ただいまとおかえりのあいだ
「いってきます」と手を振り、
「いってらっしゃい」と送り出したのは、
いつが最後だっただろう。
今の家には、Yotaが幼稚園の年少の時に引っ越してきた。
ご近所には、同級生の女の子が2人、学年が1つ下の男の子が1人いる。
小学生になったら、色とりどりのランドセルを背負いながら、
みんなで仲良く登校するんだろうな。
そんな姿を思い浮かべては幸せな気持ちになっていた。
「ただいまー!」
ランドセルを玄関に放り投げ、学校であった出来事を私に聞かせてくれる。
そんな未来。
──だけど、
私が思い描いていた毎日は、訪れなかった。
待っていたのは、
Yotaと私、2人だけの世界。
Yotaは入学してすぐに学校に行かなくなり、
私から離れられなくなった。
姿が見えなくなると、「お母さん、お母さん」と呼ぶ声が聞こえる。
外出しようとすると、「行かないで」と泣いてしがみつく。
どこにも行けない。
何もできない。
息が、できない。
気が狂いそうになった。
ひとりになりたくて、
私を呼ぶ声が聞こえないようにイヤホンをつけ、
音楽を聴きながら寝室に籠った。
窓から見える真っ青な空。
苦しい。
家から出たい。
涙が頬をつたう。
それでも、現実は変わらなくて。
家にいることで安心を手に入れたYotaはどんどん元気になり、
私は、どんどん疲弊していく。
気がつくと、ランドセルに埃がかぶっていた。
埃を拭き取っていると、
涙が溢れた。
──こんなはずじゃなかったのにな。
綺麗になったランドセルは、
傷ひとつつけられないまま、
あの頃の未来と一緒にクローゼットの中へしまった。
***
Yotaは今年の春、4年生になった。
「いってらっしゃい!」
私の声に、車の窓が開く。
照れくさそうに、少し緊張した顔で、
Yotaが小さな声で言う。
「いってきます」
私は、車が見えなくなるまで手を振った。
家に戻り、ひとり、コーヒーを飲む。
──静かだな。
愛犬ツキちゃんがスヤスヤ寝ている。
春休み中にできた唇のヘルペスが痛い。
コーヒーを啜る。
──コーヒー、美味しいな。
Yotaが、「いってきます」って、私に言った。
私から離れて、今、初めて友だち親子と出かけている。
私の付き添いなしで。
自分のリュックを持って、ひとりで。
気がつくと、泣いていた。
ぷつっと何かが切れたみたいに、思いっきり泣いた。
Yotaは、学校には行かずに、“居場所”に通っている。
そこで、信頼できる大人たちや、刺激し合える仲間と出会い、
思いっきり笑って、
「僕は、僕だ」と全力で表現している。
それを受け止めるのは、簡単なことではなかった。
ゆっくりとこの家で、Yotaと過ごしてきた時間が、
私をそこに連れていってくれた。
この家で、2人で過ごしたあの日々が、
Yotaの背中をそっと押しているのなら嬉しい。
今、
彼は私の手を離し、
少しずつ、外へ踏み出そうとしている。
あんなに窮屈だったこの家で、
いつの間にか、また息ができるようになった。
あんなに居たくないと思っていたのに、
今は、家族の帰りを待っていたい。
***
そろそろ、Yotaが帰ってくる。
どんな話を聞かせてくれるだろう。
何を見て、
何を感じたのだろう。
「ただいま!」
お母さん、あのね、僕、初めてひとりで買い物したよ。
めちゃくちゃ緊張した。
それでね、レジに行ったらね、......
Yotaの話が、止まらない。
私は、うんうんと頷きながら聞いた。
「おかえり」
──こんな日が、ちゃんときたよ。
私は、そっとあの頃の自分に報告した。
『なんのはなしですか家』に参加します♪
お納めください。
(〆切30日なんとか間に合った〜)
