寂しいという感情
皆、「寂しい」と感じることはどれくらいの頻度なのだろう?
私は理由なくずっと寂しかった。常に、ではなかったが時折どうしようもなく寂しさがやって来てその重力に敵わず深く深く海底へ潜っていく感覚だった。
「寂しさがやって来る」といったが本当は寂しさは心にひつこく住みついているのかもしれない。
ずっとそこにいて、たまにすごく大声を出して存在を強調して来るという、感覚がしっくり来る。
こんな時、たとえば寂しさを紛らわそうと人と会って話したり好きな歌を歌って気分を換えることは可能だ。
しかし、心の奥ではこの「寂しさ」の声を聴かないように他の音でごまかしただけなので、またこの寂しさは声をあげて来る。
いつか自分が自分のこの寂しさと向き合うまで、ずっと。
どうしても拭えない虚無感や、根底にこびりついたような寂しい感情は
自分の内側と向き合うことでしか変えていけない
外側に何かを求めて、解決したくなる時こそ
実は自分の中の問題であって
他人を交えて解決しようと何を変えようと、どこまでいっても根本的な解決が見えない。それは、問題の原因と解決策のベクトルを外や他人ではなく自分へ向けてみることからしか、本当の解決は始まらないということである。
他人は離れることができても、自分からだけは一生離れることができない。
自分の問題を放棄したまま他のことに取り組んでも、先でその問題と向き合わざるを得ない事は必ず起こって来る。
いつ向き合うか?の違いだけだ。
感情や感覚は賢いため、自分が今どんな体感なのか?どういった感覚の時間が長いのか?は、今の自分の状態を表現してくれている。
全ての問題解決は、まずは自分の硬くなった体と心をほぐしていくことから始めるのが最善だと思える。それは、遠くへ求める何かより、自分が自分に満たされることからしか自発的なしあわせは始まらない・感じられないからだ。
🔽満たされなかった、過去と変化過程の実話
今では冒頭で記したように、虚無感や寂しさを感じる時間が随分と減った。たまに顔を覗かせてはまだ存在しているみたいだが、その感情を少し離れた視点から扱えるようになって来ている。
否定するわけでもなく、『そうだったんだな』と自分がこれまで無視して来てしまった自分の感情を眺めているみたいな感覚だ。
飲まれるのではなく、隣にいるがその感情そのものに「君とはもう混ざらない」と決めて、染まらないがやっつけもしない。そういうことをひたすら続けていく。
この「寂しさ」があることで自分の不自然に気づくことができた、「寂しさ」が自分に向かって「気付いて」といっている間はまだ完全には消え切らないのだろう。
これは「放置をする」とはまた違う。これまでは嫌だと見て見ぬふりをして、(向き合わなくて済むように)他の音で紛らわせて来た。
これからはその感情を“しっかりと見てあげる”のだ。この時間を作って自分『自身』を見つめてやるというのが、自分を受け入れることなんだと思う。
こうして自分への信頼は蓄積されていくのだ。
『自信』とは自分への信頼、そして『自身』で在ることで自然と築き上げられていくものだと思う
『自身』がなくなるから『自信』もなくなるのだ
🔽“本来の自分”に気付き体と心を根本から改善する手入れとは…
今の現状から、自分を変えていこうとする時
体と心は両輪で変わっていくことが自然であることを忘れずに何をするべきなのか?自分へ問うことはとても大切だと思う。
自分の手で自分の体を主体的に扱えるようになると、心と向き合うことも自分でできるようになっていく。
具体的にどうすればいいのかは、体が『本来の自然体』になっていくごとに自分で分かるようになって来た。
体と心は一緒に変わっていくことを体現すると
いろんなものが“シンプルな構造だったんだな”と分かり、本当は自分に必要でなかった多くのものを手放せるようになった。
不健康の大体は『足りないのではなく、持ち過ぎている』ことがおおいのだ。
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