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あなたの人生は、いつか大切な人の希望となる⑤母の試練

麻由美と美咲の親子の物語
前回のお話しはこちら
あなたの人生は、いつか大切な人の希望となる④一緒に乗り越えていく|ミカモ(Mica Moriya


麻由美には、美咲と別れて生活することになった日のことが、昨日のことのように鮮明に脳裏に浮かぶ。

もしも、こうして美咲が自分の足で新しい道を歩み出す未来が来ると分かっていたら、あんなに心をすり減らすこともなく、落ち着いて過ごすことができたに違いない。
今の麻由美には、そんな過去の自分を愛おしいとさえ思えるのだった。

母親も、伯母も、自分勝手な事をしたのではなくて、麻由美と美咲にとって何が最適な選択なのか、それを最優先に動いてくれていたのだと、あの時は考える心のゆとりさえなかった――。


あの日、突然の伯母の訪問は、麻由美を励ますことが目的ではなかった。
バッグからパンフレットを取り出すと、自分の立ちあげた施設の目的や、提供している支援について話しはじめた。
まるで美咲が、これから世話になることが前提のような話しぶりだ。

手際よくめくられていくページを見ながら、こんなに手厚く行政や支援団体からのサポートがあれば、孤独な育児で思い悩む母親は救われるだろうなと、麻由美はなかばうらやましい思いで聞いていた。

「だから…。美咲ちゃん、しばらくここで過ごしたらどうかしら」
唐突に伯母が話を振ってきた。

「美咲が……ここに?」

「少し、距離を置くのもいいと思ってね。そういう利用の仕方もあるのよ」

「私が、ちゃんと母親をやれていないって言う事ですか?」
伯母が返事をためらっていると二人の背中から声がした。

「私、行く」
いつの間に、帰宅していたのか
美咲が居間の入口に立っていた。
何処から話を聞いていたのか、戸惑う麻由美をよそに、自分から部屋に入ってくるなり伯母の隣に座ると、美咲はパンフレットに目を落とす。

「お母さん、この話、知ってたの?」
麻由美が母親の方を向くと
「もう抱えきれないじゃない。このままで、どうするっていうの…」
それ以上話したくないとでも言うように、お茶を入れ替えに席を立った。

日頃、麻由美とは目を合わせようともしない美咲が、微笑みこそ見せないものの伯母の隣でおとなしく説明を受け、時折うなずいている。

ずっと頑張って来たというのに、私ではダメということ…?

一段落したところで、伯母が麻由美の方に向き直った。
「麻由美さん、子育てはね、上手くいった、いかなかったとか、関係性がこじれたから、自分はダメなんだ。というものじゃないのよ」
麻由美は何を言われているのか分からず、ぼんやりと聞いた。

「子どもの心にも、ちゃんと思いを寄せなくちゃ。でもね、それが苦手なお母さんもいるの」

伯母は、美咲の方を向いて目を合わせると、めくり上げていた美咲のブラウスの袖を直した。
その仕草は、医療従事者としての冷静さと丁寧さを兼ね備えたものだった。

けれどもその瞬間、麻由美は見逃さなかった。
美咲の手首に、無数の傷跡が見えた。

麻由美は、硬直して声も出ない。
いつ? 何でそんなことを?
伯母がいなければ、声を荒げて問いただしていたに違いない。

麻由美の心の声を聴いているかのように、伯母はかすかにうなずくだけだった。

なぜ気づけなかったのだろう。
今まで、美咲のどこを見ていたの。
麻由美の心にキリキリと痛みが走った。


その後、医師の問診を受け、施設の下見、必要な書類作成をしたり、慌ただしく時間が過ぎていった。

美咲は誰に言われるまでもなく荷造りを始めていた。
いつもなら、学校から帰ると部屋にこもったきりで物音一つ聞こえない美咲の部屋からクローゼットをせわしなく開け閉めする音が聞こえてくる。
洗面所に行ってタオルを取り出したり、洗面道具を持ち出したりと、久しぶりに身軽に動く美咲の姿を目にして、麻由美は嬉しさと、寂しさで混乱していた。

ただ、美咲は母親といることを拒んだ。
この事実に、麻由美の全身の力が抜けていくようだった。
これまで過ごしてきた時間は、いったい誰のためだったのだろうか。
麻由美の頭の中に、母親失格という言葉が浮かんだ。


美咲が家を出発する日。
早朝、伯母が車で迎えに来てくれた。
美咲は玄関で靴を履くと、いつものように麻由美とは目を合わせようともせず、大きく膨らんだボストンバッグを一つだけ持つと家を出て行った。


麻由美の母親は、「美咲ちゃんが可愛そうで見ていられない」と言って、家から出て来ようとしなかった。
可哀そうなのは、私の方…。麻由美は言い返したかった。

麻由美は、返事は返ってこないと分かっていても手を振った。
そんな麻由美を無視するかのように、車は静かに走り去る。

玄関先にひとり取り残された麻由美は静寂に包まれた。
唐突に訪れた、別々の空間での生活が、麻由美と美咲を結ぶこじれた糸を解きほぐすために必要な「時間」だったと分かるのは、だいぶ先になってからだった。


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