなおした。黒と色、彼の二つの人生が、この小さな絵のなかで、ひとつに溶けあっているんです。

一つ目の巨人は、なぜ隠れているのか
みき:それで、この巨人は、何を見ているんですか。下のほうに、誰か、横たわっているみたいですけど。
教授:よく気づきました。画面の右下、花の咲く丘の斜面に、裸の女性が眠っています。からだの線が、草や花にとけこんで、うっかりすると見落としてしまうほど、しずかに横たわっている。
みき:あっ、ほんとうだ。眠っている。じゃあ、巨人は、その人を見おろしているんですね。
教授:そうです。これは、ギリシャ神話のひとこまでしてな。この一つ目の巨人の名は、ポリュフェモス。そして眠っているのは、海の精ガラテア。ポリュフェモスは、この美しいガラテアに、恋い焦がれていました。けれど、ガラテアの心は、別の若者のものだったんです。
みき:報われない恋。
教授:ええ。神話のもとの話では、このポリュフェモスは、たいへん荒々しい怪物です。恋がたきの若者を、大きな岩で押しつぶしてしまうほどの。けれど、ルドンが描いたポリュフェモスを、ごらんなさい。
みき:……ぜんぜん、こわくない。むしろ、おどおどして見えます。
教授:その通り。ルドンの巨人は、岩山のかげに、なかば身を隠しています。まるで、眠る彼女にじかに近づく勇気がなくて、遠くからそっと見つめることしかできない、内気な大男のように。荒ぶる怪物ではなく、片思いに胸を痛める、不器用な心の持ち主として描かれているんです。
みき:こわい巨人じゃなくて、はずかしがりの巨人。だから、目が、あんなにやさしいんだ。
教授:神話を、そのまま絵にするのではなく、そこにルドン自身の心を重ねている。これが、象徴主義という絵の、ひとつの行き方でしてな。目に見える出来事の奥に、見えない感情や、心の世界をしのばせる。怪物の絵のはずなのに、見ているうちに、なんだか切なくなってくる。それは、この巨人が、私たち自身の、報われない思いを、こっそり代わりに引き受けてくれているからかもしれません。
目という、もうひとりの主役
みき:それにしても、この目。大きすぎませんか。顔の半分くらい、目です。
教授:そこが、この絵の核心です。ルドンにとって、目は、ただの体の一部ではありませんでした。彼の絵には、生涯をつうじて、目が、何度も、何度も出てきます。気球のように空にうかぶ目。花のように咲く目。闇からこちらをのぞく、たった一つの目。
みき:目だけが、ひとりで生きているみたい。
教授:いい言いかたです。ルドンにとって目は、たましいの宿る場所であり、目に見えない内なる世界への、入り口でもありました。だからこの絵の一つ目も、ただ巨人の顔についている器官、というより、画面ぜんたいを静かに支配する、もうひとりの主役なんです。
みき:見られているのは、眠っているガラテアのほうなのに、私たちのほうも、なんだか、この目に見られている気がします。
教授:その感覚こそ、ルドンが狙ったものでしてな。見る絵であると同時に、見られる絵。私たちは、この一つ目を眺めながら、いつのまにか、自分の心の奥をのぞきこまれているような、ふしぎな心地になる。これまで私たちは「世界をどう見るか」を追ってきましたが、ルドンはそれを裏返して「見るとは何か」「心の目に映るものは何か」を、一枚の絵に問わせたんです。
みき:光を描く絵から、まなざしそのものを描く絵へ。
東の妖怪と、西の一つ目
みき:教授。一つ目の生きものって、考えてみると、ちょっとふしぎですよね。どうして人は、目をひとつだけにした、こわいものを思いつくんでしょう。
教授:これが、なかなか味わい深い問いでしてな。一つ目の異形は、じつは西洋だけのものではありません。私たちの国の、昔ばなしや妖怪にも、ちゃんといるんです。
みき:あっ、一つ目小僧。
教授:そう。ぺろりと舌を出した、一つ目の小僧。江戸のころには、こうした化けものの話が、たいそう流行りました。夜、人が集まって、こわい話を百ぶん語ると、ほんものの化けものが出る ── そんな「百物語」という遊びまであったほどです。そして、私の先祖の北斎もまた、この百物語を題に、お岩さんやろくろ首といった、お化けの版画を遺しています。
みき:北斎も、妖怪を描いていたんですね。波や富士山だけじゃなくて。
教授:ええ。光あふれる世界を描いた同じ手で、闇からにじむ異形も描いた。これは、ルドンが黒と色の両方を生きたことと、どこか響きあう気もします。もちろん、ルドンが日本の妖怪を知っていたとか、北斎の影響を受けたとか、そういう話ではありません。海をへだてた東と西で、まったく別々に、人の想像力が、よく似た一つ目の異形を生み出していた ── ただ、その符合が、私には面白く思えるんです。
みき:こわいものを思いえがく心は、国がちがっても、似ているのかもしれませんね。
教授:そうですな。人は、暗がりや、心の奥のわからなさを、かたちにしようとするとき、しばしば「ふつうとは違う目」を持つものを思いつく。一つ多い目、一つ足りない目。見ることへの、畏れや不思議が、そういう異形を生むのでしょう。ルドンの巨人も、北斎の妖怪も、その同じ泉から、すくいあげられた水なのかもしれません。

この絵は、どこにあるのか
みき:この『キュクロプス』、本物はどこで見られるんですか。
教授:オランダです。アムステルダムから少し離れた、深い森のなかに、クレラー=ミュラー美術館という美術館がありましてな。ヘレーネ・クレラー=ミュラーという女性が集めた、すぐれた絵が収められています。ゴッホの作品を、世界でも指折りに数多く持っていることで知られる館です。その一室に、この小さな一つ目の巨人が、いるんです。
みき:小さな、というと。
教授:ええ。意外に思われるかもしれませんが、この絵は、たて六十五センチほど、よこ五十センチほどの、こぢんまりとした絵です。厚紙に油彩で描かれ、それを板で裏うちしてある。神話の巨人を描いていながら、絵そのものは、両手でかかえられるくらいの大きさなんですな。
みき:あんなに大きな巨人なのに、絵は小さい。なんだか、その落差も、夢みたいです。
教授:いい感じかたです。私たちは、アルチンボルドの、野菜や果物でできた皇帝の顔から始めました。ハルスの微笑む騎士、シャルダンの赤エイ、スーラとシニャックの点描。そして最後に、ルドンの夢。
みき:ふしぎな顔から始まって、夢で終わった。
教授:そう。「目に見えるものを、どう描くか」をめぐる旅でした。アルチンボルドは寄せ集めの遊びで、ハルスは一瞬の笑みで、シャルダンは何でもない一匹の魚で、点描派は光の粒で、それぞれに「見ること」を描いてきた。その最後に、ルドンが、見ることそのものを、心の奥へひっくり返してみせた。外の光から、内の夢へ。
みき:見える世界をめぐって、最後に、心の中にたどりついた。きれいな終わり方ですね。
みきのまとめ
今日学んだこと:
『キュクロプス』は、フランスの画家オディロン・ルドン(1840-1916)が1914年ごろ、70歳を過ぎてから描いた油彩画。厚紙に描き板で裏打ちしたもので、大きさは65.8×52.7cmと小ぶり。オランダのクレラー=ミュラー美術館(オッテルロー)が所蔵する
主題はギリシャ神話。一つ目の巨人ポリュフェモスが、眠る海の精ガラテアに恋い焦がれる場面。もとの神話では荒々しい怪物だが、ルドンは岩陰に身を隠す、内気で報われない大男として描いた
ルドンはボルドーの生まれ。植物学者クラヴォーから顕微鏡で見る微生物の世界を、銅版画家ブレスダンから幻想的な版画を学び、長く木炭・石版画による「黒(ノワール)」の幻想を描いた
世に認められたのは40歳を過ぎてから。50歳ごろを境に、黒を手ばなして色彩(パステル・油彩)へ大きく画風を変えた。本作は、その後半の最晩年に、黒の時代の一つ目を色彩でつつみなおした一枚
ルドンにとって「目」は、たましいの宿る場所、見えない内なる世界への入り口だった。光を描く絵ではなく、まなざしそのものを描く ── これが象徴主義の一つの行き方
一つ目の異形は東西に共通する。日本の一つ目小僧や、北斎が百物語に描いた妖怪と、ルドンの巨人は無関係だが、人の想像力が似た異形を生んだ符合は興味深い
みき:教授、今日いちばん心に残ったのは、こわいはずの一つ目の巨人が、いちばんさみしくて、いちばんやさしく見えた、ということでした。見た目のこわさの奥に、報われない心が隠れていた。
教授:その通りです。ルドンは、怪物を借りて、人の心のいちばん弱いところを描きました。見るという行いには、いつも、見られたいという願いと、見られたくないという恥じらいが、裏あわせに潜んでいる。この巨人は、岩陰からそっとのぞくことしかできない、私たちの内気さそのものなのかもしれません。
みき:見かけの奥をのぞいたら、一つ目の巨人の、ちいさな片思いがありました。
教授:ええ。アルチンボルドの遊びから、ルドンの夢まで。「見ること」をめぐる旅は、ここで一区切りです。
みき:次回は何を見ましょうか?
教授:夢の話のあとは、目をそむけたくなるほどの、現実をごらんいただきます。フランシスコ・デ・ゴヤ『一八〇八年五月三日』。銃をかまえる兵士たちと、両手をあげて撃たれようとする、名もなき人々。戦争の、いつわりのない姿を、まっこうから描いた絵です。夢から覚めて、いちばん見たくない現実へ。心して、まいりましょう。
みき:夢の一つ目のあとに、戦争の夜。光と影の、いちばん深いところへ入っていくんですね。見とどけます。
教授:では、また次回。
次回、vol.37 では、フランシスコ・デ・ゴヤ『1808年5月3日』── 夢から一転、戦争の偽りない姿。 この記事が面白かった方は、フォロー&スキで応援していただけると嬉しいです。
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