見出し画像

「会いたいけど、もう会えないあの人」

かぜの帽子さん。
お題をありがとうございます^ ^

私にとって、
「会いたいけどもう会えないあの人」は
昨年亡くなった祖母と
その夫の祖父です。

「会いたいけどもう会えないかもしれないあの人」もいます。

母と離婚した父親です。

祖母のことは以前エッセイとして書かせていただきました^ ^

祖母は42歳のときに私が生まれました。
とっても若いおばあちゃんで、
私たち妹弟は、祖母にとってもお世話になりました。

母が離婚して実家へ戻ったときから、美容師をしながらご飯の世話をしてくれました。

働き者の祖母は、自宅で美容院を営みながら、内職でお裁縫をし、畑仕事をしていました。
そしてご飯を世話してくれて。
母の仕事の帰りが遅かったから、孫の世話を一手に引き受けていました。

体力があって運動神経が良くて、動物が好きな祖母は、昨年の秋のお彼岸に天国へ行きました。

今年、新盆なので、来週には実家へ向かいます。

「まだばあちゃんがいるみたいだ」

と、ずっと祖母の介護をしてきた母は話してくれます。

そんな祖母の夫である祖父はだいぶ前に他界しました。

話が上手くて歌も上手で、器用な祖父。

当時どうやって手に入れたのか分からないけれど、気づいたら家にエレクトーンがありました。
そのエレクトーンを、耳コピで足も使って両手で伴奏していました^ ^
古賀政男の曲だったのを覚えています。
それを私も真似して弾いていました^ ^
小学生の時でした。

仕事をせずに好きな趣味にバンバンお金を使う人でしたが、祖父を訪ねていつもお客様がくる我が家でした。
お友達がたくさんいたのです。

そんな2人に、会いたいな。
話したいこと、たくさんある。

じいちゃんとばあちゃん、もうすぐお盆だから。
今年は2人一緒に戻ってくるんだね。
ちゃんと迎えるからね!

「会いたいけどもう会えないかもしれないあの人」は父親です。

父と母が離婚したのは私が小6のとき。
当時千葉の団地に住んでいて
父だけを残し、
母の実家へ引っ越しました。
母と3人の子供で。
私は小2でした。

おぼろげな記憶ですが、最後に父に会ったのは小4のとき。
なんとなく、父と母は別れるかもなぁと小学生の頃の私は思っていました。 
いわゆる別居状態が続いていました。

離婚を知らされたのは小6のとき。
母に泣いて謝られました。

それ以来いっさい父親からは連絡はないし会ってもいません。
こういうのって、生き別れっていうんですかね。
さよならも言ってない。
またねとも言ってない。
たしか、
「今度いつ帰ってくるの?」
と言ったきり。

もし父が生きていたら、80歳かな。

3人も子供がいるんだから、
私たちのこと、忘れてはいないだろうけど。
きっといろんな事情があって、こうなっているんだろうな。
人に対して深入りしないようになったのは、こんな経験から得たものなのかも。

母に遠慮して、お父さんに会いたいなんて、
妹弟の誰1人とも口にしたことはないけれど、

本当は、会いたいよ。

私たちと別れてから、どうか幸せな暮らしをしていてほしいと、何度も想像しました。

母の苦労はさんざんみてきたけれど、父の苦労は見ていないから。

たしかに父の遺伝子が受け継がれていることを、感じています。
母にはない、深い思考は、きっと父親譲りなんだろうな。

私が生きている間になしとげたいことのひとつに、

父の生まれ故郷を訪ねる

ことがあります。

できれば妹弟3人で。

いつだったかに戸籍謄本を弟がコピーしてとってあります。

それをもとに、訪ねたい。

父の生まれ故郷で、自分たちのルーツを感じたい。

3人とも、元気でやってるよって、
父に伝えたい。

お父さんとそっくりな弟だから、
現地に行ったら
お父さんのこと知ってる人に声かけられるかな。

怖いけど会ってみたい。
生きて元気でいるなら。





#言葉の庭

いいなと思ったら応援しよう!

みいけねえこ|日常の心の観察者|小さな成長を一緒に喜ぶ人 最後までお読みいただきありがとうございます。この記事でなにか感じていただけたなら嬉しいです。いただいたチップは今後の創作活動に使わせていただき、今後の学びに活用させていただきます。そして皆様に何かしら還元できたら嬉しく思います。