M&C通信Vol.106 新しい祈り『神様の“幸せとご開運”を祈る』~そっと手を合わせてみませんか?~
こんにちは。メルト&クリエイトです。
noterさんの記事を読んで、
コメントしてみると、
その一歩が、心の奥にあった
“ 思わぬ想い ”を引き出してくれる
かもしれません。
“ 誰かの幸せ ”を祈ったことがありますか?
考え方は、人それぞれなので
こんな、とらえ方もあるという感じで
今回の記事を読んでくださいね。
まずは、こちらの記事をご紹介。
🍀くりすたるるさん
「祈り」に最も近い言葉は、わたしにとっては「感謝」です。
・・・・・・・
毎日ひたすら地球に届けていた祈り。感謝。
それを自分自身に向けることを、確かにしばらく忘れていた。
自分のために祈ること。
自分に感謝を届けること。
自分がどんなに素晴らしいか
──を繰り返し思いだし、ちゃんと自分に伝えること。
そうして隅々まで自分を満たし、そんな自分を地球に共振させることができれば──地球もきっと満たされていく。幸せになっていく。
読んでいるうちに、わたしの内側も
静かに整っていくような感覚がありました。
「祈り=感謝」という視点にも深く共感しました。
自分の存在に、日々動いてくれている体に、
感謝を捧げることの尊さですね。
?:そのお願い、届いてる?~神様”が遠い存在だったあの頃
昔のわたしは、神様にお願いすることが
「祈り」だと思っていました。
試験に落ちそうで毎晩泣いた日、
大切な人とすれ違って苦しかった夜。
手を合わせて、「どうか…」と願っていたんです。
「叶えてください」って。
でも、叶わないことのほうが多くて…。
うまくいかない現実に、
やっぱり神様なんていないんだ
って思ってました。
神様を「遠くの特別な存在」として
見上げていました。
まるで、自分には届かない何かのように。
それでも、
どこかで信じたかったんだと思います。
もしかして、神様って、
お願いを聞く存在じゃなくて、
わたしたちの“祈る姿”を通して、
何かを教えてくれているのかもしれないって。
そう気づいた瞬間、
ふわっと胸があたたかくなったんです。
∽:「祈り」が変わった、あの日の気づき
ある日、神社で手を合わせたとき、
ふと風が頬をなでていきました。
そのとき、なぜか涙がスッとこぼれたんです。
「…あれ? なんで今、涙が出たんだろう?」
その答えは、わたしの心の中にありました。
それからは、必死にお願いごとをするのをやめて、
「神様、今日もありがとうございます」
とだけ伝えたんです。
すると不思議と、
心がふわっとあたたかくなって。
その瞬間、気づきました。
祈りって、
お願いじゃなくて、”感謝”だったんだ。
もしかしたら、神様とつながる道は、
外側じゃなくて、内側にあるかもしれません。
NW:神様は“祈りの鏡”だった
そのとき、一つの言葉が浮かびました。
「神様は祈りの鏡」
朝、鏡を見て
「今日は顔色が悪いかな」って気づくように、
神様は、いまの“わたしの心”を
映す鏡なのかもしれません。
感謝を向ければ、
そこにあたたかさが返ってくるような、
そんな優しい関係。
祈りも、それと同じなんだって思ったんです。
感謝で向き合えば、
そこに静かに返ってくるあたたかさがある。
けれど、不満や焦りに満ちた心では、
その優しさにも気づけなくなってしまう。
つまり、
神様は、“今の心”を
映してくれる存在かもしれません。
神様と対話する時間。
それは、自分と向き合う時間
でもあったんですね。
≒:風に語りかけるような祈り

神社でお参りするとき、
風が舞い込んでくることありませんか?
わたし、よくあるんです。
祈っているときに、風が舞い込む。
そして、澄んだ風の流れ、
透き通った音を聴くかのような感触。
心を込めて、そっと声をのせれば、
ふわっと包み込んでくれるような、
そんな優しさがある。
「どうか…お願いします!」と願う声が、
自分の不安を押しつけていたことに
気づくんです。
わたしの祈りは、
風と語り合うようなものになりました。
でも、それに気づけたのは、
ある出来事があったから――
神社で祈っていたとき、目を閉じた瞬間に
ふと小さな子どもの泣き声が聞こえたんです。
なぜか、その声に、昔のわたしを重ねてしまった。
「祈りって、誰かじゃなくて、
まず、自分に向けるものかもしれない」って。
☹️:でも…それって現実を見てないだけじゃないの?
「神様に感謝しましょう」
そう聞くと、なんだか綺麗ごとに
感じてしまうかもしれません。
そう思っていた時期もありました。
「感謝なんてしてる場合じゃない、
現実はもっと苦しいんだ。
願いごとを叶えてほしいんだ」って。
でもある日、空を見上げたら、
ちゃんと青かった。
頬に風がふれたとき、
「あ、今日もここに生きてる」って思ったんです。
与えられてたんだな…って、やっと気づけた。
感謝が、一番大切だったって。
ただ、いつもそばにあったものに、
ふっと気づくことだったのかもしれません。
◉:神様の“ご開運”を祈ることこそ、最上の祈りだった
くりすたるるさんの記事を読んで、
コメントしようとしたときに
日頃、神社で手を合わせる中で、
わたしのある祈りの習慣が、
ふと自分の中で言葉になったんです。
「どうか”神様”がますます
幸せでありますように」と心から祈る。
神様の”ご開運”を祈るというもの。
初めて、祈ったとき、
胸がギュッと締めつけられるような、
でも、どこかあたたかい感覚が走りました。
昔のわたしはずっと
「叶えてください」としか祈ってこなかった。
でもふと、ある神社で
手を合わせたときに気づいたんです。
「神様は今、幸せなんだろうか?」って。
考えてみれば、神様って、
みんなの願いばかりを受け取ってる存在です。
感謝よりも、不安や欲望、
焦りや怒りのほうが多くて、
そのすべてを“黙って”
受け取ってくださっている。
だったら、今度はわたしから届けたい。
願いごとじゃなくて――
「神様がますます光り輝き、
ご開運されますように」という、
心からの恩返しを。
この瞬間、鏡のように
神様がわたしの中にあらわれて、
その祈りが“神様の笑顔”として、
自分の胸の奥にぽっと灯ったのを感じたんです。
→:ご開運を祈ると、世界がやさしくなる
もしよかったら、
今日、ほんの数秒でいいんです。
手を合わせて、こう祈ってみてください。
「神様、今日もありがとうございます。
どうか、ご開運されますように」と。
ただ、心の中で神様の幸福を願う、
それだけのはずなのに、
祈った本人の心が、
すーっと整っていくかもしれません。
まるで、風にそっと
話しかけるようなやさしさ。
その瞬間、自分という存在が、
誰かを幸せにする“祈りの媒体”になるんです。
誰かの願いをかなえることは難しくても、
神様のご開運を祈ることなら、今すぐできる。
そしてそれは、
まるで自分自身も癒されていくような、
不思議な優しさが循環するんです。
◎:神様のご開運を祈るーーそれは心に映る神様の鏡
それまでの祈りは、
叶えてほしい“お願い”のようなものでした。
気がつけば、祈りは
「何かを得るための時間」
になっていたんです。
だけど、ある日ふと、
手を合わせたときにこう思ったんです。
「神様が幸せでありますように」
と祈ることが、すべてにつながるって。
わたしたちは、
日々何気なく生きているようで、
実はあらゆる瞬間に生かされているんです。
空気を吸って、心臓が静かに動いて、
太陽が昇って、目が見えて、
誰かがそばにいてくれる。
これらすべて、当たり前のように見えて、
当たり前じゃない奇跡で
その奇跡を可能にしてくれている存在。
それが「神様」だとしたら、
感謝を伝えるだけでなく、
その神様の幸せを願いたい。と
神様がますますお幸せでありますように。
神様がますますご開運されますように。
そう祈るたびに、
不思議と自分自身の
心もあたたかく、澄み渡っていく。
心も「誠」を持って祈れば、
その向こう側には確かに、
神様が座っていてくださっていて、
その鏡に映るわたしの姿が、
少しずつ整っていくのを感じたんです。
神様のご開運を祈るということは、
見返りを求めるのではなく、
神様の立場に立つこと。
わたしたち人間の願いを黙って受け取り、
嘆きも怒りも、祈りも欲も、
そのすべてをただ静かに
引き受けてくださっている神様。
神様のために祈ることが、
気づけば、魂を磨くことになる。
だから、今日、
”神様”がますます幸せでありますようにと
そっと、祈ってみませんか?
その祈りが、あなた自身の心を整える
“静かな鏡”になるかもしれません。
そして、あなたの心の奥に眠っていた
“思わぬ想い”を、
そっと引き出してくれるかもしれません。
最後まで、読んでいただきありがとうございます。

PS:1つの気づきと透き通る世界
そして、Vol.108では、煩悩の数にちなんで、
少しだけ“心の奥のざわめき”にも
触れてみようと思います。
光の祈りのその先に、”影”があるとしたら。
…そこにこそ、ほんとうの
「祈りの静けさ」が
眠っているのかもしれません。
M&C通信では、”1つの気づき”と
少しでも、”透き通る世界”を
お届けしたいと思っています。
もし、新着投稿のお知らせを
「オン」にしていただければ、
あなたの良い”タイミング”で、
メッセージが届きます。

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