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風船と戦争・小倉 旅のフォトアルバム

炭鉱巡りをしてきましたが、小倉の町も歩いてみました。
小倉は広島の次の原爆投下予定地でした。戦時中の小倉を知りに行きます。
あと豚ステーキがおいしかった。
前回の記事はこちらから。

炭鉱節発祥の地にあるJR田川伊田駅から小倉へ戻ります
気動車で日田彦山線を進んでいきしょう
田川伊田駅は炭鉱、香春駅は石灰鉱山、採銅所駅は奈良時代の銅山と沿線は鉱山があるんですね
山間を走り、小倉までの半ばにある志井公園駅からは平地で町並みが広がります
西小倉駅で下車 ここから勝山公園へ15分くらい歩きます
目的地に到着 意外と小さな施設でした
北九州市平和のまちミュージアムです!
まずは戦前の小倉の街
小倉城周辺にあった小倉造兵廠を中心とした小倉の紹介
風船のあるフロア これは風船爆弾の模型
直径10の気球で和紙とコンニャク(接着剤)で作られました
作業は学徒勤労動員で動員された女子学生

風船爆弾は当時の日本の気象学の成果で、世界が一般的に知らなかったジェット気流(西から東へ常に流れる風)を利用して北米大陸へ爆弾を運ぶものでした。
また、水素ガスが抜けて高度が下がると気圧計と連動した重りが落下し、また高度を上げるという技術が使われています。
一般学生を動員した人力での兵器製作は辛かったものがあったでしょう。

Wikipediaで調べると、日本からは9300発が放球され、米国に届いたのは推定1000発、記録では285発、死者は一般人6人。無音でやってくる、細菌が入っている恐怖などがあったようです。
日本では戦果を確認する方法がなく、物資不足にもなって止めてしまったそうです。

戦時中のポスター
「ラヂオは許可を得て聴きませう」
え?そうだったの?
次のフロアは戦火のフロア
空襲警報と警戒警報のサイレン、戦時下のくらし
1944年6月に中国から飛来したB-29によって八幡、小倉、門司など大規模空襲されました
1945年8月8日は八幡製鉄所のある八幡市(当時)は焼夷弾によって火の海となりました
模型は焼夷弾をまとめた集束弾です 上空で焼夷弾110本がバラバラになります
八幡の町は45万発と言われる焼夷弾が降り注ぎました

そして8月9日朝、標的にした原爆を積んだB-29が小倉に飛来。
前日の八幡大空襲の煙と八幡製鐵所からの煙幕で、B-29は小倉の標的を確認するために旋回。その間に高射砲による攻撃、日本軍の迎撃機もやってきたことで長崎へ向かいました。
このあたりは、360度シアターでアニメでみることができます。
かわいい絵柄のアニメだけに、少し目頭が熱くなりました。
ミュージアム公式はこちらから!

さて、閉館時間となったので早めの夕食へ

紫川に架かる中の橋を歩いていたら…
マカロニな人が並んでた!
小倉の繁華街・魚町にある豚ステーキ専門店Bさんへ
「豚ステーキ定食 200g」をいただきました
豚肉大好き!おいしかった!
ホテルに戻りました

次は石炭がたどり着く若松港へ行きます、
他の記事はこちらから

#旅のフォトアルバム

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