思い出ノート ~ 秘宝を求めて
そのノートが始められたのは高校二年のときだった。一冊の大学ノートを仲間内で回して、好きなことを書いていた。
テーマを決めて議論したこともあったが、世間話や学校でのうわさ話、趣味の話や日記のほか軽い冗談や落書きみたいなイラストなど、内容は様々。皆が、ペンネームを使っていたが、互いに顔は知れていた。遠慮がなさ過ぎて、たまに衝突することもあったが、面と向かってのリアルな言葉の遣り取りと違って、過度に感情的になることもなくどこかほのぼのとしており、他の級友たちとは一味違う独特な絆が出来あがっていた。
主な参加者は、リマタ、秋山水(しゅうさんすい)、殺人芸術家、著者、そしてトライトンの五人。その他、たまに参加したのが、無我、よっこ、無名氏、クプクプ、Bamboo、その他数人。
主要五人について簡単に紹介しよう。
まずはリマタ。
おっとりとして人当たりが良く、偶然出会うと、目を細め唇の端っこで遠慮がちに微笑んだ。
油絵を描くのが趣味で、ノートにもよくイラストを描いていた。そこに描かれた人物は、不思議な孤独感を漂わせ、風変わりな童話の一場面でも見ているかのような独特の魅力があった。
また、彼は、ちょっと不思議な能力を備えていた。指先で文字を読むことができたのだ。彼の視界に入らないところで紙に文字を書き、二つ折りにして渡すと、それを腰の後ろに回し、そのままの状態で、その文字を答えた。
マジックだろうと疑ったのだが、最後までタネは分からなかった。
秋山水。
武道家を自認していた。柔道の腕にはいくらか自信もあるようで、ノートへの書き込みの中に「男として」という言葉が、頻繁に見られた。実際に、柔道のクラスマッチで、彼は無敵だった。
彼の部屋を訪ねると、どういうわけだかサバイバル・ナイフや非常食、固形燃料がいつも置いてあった。アウトドア・ライフに興味を持っていたことは確かだ。知能指数一五〇というのが自慢の秋山水は、それらの用具の使用法など、豊富な知識を得意げな表情でいろいろと披露してくれていたのだが、こちらがその方面に興味が薄かったため、いつも適当に聞き流していた。
殺人芸術家。
写真家志望。彼のハンドルネームは長かったので、省略して「殺芸」と呼ばれていた。
ロングヘアーの似合う、どことなく少女のようなルックスとほっそりとしたスタイル。それでいて、眼光鋭い自信家、女生徒受けが良かった。
彼とは、出身中学も同じで、三年の時はクラスメイトだった。
その頃から、写真撮影に興味があることは知っていたが、それが昂じて、アルバイトをして貯めた金で自室の一角に暗室を設け、モノクローム写真を自分で現像しプリントしていた。カメラマンという言葉を嫌い、写真家という言葉にこだわり、そして「美」を「完璧な構成」と解釈し、それを追及していた。カメラを首から下げ、鹿児島市の内外をあちこちと歩き回っていた。
著者。
混乱することがないように、真っ先に断っておく。「著者」と言っても、今書いている僕のことではない。そういうペンネームなのだ。
五人の中で、唯一の女性メンバー。ちょっと小柄で色白。美人という評判もあった。育ちの良さを感じさせる清楚な見た目で、論理的な喋り方を好む少し小生意気な一面を持つ女の子。だけど、挨拶するとき小首を傾げて微笑むという少女らしい自己演出などもちゃんと心得ていた。
言葉の最後にちょっとだけ相手を見据える癖があり、勝気な印象を与えていたが、それがまたちょっとチャーミングでもあった。
彼女は、殺芸の美貌に惹かれていたと思う。ノートを遣り取りするとき、いつも楽しそうに見えた。さらには、殺芸と同じように写真に興味を持っていたため、ノートが切っ掛けで仲良くなり、現像やプリントの技術を殺芸から教わったり、たまに二人で撮影に出かけたりもしていた。当時、写真に関しては、殺芸を尊敬していたと思う。
最後にトライトン。
これが、ノートの創始者でもあった僕だ。トライトンというのは、ギリシャ神話に出てくるポセイドンの息子。海の神であるが、そこから取ったというよりは、ロック・バンド、エマーソン、レイク&パーマーのバンド名の候補に挙がった没ネームをそのまま使った。
ノートは、卒業までに八冊になった。語られたテーマの中では、「人工と自然」「芸術に付いて」が真っ先に思い浮かぶ。
後者については、殺芸とトライトンが、ひたすら自説を主張し、互いを批判し合っていた。殺芸は冷徹な理想主義者になりたがり、トライトンは、純粋は情熱家になりたがった。
著者は、そこに常識的批判を加える。
それに対して、殺芸とトライトンは、「俗物!」と一蹴し、著者は「何よ!」と反旗を翻す。
そこに秋山水が割って入り、論点そのものを否定し、茶化す。悟り切った超越者になりたがり、抽象的な詩を書いて、皆を煙に巻こうとする。そして、自らの肉体と精神の強靭さを誇る。
ところが、トライトンと殺芸から、「芸術について何も分かっちゃいないくせに!」と、二人で結託して芸術至上主義が吹き荒れる。
そうなると秋山水は、孤立無援で分が悪いが、負けちゃいない。
結託した殺芸とトライトンは、そこで和解するかと思えば、そんなことはなくて、また最初の状態に戻るのである。
ところで、その間、リマタは何をしていたのか?
彼は、むき出しの自己主張などしない。適当に他のメンバーを褒め上げ、のんびりと冗談に以降して行く。文末に「ホホホホホ…」などと書いてフェイドアウトするのである。
まあ、楽しかったね…。
授業が終わると、ノートのメンバーの誰かと連れ立って帰ることが多かった。僕は路面電車で通学していたが、他の男子は自転車通学。殺芸もリマタも秋山水も、僕と歩く時は、自転車を引きずりながら話した。
僕は僕で、すぐには電車に乗らず、長い距離を歩いた。決まった経路をたどらずに、峠を越えたり、海岸に出たり、天文館繁華街に寄ってレコードショップを冷やかしたり…。
僕らは本当によく歩いた。そしてよく話した。ノートのこと、音楽のこと、絵のこと、女の子のこと。話していれば、みんなご機嫌だった。
将来についてもよく話した。漠然としてはっきりとした姿を見せない、しかし確実にやってくる未来について。
「好きなことを追求できる人生だったら、貧乏でもいい」
金の苦労もしたことがないくせに、繰り返しそんなことを言っていた。
そんな中で、リマタだけは違っていた。
「僕は、歯医者を継がなければならない。絶対に金持ちになる。金にならない患者は他所に回して、金持ちの患者からぼったくってやる」
どこまで本気で言っていたか分からないが、甘っちょろい理想主義ばかり聞かされて、気恥ずかしさを感じていたんだろう。
そういったメンバー間の交流で、それまでの行動や思考パターンが広がることも多かった。
殺芸の影響で、芸術写真や社会派の報道写真、カフカ、サルトル、カミュらの不条理哲学などに興味を持ったが、休日には、リマタや秋山水と、自転車を連ねて山野を駆け巡ったりもした。
東にいつも桜島が見える町。火山灰質の土壌は、軽石を多く含み、白っぽく見える。風に乗って、砂塵となって舞い上がり、大地は鉄が焼けたような独特のにおいを放っていた。
広く青い空の下で、時がゆっくり流れているかのようだった。
ある夏の休日、リマタと秋山水に誘われて、海に泳ぎに行ったことがあった 。
この二人は、アウトドアの経験が豊富で、薩摩半島の海水浴場よりは、桜島の岩場を素潜りしたほうが楽しいことを知っていた。彼らの助言に従い、シュノーケルと足ひれを購入し、人生初の素潜りを経験させてもらった。
晴れ空の下、自転車で桜島桟橋へと向かい、そのままフェリーに乗り込んだ。
デッキに立ち、潮風を受けながら、船の前進が巻き起こす飛沫や、遠い波間で揺れる光、飛び交うカモメの姿などを楽しんでいると、雄大な姿を見せている台形の山が次第に間近に迫ってきた。
桟橋に到着すると、自転車三台を連ね、西側に海の輝きを見ながら、南へと進んだ。
岩場にたどり着き、いざ潜ってみると、岩肌から海藻が伸び、その周りを可愛らしい魚たちが遊んでいる姿が見えた。
なるほど、これは素敵だと思った。
色鮮やかな小魚たちを追い回し、岩陰から伸びる海藻に手を伸ばし、そして、くたくたになるまで泳ぎ、潜った。
泳ぎ疲れた後、桟橋付近の大衆食堂で食べたラーメンの美味さが忘れられない。
味そのものというよりも、極限的な空腹感が一気に満たされる幸福を、ひたすら胃袋で感じ取っていたのだと思う。
帰りのフェリーでは、近づいてくる鹿児島の街の灯りに目を奪われた。
夕焼けの色がわずかに残るほの暗い空の下で、輝きを放つ様子は神秘的で美しかった。
デッキのベンチに疲れた体を沈めたまま、皆次第に口数が少なくなり、夕闇迫る中、自分たちを待ち受けている街の輝きに見入っていた。
街は優しく待ち受けているように見えた。
フェリーから降りると、その淡い期待ははじけ飛んだ。
全身がくたばり、大腿筋が痛みペダルはやたらに重く、腕には力が入らない。本当にフラついた。その様子を偶然見かけた人は、たぶん笑いを堪えるのに困ったことだろう。ペダルの一漕ぎ一漕ぎに、えっちらおっちらと体重を預けながら、通り慣れているはずの自宅までの道のりが、まるで永遠の試練のように感じられた。
メンバーの誕生日がやってくると、それぞれ手作りのプレゼントを作って渡した。
殺芸からのプレゼントは、自分で撮影した写真を引き伸ばしてパネルに貼ったもの。
僕がバンド演奏する機会があると、いつでも駆けつけてくれ、いろんなアングルで撮ってくれた。
他の人が撮る写真は、まるで静止しているようなおとなしいものになることが多かったが、彼の手にかかると、いつも激しい動きが感じられ、今にもロック・サウンドが聞こえてきそうな迫力あるものになっていた。
僕からのプレゼントは、一本のカセットテープ。その内容は、オリジナルやコピー曲を、ピアノと電子オルガン、そして歌を多重録音して作ったものだった。
リマタは、絵の具を塗った板に、釘のようなもので引っ掻いて描いた絵を持ってきたが、僕の誕生日には、もう一つ小さな贈り物が添えられていた。
小さな箱を差し出し、開けてみろと言う。なんだか妙に意味有り気な顔をしているので、妙なカラクリでも仕込んであるのかと、用心しながら蓋を開けてみると…、
そこには、実に奇妙な物が入っていた。
人の指そっくりな形をしており、切り口のところは鮮やかな血の色をしている。
「ちょっとそれ触ってみて」
そう言われ、手を伸ばし触れてみると、
その途端、背筋がゾクッとし、慌てて手を引っ込めた。
その感触は、まさしく人の指だった。
物体に触ったというより、人の指先と“触れ合った”という感じ。蒼ざめた指には指紋もあり、実物そのものといった弾力を備えていた。
「僕の指だよ」
リマタは、ニヤリと笑った。
「血が抜けると、そんな色になるんだよ」
彼の左手を見ると、中指に包帯が巻いてあり、不自然に短く膨れ上がっていた。本当に指を切り落としたのだというアピールのようだった。
さすがにそれはないだろうと思ったが、もしかすると指は本物かもしれないと思った。
解剖用の死体置き場にでも忍び込んで、こっそり切り取ってきたのかも知れない…。僕は、思考をかき乱されていた。
どうやって作ったか、なかなか明かさなかったが、ついには白状して「ガムで作った」と言っていた。
このように、リマタは人を驚かすことに不思議なほどエネルギーを費やすことがあった。
いつもそんな感じだったので、リマタがノートに何かを書いても、皆あまり真面目に受け止めようとはしなかった。
あのことを書き始めたときも、最初は、みんな大して気に留めていなかった。
それは、リマタが夏休みの課外 授業をサボって、県立図書館に行ったところから始まっていた。
彼は、一冊の古い本を見つけた。
キリシタンの財宝について触れたもので、著作者は花田某氏とか言ったが、フルネームは思い出せない。
その本の中に、宝を埋めた場所を示す暗号のような文章を見つけたことが、書かれ始めた。
どうせまたいつものホラ話だと思い、皆、軽い気持ちで読み飛ばしていた。
それが微妙に変化し始めたのは、何回目かに、彼自身による暗号文の謎解きが書かれ始めた頃からだった。
秘文にちりばめられた謎めいた言葉の意味を推理し、それに従って実際に行動を起こし、ひとつひとつ解き明かしていく様子がリアルに書かれて行く。
僕らが通っていた高校の周囲は、上町と呼ばれる閑静な住宅地。古くからの名士の邸宅も多く、どことなく気品の漂う町並みだった。
校舎の裏手は、福晶寺という古寺の跡地。室町時代初期に、島津家第七代元久によって建立され、一時は僧侶が千五百人もいた名寺だ。
島津家歴代当主の墓所があり、深い緑に抱かれたその静かな一角には、古い墓石に混ざって、苔むした石棺のような物が置かれていたりもした。
暗号文に秘められていた指示に従い、古寺跡地周辺を歩き回り、その配置を照らし合わせると、謎めいていた文面からある意味が浮かび上がってきた。
まるでミステリー小説のような心躍る展開に、メンバー全員が惹き付けられた。
そしてついに、あと一歩で秘文の全容が明らかになりそうな所まで漕ぎ着けた。
その頃になると、もう皆が夢中になっていた。
あ…、いや、そうじゃなかった。「皆」じゃなくて、ただひとり「著者」だけを除いて、というのが正しい。
この頃の著者の書き込みは、
― 宝が見つかるといいですね ―
なんていう、やんちゃな息子たちを見る母親のような、一歩引いた感じになっていた。
リマタの謎解きに夢中になっていた男子四人組。
ところが、ここまで来て、ひとつ困ったことが生じた。最終的な解読には、福昌寺がまだ廃寺になる以前の、古い地図が必要なことが分かったのだ。解読された言葉は、その地図の上で初めて意味を成す。
そんな見たことも聞いたことも無い地図を、名も無き高校生に過ぎない自分たちが、入手できるとは、到底思えない。
ゴールは目前に迫っている。
それなのに、それ以上は踏み込むことも近づくこともできない。
そのじれったさに、誰もが歯ぎしりした。
立ちはばかる大きな壁に阻まれ、苛立ちは、次第に落胆へと変わっていった。
やがて、皆すっかり諦めてしまい。宝のことなど忘れて、誰もそのことを口にしなくなっていた。
そんなある日のこと。
朝、登校して顔を合わせるなりリマタは笑みを浮かべ、一枚の紙切れを差し出した。
「地図が見つかったよ!」
驚いた。
骨董屋を巡り歩き、ようやく見つけたという。
なんて素敵なやつなんだ。
他の皆が諦めていたというのに、彼だけは、その後もひとりで黙々と古地図を探し続けていたのだ。
皆が胸をときめかせ、目を輝かせた。
リマタは、その古い地図を開き、自ら解読した内容に沿って、その上を指でなぞり、財宝が眠っている場所を特定した。
その場所とは、いつもの行動範囲から大分南に外れた、古寺の跡を含む公園の敷地内だった。
その寺は、飛鳥時代、百済の名僧日羅によって開基されたと伝えられ、天文11年(1542年)島津15代貴久のとき改宗して福昌寺の末寺となった。
暗号文と古い地図によって浮かび上がってきた結びつきは、歴史的背景とも符合していた。
リマタの解読によると、財宝は、その公園内を流れる川のそばにある、大きな三本の木のうちの一本。その根元を掘れば見つかることがわかった。
僕らは早速、発掘計画を企てた。シャベル、ナイフ、ロープ、布袋など、必要な道具類を揃えるのは、秋山水の得意分野だった。
計画が実行されたのは、それから随分時間が経過した、真冬の二月だった。
南国鹿児島と言えども、二月はやはり寒い。なぜ、そんなに時間が空いたのか…。
それはこういうことだった。
実行すれば、当然体力を消耗し、体は疲れ切ってしまうだろう。だから、翌日はゆっくり休む必要がある。ということで、二連休を待ったのである。その頃は、まだ週休二日制が施行される以前のことで、土曜日も半日だけ授業があったので、冬にまでズレ込んだのである。
そしてその日がやってきた。
人目を避けるために朝五時の集合ということになっていた。
ところが、その日は朝からあいにくの土砂降り。いくらなんでもこの悪天候だと中止するだろうと思って電話で連絡を取ってみると、誰一人としてそんなことは考えていなかった。
問答無用の雨天決行。
自分以外の三人は、いつも自転車通学をしており、雨の日は雨合羽を着て普通に通っていたのだ。
集合場所は、たぶんリマタの家の前だったはずだが、気持ちがすっかり財宝に向かっていたせいか、そのときの様子が思い浮かばない。
全員揃って、いざ出発。
三人は、猛スピードですっ飛ばした。なぜそこまで飛ばすのだろうかと、恨めしく思いながら、最後尾を付いて行った。
土砂降りの中では、雨具もさして役には立たなかった。叩きつける雨が、目に雨が入らないように顔をしかめながら、懸命にペダルを漕いだ。下着まで雨が入り込み、びしょ濡れになって漕ぎ続けた。
現地にたどり着いてみると、蛇行する小川の周囲に、生い茂る草木に覆われた小山が連なっていた。
苔むした石道、石仏などの遺跡群の中を、あちらこちらと歩き回り、条件に当てはまる場所を探し回った。
足場が無くなると、川の中をザブザブと流れに逆らって歩いた。
しかし、なかなか手がかりは掴めない。
数知れない木々の中から一本を絞り込み特定することは簡単なことではなかった。
簡単に見つかるような場所に隠すはずもない。
励まし合って、とにかく歩いて歩いて探し続けた。
地図の上では点に過ぎないその地区も、実際に足を運んでみると、じつに広大だった。公園内にある自然遊歩道は、全長三キロにも及んでいる。進路を変え、あちらこちらと隈なく探すのだが、なかなか手掛かりはつかめない。
それとおぼしき三本の木、一体どこにあるのやら…。
手応えが掴めないまま時間ばかりが過ぎてゆく。
これはどうも、かなり広範囲を掘り起こしてみなければ、財宝は見つかりそうにない。四人の手足で掘り出せるほど、事は簡単ではないんじゃないか…。
実際に歩き回って、体で感じた空間の広がりは、地図からだけでは読み取れなかった。
準備した道具は、家庭の庭いじりのサイズでしかない。この広い土地の中にあっては、おもちゃ同然だ。
僕らは、その小さな道具を使って、こっそり掘り起こして富を手にするつもりでいたのだ。
この思惑違いは、気分を萎えさせた。
たとえ自分たちが大人になって十分な資金を得たとしても、名勝地とされている場である。そんな場所を誰にも知られずに掘り起こすなど、まず不可能だ。
実際に現地に足を運んで、現場のスケールを体感してみて、初めてそれを悟ったのである。
すぐそこにあるはずの財宝が、目の前から急速に遠ざかってゆく。
無性に恥ずかしかった。
僕らは、自分たちのサイズに合わせて物事を考えていたに過ぎない。
敗北感に打ちのめされ、自転車も、ノロノロだった。気持ちが昂ぶっている間は良かったが、落胆と疲れで動作の鈍くなった体は、降り注ぐ雨にやすやすと体温を奪われた。
リマタの家に辿り着いたときには、皆血の気の失せた顔で震えていた。
タオルを貸してもらい体を拭き、ソファーに身を沈めたときは、全身の力が抜けるようだった。
湯気を上げるミルク入りのコーヒーの温かさが嬉しかった。
窓から外を見ると、いつの間にか雨も上がり、雲の切れ目から、空の輝きが見え始めていた。
** **
あれからもう五十年もの時が過ぎた。
こうして当時を振り返ってみると、その能天気さには、ほとほと呆れてしまう。十分な下調べも無しに、真冬のそれも悪天候の中で敢行し、足場の悪い場所を、ただうろつき回って、すごすごと帰ってきて終わりである。
いくら若かったと言えども、この行動は無鉄砲過ぎた。
後になって考えると、何から何まで怪しさ満点だった。いや、当時にしても疑わしさは薄々感じていたのだが、財宝を手に入れたいという欲望が、それをかき消していた。
ノートでの巧みな誘導に、知能指数一五〇が自慢の武道家秋山水、美貌の芸術少年殺芸、ロックキーボード小僧トライトン、こいつら三人、ものの見事に乗せられた。
卒業後、数年経った頃、こちらから「あれは作り話だったのだろう」と、リマタに問いただしたことがある。
すると返って来たのは、柔らかな微笑みだけだった。
あの財宝が、本当に存在するものなのか、それともリマタの作り上げた架空の歴史ドラマだったのか、今でもわからないままだ。
騙されたのだとしても、被った実害と言えば、ずぶ濡れになりへとへとにはなったくらいのものだ。
それと引き換えにひと時の夢を与えてもらったのだから、憎々しく思うどころか、そのほのぼのとしたプレゼントに、十分満足し、感謝している。
