書籍『ストーリーが世界を滅ぼす―物語があなたの脳を操作する』の紹介と、ジルボルト・テイラーのナラティブ
今回はジョナサン・ゴットシャルの『ストーリーが世界を滅ぼす―物語があなたの脳を操作する』という本を紹介します。これもめちゃめちゃ面白く、かつとても重要な本ですので、絶対に読んでください。重要というのはプライド、とくに知的傲慢さに対する処方箋として価値があるからです。前回紹介した『知性の罠』はもっと直接的に知的傲慢さについて警鐘を鳴らしてくれる本でしたが、今回のこの本はどちらかというと他者の知的傲慢さから身を守るために知っておくべき情報という側面があります。
が、この本の主題であるストーリー(物語)には、人間と人間におけるコミュニケーションにとってもっと根源的な力があります。知的傲慢さはストーリーにぶっかけられた質の悪いスパイスのようなものですから、本書を読むうえではそこに注意深くなる必要はありませんが、一読したあとに、知的傲慢さについてより深い洞察をあなたに与えてくれるでしょう。
さて、そもそもストーリーとはなんでしょうか? まあ、普通にストーリーといったら、ある物事についての起承転結を含んだ話という意味です。本書で問題とされているストーリーも、もちろんこの意味でのストーリーには違いないのですが、著者のゴットシャルはストーリーについて「そもそも、なんのためにあるんだ?」と自らに問いかけるところから、この本をはじめています。つまり、人が物語を作ってそれを他者に伝えるとき、そこにどんな動機や目的があるのか? というのがこの本の主眼であり、そこから改めてストーリーとはなんであるのか? について考察されていきます。
この本を読んでいくうえで、もう一つ知っておいて欲しい概念に "ナラティブ" というものがあります。ナラティブとは語りや物語のことであり、その意味ではストーリーと同じなのですが、ナラティブという場合、語られる内容とそれを語る人の関係が切り離せん。すなわち、語る人の感情や経験にもとづいて紡がれるストーリーがナラティブです。
ストーリーとナラティブをよりもうすこし丁寧に区別するなら、ストーリーとはことの一部始終を客観的、俯瞰的に説明する物語のことで、それは完結しています。ストーリーを語るのは、なにがあったのか(出来事の内容)を伝えることが目的といえます。一方ナラティブとは主観的な「語り」のことです。ナラティブは基本的に語り手の視点で語られ、そこには語り手の感情や意図が込められています。ナラティブを語るのは、話の内容を伝えるためというより、話し手の感情や意図を訴え、共感を呼ぶためです。また、ナラティブは基本的に現在進行系で完結していません。
この本のなかでゴットシャルはストーリーという言葉をナラティブとほとんど区別しないで使っていますが、上記の説明でいうなら、ゴットシャルのいうストーリーはナラティブとほとんど同じ意味です。彼は「人はなぜストーリーを語るか?」というところから書き始めるのですが、その視点でいえばほとんどすべてのストーリーがナラティブだと言えます。本書にはナラティブという言葉ももちろん登場しますが、その場合はストーリーにおけるナラティブ性について語っていたり、ナラティブとしてのストーリーという意味で用いています。すなわち、本書を読むうえでは「ストーリー=ナラティブ」だと考えておくとよいでしょう。
この本を読むことでストーリーやナラティブとはなんなのか? そして有害無益なストーリー=ナラティブがいかに多いか(というかほとんどのストーリーが有害無益であること)を学ぶことができます。これも知的傲慢さから脱却し賢く考えられる人になるためには必要なことだと、わたしは考えます。というわけで詳しくは本を読んでいただくとよいのですが、その前に、みなさんがこの本をぜひ読んでみようと思っていただくために、すこしばかりショッキングな話をしたいと思います。
ジルボルト・テイラーの "ストーリー"
わたしの記事の読者のなかにも『奇跡の脳』の著者として有名なジルボルト・テイラーのことをご存知な方は多いのではないかと思います。『奇跡の脳』はとても面白い本なのですが、まだ読んだことのない人については、この記事の最後まで目を通してから読んでみるかどうか判断してもらうとよいかもしれません。が、とりあえず読まれた人も読んでいない人も、ここでいったん彼女のTEDトークを観てもらうとよいかもしれません。日本語字幕を表示してご覧ください。
ハーバード大学で脳科学者として働いていたテイラーは、37歳のときに脳卒中を発症しました。幸い一命はとりとめましたが、左脳の機能を完全に失ってしまい、歩くことも話すことも書くことも、自分の人生を思い出すことさえも、できなくなってしまいました。
しかし、それから8年をかけて懸命なリハビリに取り組んだ彼女は、左脳の機能を再構築することに成功しました。
左脳の機能、つまり言語機能(※だけではないです)を回復させたテイラー博士は、左脳が停止している状態について " 言語や論理、時間の感覚、そして自他の境界さえも失っていたが、それは「いまここ」にある状態であり、宇宙と一体化した「至福」の状態であった " と語りました。
『奇跡の脳』にはこれらのことについてのより詳細な話が書かれているのですが、テイラー博士がことさら強調するのは右脳の神秘性です。彼女の語る右脳だけの世界は悟った覚者や臨死体験者たちの話と共通する要素が多いのですが、そこから導き出されるのは「右脳に寄ることで人間は幸せになれるだけでなく、今よりももっと素晴らしい存在になれる」という提言です。
彼女のこの報告は大きな反響を呼び、日本でも、というかこの note でも "右脳神話" といってよいナラティブが盛んに語られています。それについてもご存じの方は多いでしょう。ジルボルト・テイラーは右脳はよくて左脳は悪いとは言っていませんが、note で見る限り日本の右脳神話においては左脳は悪者扱いされているようです。
さて、それはともかくとして、ここでちょっと別の話をしましょう。
分離脳患者の実験から得られた知見
重度のてんかん患者に対して、左右の脳をつないでいる脳梁を切断する "脳梁離断" という手術がかつて行われていました。この手術を受けた患者(分離脳患者と呼ばれます)はてんかんの発作からは解放されたのですが、その後、彼らに奇妙なことが起こりはじめました。これについて以下にたいへん興味深い記事を紹介しておきますのでぜひ読んでみてください。ここでは、その中の文章をすこし引用させていただきます。
「欲しい物に右手を伸ばそうとすると、そこに左手が割り込んできて両手が争う形になりました。まるで反発し合う磁石のようにね」と彼女は話す。その週は、食品を買い込むのに2時間、時には3時間もかかり、ひどく難儀した。着替えるのも同様で、自分が着たいと思う服を、両手が実際に着せてくれなかったのである。時には、一度に3着の服を身につけてしまうこともあった。「服を全部ベッドの上に脱ぎ捨て、気を取り直して、もう一度始めねばならなかったわ」。
(中略)
分離脳患者の研究によって、健全な脳は、2つの別々の装置(つまり左右の大脳半球)が互いにケーブルで接続し、さまざまなデータを逐次やり取りしている状態であることが明らかになった。この主要ケーブルが切断されると、一方の大脳半球だけに情報(言葉、物体、絵など)を提示しても、他方の半球はそれに気がつかなくなる。
この記事にも登場しますが、分離脳について、分離脳患者(と多数のサルたち)の協力のもと非常に多くの実験を行って研究したのがロジャー・スペリーとその教え子のマイケル・ガザニガでした。スペリーはこの研究でノーベル賞を受賞していますが、現在ではガザニガのほうがよく知られていると思います。
さて、ガザニガたちが行った実験のなかから、ここでは分離脳の特徴をあらわす典型的な事例を紹介しましょう。
右脳への命令 まず、分離脳患者の左視野にだけ(つまり右脳にだけ)見えるように『歩け』という命令文を見せます。※視覚は左目と右脳、右目と左脳ではなく、両目の左視野と右脳、右側視野と左脳がつながっています。
行動 すると患者は立ち上がって歩きます。
左脳への問い なぜ歩き出したのか、言語中枢のある左脳に尋ねます。問いかけに対して右脳は言語で答えることができません。したがって答えるのは必ず左脳となりますが、左脳は右脳と分断されているため、答えるにあたって右脳の知っている情報を参照できません。
左脳の反応 つまり、左脳は『歩け』という命令を見ていないので、本当の理由を知らないわけです。
ここで、誠実な知性であれば「分かりません」と答えるはずです。しかし、患者の左脳は迷いもなくこう答えました。
「喉が渇いたから、あそこにあるコーラを飲みに行こうと思ったんだ」
ガザニガは、左脳はたとえ理由が分からなくても、目の前の状況に対して「もっともらしい説明」を即座に捏造する性質を持っていると言い、この性質から左脳のことを "インタープリター(解釈装置)" と呼びました。
テイラーの左脳が語ったものはなんだったのか?
さて、ここで再びジルボルト・テイラーの話に戻りましょう。
脳卒中を起こしてから回復がはじまるまでの期間、彼女の言った通りであれば、テイラーの左脳はまったく機能していませんでした。これがなにを意味しているかというと、「テイラーの左脳は当時のことをなにひとつ見ていない」ということです。機能していなかったのだから当然です。
しかしながら、回復後に「左脳が働いていないときに宇宙と一体化し、至福を味わった」と語ったのは他でもない彼女の左脳です。そしてもちろん、「奇跡の脳」を書いたのも同じ左脳です。あれ? おかしいですね。
当時の右脳が言語も時間間隔も自他の区別もない「いまここ」の状態にあったというのが本当だったとしても、当の右脳本人はそのことを言語で、つまり「言語も時間間隔も自他の区別もなかった」と語ることはできませんし、語れないだけでなくそのように自覚することもできません。なぜなら右脳にはそんな能力はないからです。しかし、TEDトークを観ても、彼女はその時のことを「まるで観てきたかのように」滔々と語っています。
これでお分かりでしょうか? つまり、分離脳患者の左脳が歩く理由をでっち上げたように、この "ストーリー" は回復後のテイラーの左脳がでっち上げた "ナラティブ(作り話)" なのです。(テイラーの名誉のために言いますが、これは彼女が意図的に嘘を騙っているという話ではなく、左脳はそうせずにはいられないということです)
もっとも、テイラーの場合は脳梁が切断されているわけではありませんので、左脳が回復する過程で右脳が持っている当時の記憶を左脳も参照できるようになった可能性はあります。ただ、仮にそうだったとしても右脳だけが持っている記憶には言語的な情報や時間の推移といった概念はありませんので、いずれにしてもTEDで彼女が話している内容のほとんどは回復後に彼女の左脳が作り出したストーリーなのです。
ぶっちゃけると、左脳の機能を失っていたときのテイラーは想像を絶するような苦痛や恐怖、不安も経験していたはずだとわたしは思います。事実、右脳は警戒心や抑うつ、否定的な感情にも深く関与していることが現在では分かっています。
もちろん、至福を味わったというのもまったくの嘘ではない可能性はあると思いますが、もしも至福しかなかったのであれば、困難なリハビリを乗り越えてまで左脳の機能を取り戻そうとはしなかったのではないでしょうか。リハビリに取り組む決意をしたのは、このときの右脳体験の素晴らしさを世界に伝えるためだと彼女は言っていますが、それを言っている彼女の左脳は自分が言っていることを実際には経験していないわけです。一方で、当事者であった彼女の右脳は「これは素晴らしい!このことをみんなに伝えなきゃ!」といったことは考えない(考える機能がない)のです。
ともあれ、彼女の左脳がなぜ苦痛について至福と同じくらいに多く語らなかったのかは分かりません。しかし理由はどうあれ、彼女の左脳にとっては「右脳だけの至福の世界」というストーリーの方が "しっくりきた" のでしょう。
神秘的な右脳という "なめらかな" ストーリー
先日の記事で紹介したデビッド・ロブソンの「知性の罠」に、流暢性(なめらかさ)の罠という話が出てきます。これは「論理がスムースで分かりやすい話はうっかり信じてしまいやすい」というもので、そういう話のことをロブソンは「なめらかな話」「流暢な話」と呼んでいました。
ジルボルト・テイラーの「左脳が機能しなくなると言語や時間や自他の境界から解放されて至福を味わった。ゆえに人間の幸せは右脳にあり」というストーリーは非常になめらかですし、おなじ経験をした人間以外には反論のしようがないものです。一方で、左脳と右脳の大雑把な役割分担についての知識があり、非二元などのスピリチュアルな教えにも通じている人であれば、テイラーと同じストーリーを語ることは簡単でもあります。
この話について、どう考えどう判断されるかは皆さんの自由です。人によってはかなりショックを受けてしまったかもしれません。でも、分離脳患者の実験から得られた知見は厳然たるエビデンスです。わたしがテイラーが作り話をしていると言いたいわけではなく、エビデンスからはそういう結論にしかならないということです。わたしが気になるのは、脳卒中になる以前から脳科学者であったテイラーが、自分のナラティブがインタープリターによる作話である可能性をなぜ無視しているのか? というところですね。気になる人は太字の部分をAIに尋ねてみてください。
というか、わたしもいま尋ねてみました。それで分かったのですが、そもそもガザニガ自身も含めた脳科学者たちからジルボルト・テイラーはまさにこのインタープリターによる作り話を科学者の肩書を利用して世間に信じさせようとしている不誠実な人物として批判されているようです。すくなくともメインストリームの科学界ではジルボルト・テイラーは科学者だとみなされてないようですね。
以上、読者のみなさんが『ストーリーが世界を滅ぼす―物語があなたの脳を操作する』に興味を持ってもらえるように、ナラティブとしてのストーリーについての刺激的な実例としてジルボルト・テイラーのケースを取り上げてみました。ちなみに『ストーリーが世界を滅ぼす―物語があなたの脳を操作する』のなかにジルボルト・テイラーの話はいっさい出てきません(つまり、ネタバレではありません)のでご安心ください。
ちなみに昨今の右脳神話ブーム(と勝手に名付けた)について、ぶっちゃけわたしは「まったくお話にならない」としか思っておりませんので、それについてここであらためて言及はいたしません。しかしながら、脳と霊的な進化の関係について述べるなら、覚醒や悟りが起こるためには左脳の機能が絶対に必要です。もっとも、「論理的だが悪い左脳」と「感覚的で良い右脳」といった二元的な発想自体が稚拙で時代遅れ(1970年代の考え方です)な方便にすぎません。ので言い直すと、覚醒のためには全脳が高度に統合される必要があります。でも、そのことを簡単に説明することは不可能なので、こうして様々な記事を書き続けているわけです。いずれにしても、左脳を鎮めれば悟れるといったような お手軽で "なめらかな" 話には騙されないようにしていただきたいと、読者のみなさんには忠告申し上げる次第です。
アドバンストな文脈接続
『ストーリーが世界を滅ぼす―物語があなたの脳を操作する 』の紹介と、ジルボルト・テイラーの欺瞞に満ちたナラティブについて紹介しましたが、ここでそれらの内容が置かれている文脈を別のコンテクストへと接続してみようと思います。
これは今までやってこなかった新しい試みです。
物語や語りを問題としてきましたが、そもそもストーリーもナラティブも、どこかの誰かの "思考" によって生み出されます。ジルボルト・テイラーにまつわるコンテクストには日本の右脳神話における "自動思考の問題(というナラティブ)" というものが含まれています。つまり「神秘的な右脳」という作り話に「自動思考が止まらない」という作り話が接続しているわけです。
ですので、ここではこれらの作り話を完全に解体するために、「思考とはなにか」という正しいコンテクストを提示します。普通の読み物に慣れている人にとってこういう接続は理解しにくいかもしれませんが、わたしの記事を深く読まれている方ならむしろ点と点が一気につながる体験になるはずです。
さて、上記の動画にてホーキンズ博士は「思考は止まらない。止めることはできない」と語っています。博士はこのことからはじめて、自我が思考の主体であるという錯覚を手放して(明け渡して)、思考を観ている主観(つまり意識そのもの)へと聴衆の理解を導いています。まずは御覧ください(自動翻訳で日本語を選択してください)。
次に、思考が止められないことについて詳しく述べた上の記事をお読みください。この話は上述の右脳神話ナラティブともつながっています。
さらに、明け渡しについて下記の記事も御覧ください。
コンテクストの接続とは、こういう感じです。これまでの記事でも、こうした接続はそれとなく行ってきましたが、今後は今回のように明示的にやっていくかもしれません。すべて読まれてみて、「おお!なるほど!」と思われた方はコメントで報告してくださると嬉しいです。
ちなみに、「明け渡し」について書いているわたしの記事を検索するには note の検索窓に
from:@merciful 明け渡し
と入力すると出てきます。プライドとか輪廻転生とか、特定のキーワードについてわたしがなにを言っているか確認したいときは、このようにして探してください。
おまけ
ルルルルズいいですね。ルルルルズという名前がまずいいですね。そして音楽もいいですね。
今回はこれで以上です。最後まで読んでくださって、ありがとうございました。また次回の記事でお会いしましょう。
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