育休中、わたしはもうこの職場に戻れないと悟った
わたしは手塩にかけて育ててきた子の息の根を、みずから止めた。
もちろん実の子ではない。5年取り組んでいた新規事業だ。それでも、自分のせいで葬りさることになってしまった、と虚しさが胸の中に広がるくらいには思い入れがあった。
転職を考えるきっかけのひとつになった、休職する直前の話をしたい。
投入した熱量の分だけの思い入れ
その仕事は、長年したいと思っていた念願の仕事だった。
はじめはうんともすんとも言わない相手に、押して引いて押して引いてと進捗の見えない6ヶ月を過ごした。
やっとのことでこぎつけた契約目前、対面で会うためにコロナ禍の厳しい入出国ルールの隙間を縫うようにして、ハードスケジュールな日帰り欧州出張をこなした。
社内の協力を得るためにロジックも情熱もコネも、使えそうなものはなんでも使ってなりふり構わずお金と人をひっぱった。
そうして手に入れたお金と人を使ったプロジェクトでは、どうにか売上につなげようと所掌の外まであれやこれやした。
1人目の出産のときには、後ろ髪引かれる思いで産休に入った。
復職するときは、その仕事がまさに盛り上がっていて、おもしろいところを逃したくない、と思い半年早く育休を切り上げて仕事に戻った。
1人目が熱を出して日中看病する日も、子どもがようやく寝た後の夜中にお客さん対応をした。
2人目の妊娠がわかったあとも、妊娠初期の不安定な時期に代打もサポートもつけられなかった欧州出張をこなした。
つわりのピークで、移動の電車でゲロを吐きながらお客さんに営業しに行ったこともあった。
そうして、5年越しでようやく大きな市場が立ち上がりそうなところだった。
産休中、わたしの後任はいないらしい
妊娠したことは、すぐに上司に伝えた。
その仕事も含め、わたしがリードして進めていたプロジェクトが複数あったからだ。引継ぎを考えると、休職する2ヶ月前には後任のめどをたてたい。ちょうどそのとき、プロジェクトに入ってくれていた人が立て続けにメンタルの問題で負荷を落としたり、休職したりしているときだった。
とにかく人がほしい。
上司には、引継ぎ先があるか、ない場合はどの程度活動を縮小するか相談させてほしいと伝えた。
そうして、上司から伝えられたことは、
別のプロジェクトの方が優先度が高いから部内の人はつけられない
ということだった。そして、申しわけのように、他の部署の人に仕事を渡せないか交渉してほしいと言われた。
謝罪とお願いを繰り返す日々
プロジェクトを終わらせたくなかったから、必死だった。
でも、どこのだれが、主管部が「優先度が低い」と判断した仕事を引き受けてくれるだろうか。だれだってそんな仕事はしたくない。わたしだって嫌だ。
なんてひどいロジックだ、と思いながら、産休に入ることを伝え仕事を引き受けてもらえないかお願いしてまわる。もちろん引き受け先はない。
休みに入ることを謝り続け、自分がこれまで熱意を持って進めた仕事がここで終わってしまうことがわかってくると、気が滅入った。
だんだん、自分が妊娠したことがいけなかったような気がしてくる。
そうして、後任が見つけられないまま、仕事の幕引きの段取りをつけて産休に入った。
引継ぎ資料にはどうやってトラブルなくクローズするかを書いた。
不甲斐なさと、上司への失望と、やりたい仕事が失われた喪失感と
産休に入って、ホッとした。
ひとりで謝り続け、仕事の幕引きを計画する日々にたぶん疲れ切っていた。お腹の子が産まれてくるのが楽しみだというしあわせな気持ちを、仕事で直面する無力感がまっくろに塗りつぶしていた。
なにもせず、ベッドでただ横になる。
そうして、子どもが生まれて、産後の慌ただしい日々が少し落ち着いたころ、仕事のことが頭に蘇った。
わたし、半年後にあの環境にもどるの?
無理だと思った。
会社としてやると判断されるところまで事業を育てられなかった自分自身への不甲斐なさ。
事業から撤退するという判断を、ひとりの女性が産休に入る、という事実に被せてわたしに負わせた上司への失望。
そして、なによりやりたい仕事がもう失われてしまった職場。
また働きたい、という気持ちがちっともわいてこなかった。
未来への期待
惰性でなんて、働いてられない。
2人の子を抱えて働くのは、どうがんばっても大変だ。そんな大変な仕事、おもしろくなかったらやってられない。
復職するのが待ち遠しくてしかたがない。
そんな仕事を自分に用意してあげたいと思った。
そうしてわたしは育休中に転職活動をはじめた。
いいなと思ったら応援しよう!
こんなところまでお読みいただきありがとうございます!
なにか心が動きましたら、チップでお知らせいただけるととってもうれしいです。