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#映画感想文381『ブルーベルベット』(1986)

映画『ブルーベルベット(原題:Blue Velvet)』(1986)を映画館で観てきた。

監督・脚本はデビッド・リンチ、出演はカイル・マクラクラン、イザベラ・ロッセリーニ、デニス・ホッパー。

1986年製作、121分、アメリカ映画。

大学生のジェフリー(カイル・マクラクラン)は、父親が急病で入院したため、田舎町に帰省する。その病院からの帰り道、彼は草むらに人の耳が落ちているのを見つける。切断された耳には蟻がたかっている。事件を直感した彼は、その耳を紙袋に入れて、警察署に向かう。

ジェフリーは知り合いのウィリアムズ刑事にその耳を渡す。この件に深入りしないよう忠告されるものの、好奇心が抑えられず、ウィリアムズ刑事の家まで押しかける。帰り際、娘のサンディから、キャバレーの女性歌手ドロシー(イザベラ・ロッセリーニ)が事件に関わっているらしいと聞かされ、ジェフリーはドロシーについて調べるためキャバレーへ行き、仕事終わりの彼女を尾行して自宅を特定し、害虫駆除業者に偽装して家に入り込み、スペアキーを盗む。

ドロシーがキャバレーで歌っている最中に、合鍵で不法侵入したジェフリーが家の中を探っていると、ドロシーが帰宅する。ジェフリーはクローゼットの中に隠れ、抜け出すタイミングを窺っている。すると、男(デニス・ホッパー)がやって来て、ドロシーの夫と息子が男によって拉致監禁され、落ちていた耳は夫のものであることが判明する。そして、ジェフリーは反社会的な犯罪組織の人間たちの異常な日常に巻き込まれていくようになる。

正直に言うと本作には、まったく入り込めなかった。まず、ジェフリーの無駄な実行力とやり抜く力にドン引きである。中盤、ジェフリーはドロシーと関係を持つようになるのだが、一旦、ドロシーがNOをはっきりと示したのに、無理やり行為を続けたシーンは性的不同意を示すことの難しさを改めて感じさせられた。それは単純な性欲ではなく、女性に対する征服欲、屈服させたい、という加害欲であり、擁護できない。

ガールフレンドのサンディも「コマドリは愛を運んでくるのよ! 世界には愛が必要なの!」と唐突に主張して意味不明。ドロシーと関係を持っていたジェフリーを許して、幸せな家庭を築いたというラストもまったくもって理解できない。

登場人物たちがエキセントリックで、ときにサディスティックに、人間をコントロールするために暴力(性暴力含む)をふるうので、いっそのこと殺してくれ、という気分になるのはジェフリーではなく観客のわたしだったりする。

もともと、デビッド・リンチは物語のつじつまなんか気にしていない。我々の日常も、案外そんなものなのかもしれないが、人間の狂気や凶暴性はできる限り遠くにあってほしいもので、わざわざフィクションで触れたいとも思わないと再認識した。

蛇足。この数日後、『教皇選挙』のすべてをかっさらうシスターが、「この人、『ブルーベルベット』の女優さんに似ているな」と思ったら、イザベラ・ロッセリーニその人であった。体当たり演技をした俳優は、やはりキャリアに対する覚悟が認められ、仕事を続けられるのだなと思った。

(もしかしたら、1980年代の観客たちよりも、本作に影響を受けて作られた作品を観てきた2025年を生きるわたしのほうが、暴力描写に馴れており、むしろそういったものにうんざりしているから、余計に好きになれなかったのかもしれない)

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佐藤芽衣 チップをいただけたら、さらに頑張れそうな気がします(笑)とはいえ、読んでいただけるだけで、ありがたいです。またのご来店をお待ちしております!

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