まどろみの中の一年坊主
昭和三十七年四月。鹿児島市常盤町。常緑広葉樹生い茂る低い山々に抱かれ、古い石塀が目立つ静かなその町を、僕は、母とふたりで小学校に向かって歩いていた。真新しい上着と半ズボン、首元には慣れない蝶ネクタイ。まだ見ぬ新しい生活への期待に胸を膨らませながらも、いつになく緊張していた。そのせいもあってか、小学校の入学式が行われたその日のことをよく覚えている。
雲ひとつない日本晴れ。道沿いに見える生垣の椿の葉が、春の日差しをキラキラと跳ね返していた。その頃流行りのタイトスカートを身に付けた母が、横を歩いていた僕にこう言った。
「足もとに気を付けなさいよ」
僕はその声に従って足元に視線を落とし、母の履いていた細いハイヒールの固い足音と、自分のゴム底靴の足音を聞き比べていた。
― お母さんの足音はゆっくりで、僕のはパタパタで速い ―
足元に気を付けるっていうのは、そういう意味じゃないのに…。
その頃の裏道は殆どが未舗装で、排水溝は蓋が被っておらず、路面には、水たまりが出来そうな窪みがあったり小石が転がっていたりした。
門から入ってすぐ左に向かうと、その先に講堂があった。それまで通っていた幼稚園の“リズム室”とは違い、動物や花をかたどった飾りつけも無く、そのだだっ広くてそっけない空間に、身が縮みそうだった。真ん中あたりに、移動式の黒板がいくつも並んでいて、大きな紙が貼られていた。そこには一組から六組までの生徒の名がずらりと並んでいた。生まれ月によってクラスが決められ、三月生まれの僕は一組だった。
そこから校庭へと移動し、朝礼台の前に並べられた木製の椅子に腰かけた。青空の下で児玉校長先生の挨拶を聞いたが、何を話したか丸っきし覚えちゃいない。幼稚園の先生とは全然違って、話し方が堅苦しくて、ちっとも面白くなかった。
各クラスの担任の先生が紹介され、僕らの前にやってきたのは、中肉中背のおじさん先生。隣の二組が女の先生だったのが羨ましかった。その男の先生の後をついて、子どもたちはぞろぞろと移動し始め、渡り廊下を伝って教室に向かった。どこに向かっているのかわからず、ただ付いて行くだけ。子どもたちは、キョロキョロまごまごとし、なかなか前に進まない。あくびが出てきそうだった。
教室は、校庭の一番奥の校舎の中にあった。一年生は一階。一組だから一番西の端っこ。教室の後ろに親たちがずらりと並び、先生が前の真ん中に立った。後ろと前、両方に挟まれて、なんだか緊張した。
短い挨拶のあと、先生は、黒板に向かって自分の名前をチョークで書き始めた。
― は・ま… ―
そこまで書いたところで、一人の男児が、素っ頓狂な声をあげた。
「はまのうえ先生けえ?」
背後の保護者たちから、ドッと笑いが起こった。
教室に漂っていた緊張感が一気にほぐれ、そのせいか、記憶はそこまででプッツリと途切れている。
その男の先生は「浜上(はまうえ)竹松」という名前だった。見た感じは、普通のおじさんだったが、寄り目をして笑わせてくれたり、親指を切り離す手品をして驚かせてくれたりと、思ったより楽しい先生だった。隣の二組のおばさん先生の名前は「門松先生」。浜上「竹松」先生との絶妙の組み合わせは、絶対に誰かが狙って隣通し並べたものだと勝手に思い込んでいた。
教科書の内容は簡単だと思った。幼稚園を出た子どもなら平仮名ぐらいは読めたし、算数の教科書は簡単なパズルみたいで、“勉強している”って言うより遊んでいるみたいだった。
高校教師だった父から、「言うことをききなさい」「文句を言うな」なんて、ちょっと口うるさいぐらいに言われていた僕は、その言葉を忠実に守り、いつも元気に手を挙げて、得意げな顔で答えている幸せな六歳児であった。
でも、一度だけ、それが行き過ぎて、ちょっとしでかしたことがあった。「大きな声で読みなさい」って言われるもんだから、もう目一杯褒められようとして、声が割れるほど大声で叫びながら…、いや叫ぶっていうより、ほとんど喚きながら読んだことがあった。読み終えると、先生は見開いた目を寄り目にしながら、顔を左右に振った。
「ほおおおお!大きい声が出たねえ!」
と、派手な抑揚で驚いてみせ、
「でもね、そこまで大きな声を出さなくても、みんなに聞これば、それでいいからね」
と、怒ることもなく、ユーモアで受け止めてくれた。
まだ、手加減というものを知らない困ったちゃん。あれこれと想像しているときでも、やっぱりそんなところがあって、想像が想像を超えて、妄想の世界に突っ走ることも珍しくなかった。
校舎の南側、朝礼台の背後に、植えられた広葉樹の葉が日光を遮る涼し気な一角があって、築山の陰に子どもの姿をかたどった石膏像が何体か設置されていた。その大きさは、一年生になったばかりの自分の体と大差ない。
― ひょっとして、中に子供が閉じ込められているんじゃないだろうか ―
そんな想像が浮かんだ。そして、あるテレビ番組のことを思い出していた。『恐怖のミイラ』というホラードラマ。その前の年、まだ幼稚園に通っていた頃に放送されていた。その内容は、研究のために日本に運ばれたエジプトのミイラが夜になると蘇り、街を彷徨し殺人を犯すというもので、校庭の石膏像は、そのミイラの姿を連想させ、なんだか不気味に見えた。
敷地内の北の隅には、今では見られなくなった焼却炉あった。一年生はまだ赤子扱いで、掃除をやらなくてもよかったが、ちり焼き窯に近寄ることも許されていなかった。
その頃、どこかの小学校の焼却炉で、子どもの死亡事故が発生し、先生から「ちり焼き窯には絶対に近付かないように」とのお達しがあった。
ところが、近寄るなと言われると、逆に気になって仕方がない。掃除時間に六年生がゴミを投げ込んでいると、どうしてもその先に目が行く。
― もしかすると、誰かが隠れてるんじゃないか? ―
友だちとかくれんぼをしている時なんかあ「こっちに来いよ。ほらほら」っていう声が聞こえてきそうで、いつもそんな誘惑と戦わなければならなかった。
こうして、いつの間にやら、 ちり焼き窯は、謎に満ちた「妖しい魅惑の空間」となっていた。
常盤町にあった自分の家から見ると、小学校は東の方向にあったが、それよりもっと東に、城西公園という公園があった。その公園は、小学生ぐらいなら軟式野球ができるほどの広さがあり、ほかにそんな公園はなかったので、子どもたちにとって、特別感のある遊び場だった。自分の家からは、ちょっと遠すぎて、それが唯一の欠点だった。
― ああ、もっとそばにあったらなぁ ―
いつもそう思いながら、ちょっと退屈気味に長い道のりをテクテクと歩いて行ってた。
ある時、こんな夢を見た。
いつも気になっていた、校庭ちり焼き窯。あたりに誰もいないことを確かめて、こっそりと中に忍び込んだ。ゴソゴソと身をかがめて奥まで入ると、そのもっと奥に、丸い小さな出口が見えてきた。
― まさか、こんな秘密の出口があるなんて!
その外はどうなっているんだろう? ―
もそもそとたどり着いて、外に出てみると…、なんとそこは、あの城西公園だった。
振り返って、出てきた所を見ると、大きな土管が見えた。公園の片すみに置かれた土管。それは誰も知らない秘密の出入り口だった。
― そうか! ちり焼き窯の奥には、魔法の通路が隠されていたんだ! これからは、学校からすぐに飛んで来れるぞ!―
この夢を現実だと思い込んだ瞬間があったような気もする。「ちり焼き窯の秘密」は、妄想小僧の胸をとろけさせた。
塵焼き窯に続いて、妄想のタネになったのは「販売部」。渡り廊下の途中にあった小さな売店だ。そこには、若くて綺麗な女性がいたのだが、ある有名な女性に似ているように見えた。
前を通るたびに、その人が気になったが、じーっと見るわけにもいかず、視線の端っこでチラ見しては通り過ぎる。そんなことを繰り返しているうちに、またいつもの妄想癖が、もそもそと動き出した。
― ひょっとして本物? いや、そんなはずはないよな ―
そして、僕はこんな夢を見た。
― ある日、小学校に大きな黒い高級車がやってきた。販売部のそばに停
まり、中から出てきた運転手。販売部に向かってこう言った。
「お迎えにあがりました」
すると販売部の中から、白いドレスを着た美しい女性が現れた。その顔
は、
なな、なんと…、
国民の憧れの的、美智子皇太子妃だった ―
その夢を見てからというもの、販売部のお姉さんの正体は、美智子さまなのかもしれない…、などと、とんでもないことを考えるようになっていた。
― でも、なんで鹿児島の小学校になんか来ているんだろう? みんな良い
子にしているかしらって、ノートや鉛筆を手渡ししながら観察している
のかもしれないぞ ―
ある時、消しゴムを無くたことに気付き、「買わなきゃ」と思って母親に申し出ると、ランドセルのポケットに小銭を入れておいてくれた。
それなのに、なんだか販売部に近寄り難い。
その日は、とうとう買うことができないまま、家に帰った。
次の日も、やっぱりドギマギしてしまい、販売部の前まで行けなかった。
そのまた次の日も、朝からそわそわ…。帰る間際になってようやく決心がついて、販売部の前までたどりついた。
「消しゴムをください」
消え入りそうな声しか出なかった。背中からランドセルをおろし、不器用な手先をポケットに入れる。
すると…,
― 入ってない! ―
ポケットの中をを覗き込んで見ても、スッカラカン。
― これはマズイ! ひっじょ~にマズイ! ―
憧れの美智子さまが見ている。焦りに焦った。顔がほてって、赤くなっているのがわかる。
やっとの思いで口から出てきたのは、さっきより、もっとちっちゃい声。
「お金が…、入ってなかった」
お姉さんは、呆れた顔で、面倒くさそうに鼻を鳴らした。
そばからよく見ると、美智子さまとは全然違う顔だった。
ショックと恥ずかしさで傷付いた。しょんぼりと肩を落としてトボトボと家路に付く一年坊主。
帰り着くや否や、猛烈な勢いで母に抗議した。
だけど、反応はあっさりとしたもの。
「何日も鞄に入ったままになっていたから、もういらないのかと思って、取り出したよ。だけど、あんた何でそんなに怒ってるの?」
母は、ぽかんとした顔でそう聞いた。
僕は何も答えることが出来なかった
クラスには、いろんな子がいたけど、そんな自分を筆頭に、みんな頼りなく見えた。
― こんなんで、おとなになれるんかなぁ? ―
それに比べて、周りのおとなたちは、いつも自信に満ちて見えた。僕が道を歩くときは、キョロキョロしながら歩くけど、おとなは、まっすぐ前を見て、まっすぐに歩く。これは、大きな違いに思えた。
― よし! これからは、自分もおとなみたいにまっすぐ歩こう ―
心にそう決めた。
これを乗り越えなきゃ、自分はいつまでもおとなになれない。
そう思った僕は、背筋を伸ばし、遥か前方を見据えながら歩き始めた。
― うん、なかなかいいぞ。この調子だと、この子はなんだか違うぞっ
て、思ってもらえそうだ ―
胸を張って歩く自分に大満足だ。
ところが、歩いているうちに、ちょっと窮屈になってきた。
― いや、ここは我慢だ。おとなになれないと困るのは自分だ ―
そうして頑張って歩いていても、誰とも擦れ違わないし、見ている人もいない。
― 人がいない時ぐらい、ま、いいか ―
道端の花や飛び出して来た猫に気を取られ、最初の決心なんかすっ飛んでしまった。いつものように、あっちキョロキョロ、こっちふらふら…。
帰り着いてから、やっとその大失敗に気付き、大いに悔しがるのだった。
― よし! 今日こそは、あきらめたりしないで、最後まで頑張るぞ ―
しかし、何度チャレンジしても、いつも結果は同じだった。
そんなある日、いつものようにキョロキョロふらふらした挙句、道端にしゃがみ込んで側溝を覗き込んでいた。その頃の側溝は、自然石を並べて作られていて、石の隙間に沢蟹が隠れていたりしたのである。夢中になって探していると、背後から、突然声が聞こえた。
「何をしているの?」
びっくりして振り返ると、声の主は父だった。
恥ずかしかった。
真っすぐ歩こうと、あれだけ張り切っていたのに、すっかり忘れて、道端にしゃがみ込んで無心に溝を覗き込んでいる。そんなみっともない姿を見られてしまった。よりによって一番見られたくない自分の父親に…。
どうしてよいかわからず、そのままじっと固まってしまった。
そのとき僕は、きょとーんとしていたらしい。まるで、知らない人に声を掛けられたようだったと、父から後々まで繰り返し聞かされた。
「無精ひげをはやしていたから、誰か分からなかったんじゃないか」
父はそう言っていた。
でも、そうじゃなかった。
親の顏がわからないはずがない。ただただ恥ずかしかっただけ。
ある日曜日、僕は、母に連れられ、常盤線の常盤停留所からバスに乗り込んだ。そこが起点なので、バスはしばらくエンジンを止めて発車時刻を待っていた。
静かな車内。
僕は、退屈凌ぎにキョロキョロと中を見渡した。最初に目に入ったのは、前にいる運転手さんの後ろ姿。大きなバスを動かす運転手さんはすごい、と、前から思っていた。制服を着て制帽を被っている姿は、やっぱカッコいい。
座席にはおとなの人が何人か坐っていた。みんな僕みたいにキョロキョロなんかせずに静かに待っている。子どもの自分とは大違いだ。
― いや、僕だって、もうちっちゃな子どもじゃない。ここはひとつ、何か大人びたところを見せて皆を感心させてやろう ―
それには、どうしたらよいかと考えた。最初に思い浮かんだのは、腕時計を見る動作だった。でも自分は腕時計なんて持ってない。ほかに何かあるかな?
浮かんできたのは「五時」という言葉だった。
母は定時制高校の先生で、仕事に出かける時、よく口にしていた。
「わあ、もう五時だよ、急がなきゃ」
その時間が、大人の世界への入り口なんだと思っていた。
僕は、母に向かって、ちょっと気取ってこう言った。
「このバス、五時に出るの?」
ドッとい笑いが起こった。
バス中が笑い声で溢れている。
― なんで? 五時って言ったら笑われた。みんな感心してくれるって思
ったのに ―
うつむいたまま、笑いに耐えるしかなかった。
その日、用事を終えて帰宅すると、真っ先に母に聞いた。
「どうして、みんな笑ったの?」
「あんたが五時に出るなんていうからだよ」
「どうして五時って言ったら笑うの?」
「夕方になるまで皆じっと待ってるなんて、誰が考えてもおかしいよ」
「だって、お母さんが五時に出るって言ったもん」
「そんなこと言わないよ」
「ウチでお父さんと話してるとき、そう言ってたもん」
「あんた何か勘違いしてるのよ」
こんな具合に、たまにドジを踏むことはあったが、授業中に元気よく手を挙げて、質問に答えてさえいれば、それだけで褒めてもらえたし、なぞなぞ遊びみたいなテストに答えを書き込めば、赤い色鉛筆で大きな丸をもらえた。テレビやラジオは魔法のように人の声や姿を伝えるし、外をみれば、バスやクルマが走っている。
― なんて便利な世の中なんだ!
人として生まれてよかった。
犬や猫や亀に生まれなくて本当によかった ―
心の底からそう思った。
その頃、テレビからよくこんな歌が聞こえてきた。
― 君には君の夢があり、僕には僕の夢がある
ふたりの夢を 寄せあえば ―
― 夢を寄せ合う?
自分の夢を見れるのは自分だけなのに…。
どうやってそれを合わせるんだ?
この世の中を自分の目で見ているのは、自分だけ。
他の人の目で、この世を見ることはできない。
どんな感じに見えているんだろう?
もしかすると…、
今自分の目に見えているのは、自分だけが見ている夢なのかもしれな
い ―
妄想は止まらない。
― この世って、うまくでき過ぎてないか?
なんだか自分のためにできてるみたいだ。
もしかすると…、
自分は、長い夢を見ているのかもしれない。
夢から覚めたら、どうなるんだろう?
目覚めたとき、本当はどんな姿なんだろう?
長い夢を見ているんだから、長く眠る動物かな?
だとすると、夢を見ている本当の自分は…、
冬眠中の熊なのかもしれない ―
今は亡き伯父に、こんなことを言われたことがある。
「子どもの頃のめどう君は、夢見がちなところがあったよ」
三歳下の従弟も、それに付き合わされていたそうな。
そう言われたときは、夢見がちだった自分とは、具体的にどのようなものだったのかすぐにはピンとこなかった。
でも、こうして振り返ってみると、かなり重症な夢見小僧だったようだ。
その後、時間だけは確実に過ぎた。
あのとき思い描いていた“まっすぐなおとな”に、今の自分がどれだけ近づけたのか、よくわからない。
もしかすると、今も、おとなのふりをしているだけなのかもしれない。
