さみしい時、人はなぜ“やりすぎて”しまうのか
秋も深まるこの季節。
なんとなく、ひとりの時間が
心寂しく感じること、ありませんか?
夫とすれ違い生活が当たり前な我が家。
夫は仕事、私は子育てを一手に引き受け、
それぞれに全力を尽くす日々。
「私は私で楽しめばいいや」
そんな気持ちで、乗り切ってきました。
それでも、やっぱりさみしい時期が、
年に一度やってきます。
さみしいときの「無自覚なやりすぎ」
その期間は、不必要に人と関わろうとしてしまう。
・子どもを喜ばせようと予定を詰める
・気乗りしない誘いを断れない
・キャパ以上の仕事を引き受けてしまう
この時、「さみしいから」とは気づいてない。
後から振り返ると、明らかにやりすぎて疲れてる。
「さみしさ」を、別のことで埋めようとしていた
ことに気づくんですよね。
中庸の視点をあててみると
わたしは今、「中庸」という知恵を
暮らしに取り入れています。
中庸とは、
極端に偏らず、揺れながらも
“自分と人とのあいだ”を選び取る生き方。
普段はちょうどいい距離感を
意識してるつもりでも、
さみしいときはガードが緩み、
「自分の価値観に引き込みたい人」に
巻き込まれてしまう。
心から安心・信頼できる人の存在
(私にとっては夫)が
どれだけ大きいか、思い知らされます。
そんな気づきを考えていたら、
かぜの帽子さんがタイムリーに
“このメカニズム”について教えてくださいました🪴
ありがとうございます。
どんなときにさみしさを感じるのか
最近ようやく、自分のパターンが見えてきました。
・夫とすれ違い生活が長引いた時
・PMS(月経前症候群)の時期
多分、これからは
・子どもがいない時
も入ってくるんだろうなーとも感じています。
さみしいときの私は、“ちょっとおかしくなる”。
でも、パターンを理解しているだけで、だいぶ違う。
「今はさみしさの波がきてるな」と気づけると、
変に動き回って疲れる前に対策ができますよね。
今、試していること
今の私の対処法はとてもシンプルです。
さみしいパターンに気づいたら、
あれこれ後悔したり、
「もっとこうすればよかったかな…」と考えそうになっても、
そのまま放っておく。
すると、その時期が過ぎれば不思議と
何事もなかったかのように
すっきりするんですよね。
「あれ、なんだったんだろ」みたいな。
悩まなくていいことで悩んでたなって気づく。
さみしい時は、何もしない
最近の私は、こう思うようになりました。
さみしい時は、埋めなくていい。
何かしようとしなくていい。
ただ、さみしさに身を任せる。
それが、私の新しいパターンです。
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