M&C通信Vol.108 "煩悩"のままで美しい、それでもあなたと祈りたい~除夜の鐘で溶けた祈り~
こんにちは。メルト&クリエイトです。
考え方は、人それぞれなので
こんな、とらえ方もあるという感じで
今回の記事を読んでくださいね。
まずは、こちらの記事をご紹介。
🍀ゆうさん
「日本人って、無宗教だよね?」
私が、もし次に誰かに聞かれたら、
「日本人の信仰は、生活に根付いているんだよ」
と、自信を持って答えたいと思います。
・・・・・・・・・・・・・・
"日常生活に溶け込んだ信仰"だと思っています。
私は、日本人であることに、誇りを持っています。
“信仰”って、特別な場所に行ったり、
何かを信じると決めたりすること
じゃないのかもしれませんね。
ただ、静かに、
日常の中にそっと根を張っている
そんな祈りのかたち。
そう思ったとき、今回のVol.108から
思い出すものがあります。
除夜の鐘。
一年の終わり、静かな夜に響く108回のあの音。
108回という数は、わたしたちが抱える
108の煩悩に、ひとつずつ寄り添うように
鳴らされていると、いわれてます。
?:「煩悩」って、どんなもの?
煩悩って、聞くだけでなんだか
悪いもののように思われがちです。
欲深いこと。
嫉妬すること。
執着すること。
人を苦しめる、心のクセのようなもの。
「煩悩にとらわれない」仏教の教えを
耳にしたことがある方もいるかもしれません。
実際、年末になるとよく聞く除夜の鐘
「108ある煩悩をひとつずつ祓っていく」
儀式として知られていますよね。
だから、多くの人が、煩悩を
「できれば持ちたくないもの」
「克服すべき弱さ」として受け取っている。
ちょっと恥ずかしくて、誰にも見せたくない、
そんな「人間のドロドロした部分」。
たしかに、そういう側面もあるかもしれません。
でも、本当にそれだけでしょうか?
わたしはちょっと、違うと思うんですよね。
∽:祈りは、“煩悩を生きる力”かもしれない
比べてしまうことも、
誰かに求めすぎてしまうことも、
怒ってしまうことも、
ほんとうは、
「大切にされたい」
「わかってほしい」っていう、
小さな願いから、生まれているのかもしれません。
そんな気持ちを、
「煩悩」と呼んできたけれど。
もしかするとそれは、
生きたいと願う、人間らしい衝動
かもしれません。
それって、すごく希望じゃないですか?
NW:それは“日常信仰”と呼ばれるべきもの
ゆうさん記事にもありました。
「日常生活に溶け込んだ信仰」
“信仰”って聞くと、
なにか大げさで、遠いもののように
感じるかもしれません。
でも、
実は、ほとんどの人が毎日やってる
じゃないかと思うんです。
たとえば、
ご飯を食べる前に「いただきます」という。
落ちた荷物を、何も言わずに拾って渡す。
靴を静かに玄関に並べ直す。
誰かのために、何気なく手を差し伸べる。
そのとき胸に浮かぶ
「ありがとう」や「ごめんね」
実はそれが、
いちばん”自然な祈り”なのかもしれません。
「日常信仰」って呼ぶと、
すごく、しっくりくる気がしませんか?
ただ、自然と手が動いてしまう。
心が、ふっとあたたかくなる、その瞬間。
心のどこかで、ちゃんと
やさしさでつながっている。
それがきっと、“日常信仰”という、
静かであたたかな信仰のかたち
なのかもしれません。
≒:煩悩は、溶けかけの氷みたいなもの

煩悩って、なんだか冷たくて、重たくて、
触れるのがちょっと怖いものかもしれません。
でも、たとえるなら、
「溶けかけの氷」のような存在。
じわじわと、静かに、
ほんのりあたたかい光に照らされて、
少しずつ、かたちを変えていく。
そのなかには、言葉にならない”祈り”や、
誰にも見せたことのない”願い”が、
ゆっくりと封じ込められている。
煩悩は、凍った感情の奥に触れたとき、
それが静かに“水”へと変わる瞬間があるハズ。
冷たさの奥に、
ちゃんと“あたたかさ”があるなんです。
ほんの少し、誰かのやさしさに触れたとき、
音もなく溶けはじめるんです。
☹️:それでも「煩悩は悪い」って思う人へ
「でも…」って、思うこともありますよね。
煩悩に従ったせいで、大切な人を困らせた。
恥ずかしくなって、穴があったら入りたくなった。
煩悩って、おそらく──不器用なんです。
まっすぐに生きようとすればするほど、
空回りしたり、すれ違ったり。
だけど、そんな“未熟さ”があるからこそ、
ふと、心の奥から静かに湧いてくる
「ごめんね」や「ありがとう」は、
誰かを大切に想う気持ちが込められていて、
とても深くて、あたたかい。
それは、誰かに教えられて出てくる言葉じゃない。
自分の中からしか、生まれてこない祈りなんです。
◉:煩悩があるから、世界はこんなにも美しい
気づいていましたか?
人間だけなんです。
自分の心に悩んだり、祈ったりするのって。
「これでよかったのか」と悩みながら、
「それでも願いたい」と手を合わせる。
この矛盾こそが、
人間にだけ与えられた奇跡なんだと思うんです。
煩悩を持っているから、人は祈る。
正しい道なのか迷うから、人は願う。
それって、
ほんとうに美しいことだと思うんです。
たとえば、好きな人の幸せを願いながら、
「自分だけを見てほしい」って
思ってしまうときがある。
その不器用さを、
誰かに咎められる必要なんて、どこにもない。
人は、煩悩があるからこそ、美しい。
煩悩があるから、わたしたちは、
今日も誰かのために、
そっと手を合わせられるんです。
→:今日、少しだけ“溶けかけた氷”に気づいてみて
もし今日、誰かに対して、
ちょっとだけモヤモヤしたら。
もし、心の奥がチクッとしたら
それ、“煩悩”です。
でも、悪者じゃない。
むしろ、それは“溶けかけの氷”なんです。
「もっと大切にされたい」
「うまく伝えられない自分が悔しい」
「ほんとは、こんなふうに愛したいのに」
その気持ちは、
まだ言葉にならないだけの“祈りの芽”。
だから、責めなくていいんです。
今日、ほんの少しだけ。
その“氷”に気づいてみてください。
手を当てて、温度を感じてみて。
そして、こう想ってみてください。
「気づいてるよ。
ゆっくりでいいから、溶けていこうね」って。
”溶ける=メルト”なんです。
そして、祈りは、そこから始まるんです。
◎:煩悩のままで、美しい
「こんな気持ちになるなんて、自分はダメだな」
そう思って、自分を責めてませんか?
欲がある。嫉妬してしまう。
傷つけてしまうこともある。
でも、煩悩があるから、
わたしたちは、許せるし、愛せるんです。
不完全な自分に気づいたとき、
「ごめんね」が言えるようになる。
うまくいかない想いのなかで、
「ありがとう」と思えるようになる。
だから、煩悩は“ダメな部分”じゃない。
それは、ほんとうのやさしさを思い出す、
“通路”なのかもしれません。
「それでも、生きたい」
「それでも、好きでいたい」
「それでも、願いたい」
その気持ちが、
いちばんまっすぐな、“光”なのかもしれません。
煩悩のままで美しい。
それは、人間にだけ許された、
最高の矛盾であり、最高の祈り。
欲がある。嫉妬もある。執着もある。
うまくいかない想いも、たくさんある。
それでも、わたしたちは、
「ごめんね」と言えるし、
「ありがとう」とも言える。
それは、心の奥から生まれる静かな気持ち。
不完全なまま、迷いながらでも、
生きていく。愛していく。
そうして、誰かのことを想って、そっと手を合わせる。
それこそが、わたしたちの中に、
静かに宿っている”祈り”なのかもしれません。
そして、
”煩悩”と”祈り”のすべてが溶け合っているんです。
最後まで、読んでいただきありがとうございます。

PS:神様の“幸せとご開運”を祈る
今回の記事は、
新しい祈りのかたち
『神様の“幸せとご開運”を祈る』
(M&C通信Vol.106)へと続く、
小さな前奏曲(プレリュード)みたいなものです。
“祈り”って何だろう?
“信仰”って、どこにあるんだろう?
そんな問いに、もう一度触れてみたくて。
ぜひ、こちらも続きでご覧ください。
今日も最高の一日をお過ごしください!
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