【妙香異聞抄】第四話:ユーカリ(前編)
「やっほー、コーちゃん。ご足労かけて誠に申し訳ないわ」
大学近くのカフェにて。
先に座っていた友人は、へらりと片手を振ってみせた。
「ミーちゃん……どうしたの、その腕!?」
合流した光路は、友人の様子を見てギョッとする。よく日に焼けた彼女の左腕は、しっかりと包帯を巻かれ、首からアームホルダーで吊るされていたからだ。
「まあちょっと、駅の階段から落ちちゃって。足は問題ないんだけど、庇ってついた腕にヒビ入ったっつーか」
まだ出会って1ヶ月も経たない仲だが、光路は友人の態度が空元気であることに、薄々気付きつつあった。
「それってやっぱり、最近悩んでる『アレ』のせい……?」
「…………うん。そうだね」
注文した飲み物がテーブルに運ばれてくる。
お互い一口飲んで、少しの沈黙があってから、友人は切り出した。
「また引っ掛けられた。『見えない動物』に」
◆◆◆
大輪田語学大学。
名前の通り、多種多様な言語を学べる公立大学だ。英語学科をはじめ、中国語・スペイン語・フランス語・ドイツ語・ロシア語学科が設置されている。特徴的なのは、そこに並んで「日本語学科」があることだろう。
「他を知るにはまず己から」……そんな初代学長の理念で設置されたという日本語学科に、光路も在籍していた。
所在地は、大輪田市中心部から地下鉄で30分の辺り。いくつもの高校・大学・専門学校が隣り合っていることから、最寄り駅周辺はまとめて「学園都市」と呼ばれている。
故郷から遠く離れた、知り合いが誰もいない環境。引っ込み思案な光路に話し掛けてくれたのが、同じ学部の霧谷美晴だった。
すらりと長い手足。ベリーショートの黒髪。笑顔が快活で、時々声が大きすぎる。昔から陸上競技をやっていると聞いて、色々納得がいった。
「えっと……よろしく、霧谷さん」
「名前で呼んでよ~。あ、でももし呼ぶなら『ミーちゃん』でよろしく」
おずおずと声を発した光路に対し、美晴は口を尖らせる。
「アタシ、自分の名前が割とコンプレックスなんだよね。『美しい』って漢字が入ってるのが嫌でさ。それに苗字が『霧』なのに、名前が『晴れ』って。天気良いのか悪いのかどっちだよ、ってな!」
ガハハ、と美晴は豪快に笑う。
「うん……うん! 実は私もあまり、自分の名前が好きじゃないの」
それにつられて、光路も思わず本音が出ていた。
「苗字に『くさ』が入ってて、名前が『こうろ』だから……『コオロギ』ってからかわれたことがあって……小学生の時の話なんだけどね」
「何じゃそりゃ。ひっどいこと言うね。あぁでもそれだと、アタシも『霧』だから『キリギリス』になっちゃうか。仲間だ!」
美晴は再び笑った。
「よっしゃ、じゃあ日下部さんのあだ名は『コーちゃん』でいこう! これからよろしく、コーちゃん!」
以来、二人は共に行動するようになった。
同じ授業の時は隣同士で座る。休日にはメッセージアプリで会話を楽しむ。美晴は早々に陸上サークルに入ったので、いついかなる時も一緒というわけにはいかないが。
傍目には不釣り合いなコンビに見えるかもしれない。しかし光路は美晴の爽やかな性格が心地良かったし、美晴もまた、光路の勤勉さをよく褒めてくれるのだった。
そんな彼女に、1週間ほど前から異変が生じていた。
曰く「よく転んだり、つまずいたりするようになった」。
ただ普通に歩いている道で。練習しているグラウンドで。実家の廊下で。念のため整形外科や脳神経外科を受診したものの、異常は全く見られなかったという。
しかし奇怪な現象は収まらず……今回ついに、骨にヒビという大怪我を負ってしまったわけである。
美晴は大切な友達だ。
光路を襲った『姿の無い足音』の時も、彼女は真剣に話を聞いてくれた。
だからこそ……。
「だからこそ次は、私が彼女の力になりたいんです」
妙香堂において、光路は説明を終える。
「ふむ……」
店主のリンは難しい顔で、口元に手を添えた。
4月末。ソメイヨシノはとうに葉桜となり、一足遅れて八重桜が咲き始める頃。ようやくアルバイトに慣れてきた光路の前に降って湧いたのが、今回の問題だ。
自分の悩みを解決してくれたこの店なら、きっと美晴のことも助けてくれるはず。図々しさを恥じつつも、光路はリンに相談の予定を取り付けたのだった。
「色々と質問させていただきましょう」
リンが左手の指を順番に上げていく。
「1つ目。他の異変は起きていませんか? 転ぶ以外にも、体調が悪くなったり、感情が極端に鬱々としたり」
「いえ、そういうことは言っていませんでした」
光路は思い返す。美晴はむしろ「足は大丈夫だから走りたいのに!」と憤慨していたような気がする。
「2つ目。誰かにわざと突き落とされた、という可能性はありませんか?」
「それも無い……と思います」
確かに「駅のホームの階段から落ちた」とだけ聞けば、その線を疑うのは当然だろう。しかし美晴は時と場所を選ばず、何度も同じ転び方をしているのだ。今回に限って実行犯がいる、とは考えにくい。
「3つ目。これが最も重要な質問です」
リンが、やや眉を寄せながら訊いてきた。
「彼女……霧谷さんは、何故その現象のことを『見えない動物』と呼ぶのですか?」
そこに関しては、光路も不思議に思い、既にカフェで直接問うていた。
美晴は答えた。
「一度だけ見たんだ。転ぶ直前、アタシの足の間を、犬か猫かよく分からない動物がすり抜けていくのを。しかもそいつ半透明だったわけ」
こんな都会の中にいるとは考えにくいが。
それでも1つだけ、連想できるモノがいる。
「すねこすり……」
えっ? とリンが首を傾げるのを見て、光路は慌てて取り繕う。
「そ、その……彼女を悩ませている現象と、日本のとある妖怪の特徴が、似ていると思っただけで……」
「ほう? せっかくです、聞かせてください。何か解決の糸口になるかもしれませんよ」
リンは興味を持ったようで、やや身を乗り出してくる。
光路はいつものように遠慮しようとして……今はそんな場合ではないと、気を引き締め直した。
「すねこすりとは名前のまま、人の足の間を通り抜けていく妖怪です。描かれている姿は、犬にも猫にも見えます。ちょっと驚かせてくるだけの無害な妖怪なので、漫画やアニメでは、マスコットのような扱いを受けることも多いですね」
「転ばせるのが目的、ということですか?」
「そういうわけではない、はずです。どちらかというと、人間がたまたま転ぶだけで、目的はむしろ『通り抜けること』そのもののような……」
「う~ん。いずれにせよ、僕にとっては天敵となる妖怪ですねぇ」
解説を聞いたリンは、苦笑いを浮かべた。
はっ、と光路は息を呑む。
ただでさえ目が不自由なリンだ。そこへ『見えない動物』がすり抜けようものなら、足を取られて激しく転倒してしまうかもしれない。
同時に気付く。もし対象が老人や、歩き始めたばかりの幼児だったら? すねこすりにとっては「悪戯」程度でも、相手は思わぬ大怪我を負ってしまうかもしれない。
そう、まさに美晴のように。
「……考えてもみませんでした。意外に危険な妖怪なのかもしれませんね、すねこすりって」
「しかも霧谷さんのケースにおいては、僕は明確な『悪意』を感じていますよ」
緊張が高まる。
しばし何か考えてから、リンは光路に顔を向けた。
「早急に対処しましょう。できれば今日か明日にでも。霧谷さんに連絡は取れますか?」
「えっ!? あ、はい! メッセージ送ってみます!」
展開の早さに驚きつつも、光路はスマートフォンを取り出して操作する。
「本来は僕が直接赴くべきなんですが、先程も言った通り危険なので。代わりに熨斗目をお貸しします」
「はい。……はい!?」
半ば無意識で返事した後、光路はギョッとして顔を上げた。
『今、とんでもない冗談が聞こえた気がするぞ』
ほぼ同時に割って入った声は、皮肉にも光路と全く同じ意見だった。
「冗談ではなく、本気なんですがねぇ」
『そうか。ならば尚更問題だな』
ぶわり、と。床に届きそうなほど長い髪がたなびいた。
その場がまた、別種の緊迫感で塗り替えられる。
姿を現した式神・熨斗目は、いつも以上に深い皺を眉間に寄せていた。
「この小娘と共に行動しろと? お断りだ」
「僕だって別に、あなたたちを意地悪で組ませるわけじゃありません。適材適所、というやつですよ」
片や、苛立ちを隠そうともしない熨斗目。
片や、穏やかながら一歩も引かないリン。
まさに火花を散らすような睨み合いの後……先に口を開いたのは、熨斗目の方だった。
「……一つだけ訊かせろ。それは個人としての『お願い』か? それとも術者としての『命令』か?」
「命令です」
リンの答えは端的だった。
「そうか。ならば、」
熨斗目は目を閉じ、恭しく頭を下げた。
「主の仰せのままに。必ずや、最良の結果を持ち帰りましょう」
光路はただ呆然と一部始終を見ていた。
そのポケットの中で、スマートフォンが振動する。
◇◇◇
数十分後。
学園都市へと向かう地下鉄に、二人は乗っていた。
乗客は多い。だが光路にとってこの状況は、虎と同じ檻の中で二人きりなのと、何ら変わりなかった。
「何だ」
光路の視線に気付いた熨斗目が、低い小声で問うてくる。
「あぅ、えっと……いつもと全然違う姿なんですね」
純粋に、事実。
高身長であることに変わりはないものの、今の熨斗目は180cmくらいだ。普段の2m超えに比べれば随分小さく見える。
違いは他にもある。簡素な着物は、上下黒のスウェットに。藁草履はサンダルに。金の瞳は黒に。尖った耳は人間と同じ形に。そして何より、青と灰を混ぜた色の髪は、背中辺りの長さの黒髪に。
まあ逆にいえば、「等身大の怖い人」になっただけなのだが。
「ただの変化の術だ。造作もない」
会話はそこで終わる。
「…………」
新手の拷問だろうか、これは。
数百年に感じられるほどの長い乗車時間を経て、二人は駅から大学の正門へと向かう。
友人は門の前で待っていた。幸運なことにまさに今日、予定が空いていたのだ。
「コーちゃん!」
彼女はちょっと笑ってから、隣の熨斗目を見て、ハッと居住まいを正した。
「初めまして、霧谷美晴です。今回はよろしくお願いします」
「ああ。俺は一応『霊能者』という肩書きだ。信用してもしなくてもいい」
これは、事前に妙香堂で打ち合わせた「設定」だ。怪しさ満点だが、少なくとも「人ならざるモノです」と言うよりはマシだろう。
「そんな! 信用しますよ! コーちゃんが紹介してくれるほどの人ですし、それに……今は、何にでも縋りたいところですから」
突き放すような挨拶だったにも関わらず、美晴は怯むことなく正面から言ってのけた。これには流石の熨斗目も、やや困惑した様子だった。
◇◇◇
皆で連れ立って、大学敷地内を横切っていく。とはいえ、あてどなく歩いているわけではない。熨斗目の中では既に目星が付いているようだ。
「霧谷美晴。お前と『縁の深い』場所はどこだ?」
「え? そうですねぇ……やっぱり、サークル活動で使うグラウンドやロッカールームでしょうか。もちろん食堂も毎日利用しますが、別に思い入れとかは無いです」
「人通りが少ない、人目につきにくい場所に行ったことはあるか? 裏庭、喫煙所、離れた場所にある教室、何でもいい」
「そういうのも無いですねぇ。大学生活始まったばっかだから、授業も大人数のものばかりですし。喫煙所に関しては、そもそもアタシまだ18歳ですよ!」
歯切れ良く返事する美晴のおかげか、熨斗目の言動も心做しか棘が少ない。
――私への対応と全然違うなぁ。
ちょっぴり悲しくなる光路だった。
陸上サークルのロッカールームへと向かう。美晴が事前に鍵を借りておいてくれたため、立ち入るのは容易だった。
決して広くない部屋の中、三人は顔を見合わせる。
ここなら誰にも邪魔されず、手掛かり探しができるはず。しかし予想に反して、踏み入った直後に熨斗目の眼光が鋭くなった。
「内鍵を閉めろ。獣の臭いがする」
まだ何も心の準備ができていない。光路と美晴の表情が強張った。
ジャッ! と。
清浄な、それでいて威圧的な金属音が、空気を震わせた。
熨斗目の手にはいつの間にか、長い「杖」が握られていた。
特徴的な形だ。てっぺんに大きな金属製の輪が付いていて、さらにそこに複数個の小さな輪が通されている。振るとそれぞれの輪がぶつかり合い、音を立てる仕組みである。
光路はそれを知っている。修験道の実践者……いわゆる「山伏」や、その格好をした妖怪が持っている杖。
つまり、錫杖。
「えっ……何ですかそれ? いつの間に?」
慌てて内鍵を閉めていた美晴が、振り返ってさらに狼狽する。
「この部屋全体に結界を張った」
あまり重要ではない質問。熨斗目は黙殺する。
「単なる下見のつもりだったが、最初から『当たり』を引き当てるとは。呪いの原因はここにあるぞ」
――呪い。
美晴が。大切な友達が。まさか。
「呆けている場合か! さっさと香を焚け!」
鋭い声で光路は我に返り、預かってきた鞄の中から「道具」を取り出した。
それは1種類のお香と、お香立て。
何も特別な物ではない。しかしこの場においては、最適にして最大の「武器」になり得る物だった。
「……っ」
焦って震える手をどうにか動かし、数本のお香にまとめて火を点ける。
細く立ち昇る煙。同時に清涼感のある香りが、ふわりと鼻腔をくすぐった。
「火天よ!!」
ジャッ、と再び鳴らされる錫杖。
「此処に於ける不浄を示し給え!!
オン・アギャナエイ・ソワカ!!」
熨斗目の詠唱に応えるように。
お香の煙が、広がった。
それは、いわゆる化学や物理といった法則を完全に無視して、部屋中を一瞬で白く曇らせた。
目が痛いほどの煙。鼻が痛いほどの香り。
火種はあんなに小さいままだというのに。
「ひっ!?」
隣で美晴の悲鳴がして。
ほとんど同時に、光路も見た。
悶え苦しみながら逃げ回る、小さな獣の影を。
『これはユーカリのお香です。日下部さんにとっては、苦手な部類の香りですよね?』
出発前。深刻な表情が貼り付いている光路に、リンはわざと冗談めかして笑ってみせた。
『呼吸器系に作用して、風邪予防にもなる葉っぱです。その反面で毒性も強く、犬や猫には致命的なダメージをもたらします。まあ、もしペットがコアラだというのなら、問題ありませんがね』
犬や猫に例えられる妖怪、すねこすり。
ならばこのユーカリのお香を焚けば、弱体化させることが可能ではないか? リンはそう踏んだのだ。
果たして効果は覿面であった。大量の煙にさらされた獣は、美晴の足元を離れ、どうにか助かろうともがいていた。
ギャアッ! と耳障りな鳴き声が響く。
一閃された錫杖が、その小さな体を打ち据えたのだ。
「答えろ」
広がった時と同じように、煙はまた急速に薄れて消えていく。
見えてきたのは、熨斗目が毛むくじゃらの獣の襟首を掴み、恫喝している光景だった。
「お前を遣わせた術者は誰だ。答えろ!!」
最早これまで。床に下ろされた獣はよろめきながら、一つのロッカーの扉に擦り寄ってみせた。
「えっ……え、はぁ? 何でこの先輩が……?」
戸惑う美晴。
小窓に入れられているプレートには、「金居」という苗字が書かれていた。
【妙香異聞抄】第五話:ユーカリ(後編)へ続く
