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霊的探求生活におけるもう一つの実践

エグい話

3ヶ月くらい前のことですが、マクドナルドで商品の受け取りを待っていたときに、カウンターで大声で騒いでいる男性客がいました。見たところ20代前半で、ざっくばらんに言うと "マイルドヤンキー" といった印象の人物でしたが、その彼がしきりに「エグぅ!!」「エグいって!!」「エグすぎるやろそれ!」と連呼しているのです。すこし距離があるため、お店のスタッフとどんな会話をしているのか詳しくは分からないのですが、たぶん「ポテトはこれから揚げるのでお時間3分ほど頂戴しますがよろしいでしょうか?」といったやり取りのようです。そして、スタッフがなにを言ってもその彼は「エグい」としか言ってないという、そういう状況でした。

マクドナルドで店員さんを鬼詰めしてイキリ散らかしている客がいるというのは、これまで何度も観てきた光景なので、とくにどうということはないのですが(とはいえ、その店員がなにをやらかしたかは知らんが、この場全体で見たらお前が一番迷惑だよ、とはいつもながら思います。わたしと変わらないくらいの年齢のおっさんが多いです……)、そんなことよりわたしはちょっと混乱してしまいました。

(こいつの言ってる "エグい" って、どういう意味なんやろ……????)

つまり、ちょっとしたゲシュタルト崩壊の危機に陥っていたのです。まあ、危機というのは大げさですけど。そもそもですが、考えてみると "エグい" という言葉は意外にもかなり抽象的で、かつハイコンテクストな使い方が要求されるものです。わたしの中では「やり方が露骨で徹底的(やり過ぎのニュアンスも含む)」といった感じですが、それだけでは定義としてはなにか足らないものがある気もします。のですが、いま巷で使われている「エグい」は「ヤバい」とほとんど同じ感じのように思われます。この感じの「エグい」は、わたしも小学生中学生くらいにはよく使っていた記憶がありますね。

ということは、件のマクドナルド店頭イキリ倒しマイルドヤンキーの彼は、時代の違いを考慮せずにいえば、小中学生並みのコンテクストしか保持していないということなのだろうな、という結論にいたりました。いやいや、エグいやろそれは。

ちなみに、霊的探求においても、特定の用語について、それをどのように定義し、どのように使っているかは、探求者によって実に様々です。そしてぶっちゃけ、このことが各自の意識レベルを概ね示唆しているといっても過言ではありません。「悟りとはなんですか?」「愛とはなんですか?」「神とはなんですか?」「意識とはなんですか?」「意識と心の違いはなんですか?」「エゴとはなんですか?」などなど、これらにどう答えるか、つまり、それぞれの言葉をどう定義し、どういったコンテクストにおいて用いているか? には、その人の意識レベルが反映されているわけです。

探求者同士で情報交換することはやめたほうがいいですよ、とわたしが言うのは、上記のように探求における中心的な話題を扱う主要な用語でさえ、人によって捉え方、理解の仕方、使い方がまったく違っているから、というのが理由の一つです。これは探求者に限った話ではなく、自称覚者や自称スピリチュアルマスターといった人々においても当然言えることです。

こうした用語の定義や用法については、ジュニャーナとして、つまり知的な熟考によって理解を深めていくことが可能ですが、それは実はただのプロセスでしかありません。結局のところ、意識レベルが高まると、保持している文脈が拡がり、かつ、その抽象度が高まっていくので、結果として使っている用語の定義やその使い方は自然に変わっていくのです。そして、このことからもう一つ言えるのは、霊的な理解を高めるためには左脳の働きがより統合的に洗練されていく必要があるということです。


霊的探求生活におけるもう一つの実践

さて、先日 in SPIRE に投稿した以下の記事において、探求者に向けて、推奨されることと勧められないこと(薦めないと書いていたのを勧めないに訂正しているのですが、なぜかリンクでは薦めないのままになっています)について書きました。

この記事の閲覧数は想定よりもかなり多いです。霊的なことについて教える立場を取っているほとんどの人には口が裂けても言えないこと(お金を払わない、コミュニティに参加しない)にも踏み込んでいるので、そういうビジネス覚者の信奉者たちも反応しているのかもしれません。

それはさておき、今回はその記事では書かなかったことについて、一つだけ触れておこうと思います。これは霊的な実践としては、その記事に書いたすべてのことよりも重要で、かつ効果的なものですが、その記事に書いたことのすべての実践に取り組んでもらい、かつ、わたしの書いてきた記事のおよそすべてを理解していただかなければ、その重要性や効果性について理解できないと思われるので、あえて記事を分けて、いわば上級編(でありながら基礎編でもあるのですが)としてここで紹介しようと思います。

といっても、これについてもいまここで初めて公開するようなことでもなんでもなく、もうずっとあちこちで言及してきたものです。それは、周辺視野を鍛えるというものです。これについて言及した主要な記事をここに紹介しておきますので、なぜそれがそんなにも重要なのか、そして、具体的にはどうやるのか? といったことはそれらの記事をじっくり(一度読まれている方は再読してください)読んで学んでください。


この記事にある通り、出発点はホーキンズ博士が『 I <わたし> 真実と主観性』で紹介していた "周辺視野を使った観想法" にあります。周辺視野を使うということは、普段のわたしたちは主として中心視野ばかり使っているということを示唆しているわけですが、より統合的な観点からいうと、視野の "全体" を使って観るというのがこの方法の本質です。そして、この観想法を視覚だけでなく、聴覚や触覚など他の感覚、つまり知覚の "全体" へと拡張させたのが、わたしが提案している "IF" というものです。最初は「ふわっとした氣」という呼び方をしていましたが、呼び方としては冗長なので途中から IF としました。

IF は、わたし自身の肉体精神機構に生じた知覚の変容をそのまま再体験できるように設計しています。つまり、現在のわたしは視覚においても聴覚においても、あるいは肉体の枠を超えた「気配」や「氣」あるいは「霊的なエネルギー」の知覚においても、この IF のような全方向へと及ぶフィールドを保持しています。保持というか、そのフィールドがわたしの存在そのものです。


トランサーフィンの記事を連載していたときに、霊的探求とは異なる文脈でこのこと、つまり周辺視野を使うことや全体性を知覚することについて触れたのが下記の記事です。この記事はトランサーフィンのシリーズのなかでも多く読まれているものの一つですが、読まれた方の役に立っていれば幸いです。


さらに、コンテントとコンテクストという重要概念についての話を深堀りしていった時の出発点として、改めて周辺視野について書いたのが下記の記事です。

この記事はわたしのnoteのなかでも重要なものの一つですが、ここから話は続いていきますし、また記事中で他の記事へリンクされていたりもしますが、じっくり読んでみてください。

他にも周辺視野について言及している記事はいくつかありますが、下記のテキストを note の検索窓に入力すると、ピックアップできます。

from:@merciful 周辺視野

周辺視野が鍛えられていくと、人によっては後頭部の上のあたりの血流が増えているような感覚、あるいはそのあたりが「よく働いている」ような感覚が生じてくると思います。現在のわたしの脳の重心(という言葉が適切だとは思わないですが、そのように表現したくなるようななにか)は、この後頭部の上部辺りにあります。以前はもっと前のほう、つまり前頭葉のあたりに思考の座があり、そこだけでものを見て考えていたように思いますが、いまはその前頭葉あたりにある思考や感情を、後ろ側にある頭頂葉(後頭葉ではないです)あたりの意識が眺めているというような感じです。これについては脳の部位ごとの機能や働きなどについて現在も学んでいるところで、なにかもうちょっと具体的なことが言えるようになったら、改めて記事にするつもりです。

ちなみに、わたしがこのように脳の中の血流や働いている感覚について気づいたのは、マジックマッシュルームを食べた時です。その最中には脳全体の血流が増していることが明らかに体感でき、その結果、普段ならあまり働いていないような部位が活性化したのか、あるいは部位同士の連絡が良くなりすぎたのか、知覚の混信のようなことが起こり、結果として "共感覚" が発生したこともあります。具体的には、「音が見えたり」しました。

話は脱線してしまいましたが、周辺視野のトレーニングを続けているなかで、こうした脳の血流や感覚にも着目してみてください。もう一つ、視野というのは文字通りの肉体的な視覚における視野と、物事を捉える観点の高さ、広さを意味する視野とがありますが、要するにこれらは同じことなのだと理解しておいてください。つまり、肉体的な視野が広まれば精神的、知的、霊的な意味での視野も広まるということです。それが、このトレーニングを実践する目的であることを忘れずにいてください。つまるところ、視野が広まるということと、意識レベルが高まるということはイコールであるということです。

本題はこれで以上になります。


おまけその①おすすめ書籍(Audible)

Audible をサブスクしている人はもちろん、書籍版やKindle版で買ってでもぜひ読まれたい本です。カウンセリングに興味のある人もない人も、読んでおいたほうがいいですよ。けっこう壮絶な内容も書かれていて、カウンセラー(といってもピンキリでしょうけれど)の方々の日々の活動に頭が下がる思いです。また、最後まで読むと、この本にはフィクションとしてのメタ構造が仕掛けられていることに気づくかもしれないし、気づかれないかもしれません。

霊的な観点では、心は意識のコンテント(中身)であり、悟りや覚醒は心の状態ではなく心を超越することだと言うことができますが、心が超越されるまでは、その心の状態が常に問題となります。「問題」というのは心の中にしかないのですが、したがって問題なのは実は心そのものです。意識レベルが高まるにつれて、心(=エゴ)の自己中心性は弱まっていきます。逆に言うと、意識レベルが低いほどエゴの自己中心性が強くなるわけですが、カウンセリングがカバーしているのは概ねこの領域です。

より高い領域、具体的にはLOC350から400台の人々の中には霊的探求をはじめる人がいますが、それはその人が基本的にはカウンセリングが必要となるような問題を抱えていないか、抱えていても自力で克服しつつあるからこそ可能なのです。なぜなら、霊的探求とは心理学(つまり心のこと)とは別の場所を探求するという行為であるからで、そのような問題を抱えている人は霊的探求などではなく、別のアプローチ(それこそがカウンセリングだったりするわけですが)をとるべきです。

もちろん、探求をはじめているからといって、心の問題がまったくないわけではありませんし、あるのが普通です。だって、心の問題がないのなら、それはもうすでに意識レベル500を超えている可能性が高いわけですから。もっとも、自分では心の問題などないと思っていても、客観的にみれば大いに問題あり、ということもままあることですし、いずれにしても探求者も心へのアプローチは必要です。TFTやNLPを勧めているのはそのためですが、場合によっては意識レベル400台の探求者であってもカウンセリングが必要な場合はあるでしょう。

ということで、カウンセリングとはどんなものなのかを知っておくのはどなたにとってもいいことです。人に頼ることが苦手な人ってけっこう居ると思いますが、そもそも「こういう頼り方がある」ということすら知らない場合が多いのではないでしょうか。この本を読んでおけば、カウンセリングという選択肢を自分の中に用意しておくことができますから、いざとなったときに助かるかもしれません。

また、この本を読んでカウンセリングの実際を知ってみると、ビジネス覚者たちが "スピリチュアルカウンリング" とか "個人セッション" とか銘打って行っている商売がいかに無責任なものかがよく分かるでしょう。そもそもスピリチュアルと言って金を取るのなら、客が覚醒しなければ返金するべきでしょうし、アフターサービスなんてやってない(やりようがない)でしょうし、ホンマようやるわと思いますね😤 エグいって!


おまけその② 「教皇選挙」が面白かった件

Amazonのプライムビデオで「教皇選挙」を観ました。ぜんぜん興味はなかったのですが、なんとなく観てみようという気になって観てみたら、存外おもしろかったです。

教皇選挙とはいわゆるコンクラーベのことで、ローマ教皇がなくなったり退位した場合に、世界中から枢機卿が集まって全員で次の教皇を選ぶ選挙を行うという、あれの話です。言ってみたらそれだけの話で、サスペンス要素ももちろんあるのですが、言うほど驚くべき展開とかはありません。ただ、俳優の演技力が素晴らしかったですね。あと、映像や音響もよかったです。

とはいえ、個人的に興味深かったのは、ローマ教皇というカトリックの最高権威を巡る話なのに、その座を争う枢機卿たちのほとんどは個人的野心や保身にしか関心がないという点です。まあ、これは予想通りではあるのですが、実際のヴァチカンの内幕もこの映画のようなものでしょう。あんまり詳しく書くとネタバレになってしまうので、とりあえずお勧めだけしておきます。観て損はないですよ。

今回はこれで以上です。読んでくださって、ありがとうございました。また次回の記事でお会いしましょう。

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