読書日記『未来の学校 ポスト・コロナの公教育のリデザイン』 ~コロナ禍のゆらぎを越え、真正の学びを創る~
『未来の学校 ポスト・コロナの公教育のリデザイン』(著者:石井英真、出版社:日本標準、出版年:2020年)を読んでの教育行政・学校経営の視点からの読書日記です。
授業時数の回復ではなく、学びの質の保障を
コロナ禍による休校明け、学校現場では遅れを取り戻そうと、授業時数の確保や網羅的な知識の伝達に追われる傾向が見られた。しかし、著者が指摘するように、単に授業を進めることは「学ぶ権利を保障すること」と同義ではない。本当に必要なのは、断片的な知識を「知っている」レベルから、現実世界で「使える」レベルへと引き上げる真正の学びである。 たとえば社会科において、治水という概念を単に暗記させるのではなく、過去と現在の航空写真を読み解きながら「なぜ近年、広島市で水害が起きているのか」という足元の現実問題と結びつけて探究する。あるいは国語科で、「空」をテーマに自ら俳句を詠み、句会を通じて他者の異なる解釈や言葉の広がりを味わう。こうした現実の複雑さや文化の厚みに触れる経験こそが、子供の思考を深め、確かな学力へとつながる。
算数のノートから読み解く「意味のつまずき」
現在、個別最適化やICTドリルの導入が急速に進んでいる。これらは効率的な学習手段となる一方で、ペーパーテストやデジタル上の正誤判定だけではすくい取れない子供の実態がある。たとえば「78 - 39 = 417」という算数のノートの誤答を前にしたとき、これを単なる計算手順のミスと処理するか、39や417といった数の量感が欠如している「意味のつまずき」と見抜くか。 子供が学習を現実世界と切り離された単なる記号操作と捉えてしまっている場合、ドリルを反復させても根本的な解決にはならない。ノートの記述の軌跡を線でつなぎ、問題を解く子供の手元の様子から思考のプロセスを読み取る「質的な見とり(触覚的な感知力)」が不可欠である。
あえて制限を設ける「知識構築」のデザイン
遠隔学習や自学自習の機会が増える中、子供が自ら計画を立てたくなる「良質な課題」の設計も重要なテーマとなる。オンラインで探究的に学ぶ際、自由に情報検索をさせると、調べてわかったつもりになる「単なる情報処理」で終わってしまいがちである。 これを防ぐため、あえて使用する資料を教科書や教師が厳選したテキストに制約し、その中で情報をまとめ、考えを組み立てる経験をさせることが挙げられている。こうした確かなリソースに基づいた思考の足場を組むことで、調べただけで終わらない本質的な知識構築へと導くことができる。子供の自助努力に丸投げするのではなく、学び方そのものを意図的に指導するシステムが求められる。
真正の学びを創る「見せ場」の構築
真正の学びを生み出すには、子供たちが自分の実力を発揮し、すごさやかっこよさが見えるような「見せ場(舞台)」をデザインする必要がある。 前述の社会科や国語科の事例のように、教師があらかじめ用意した正解をなぞるのではなく、教科の「一番おいしいプロセス」を子供にゆだねることが求められる。そして、子供たちが先行研究者である教師に挑み、共に真理を探究する「ナナメの関係」を築くことが重要となる。学校経営においても、こうした教師の挑戦を尊重し、「おもしろそう、それやってみて」と背中を押す支援型のリーダーシップが期待される。
授業観察を「評価」から「子供の学びの理解」へ
こうした質的な見とりや真正の学びを学校全体で高めていくためには、教育委員会や学校管理職による学校訪問や授業観察のあり方を見直す必要がある。これまでの授業観察は、教師の発問の仕方や板書の構成など、指導技術をチェックし、教師を評価する場になりがちであった。 しかし、授業観察は教師を評価する場ではなく、目の前の子供が教材に対してどのように思考し、どこでつまずいているのか、その「学びの事実」を理解するための機会として捉え直すべきである。観察後の対話においても、子供の姿を起点とすることで、教師の専門性を高める実質的な支援へと転換される。
個別最適化を超えた「共同体としての学校」の再構築
近年、AIやICTを活用した「個別最適化」の技術が進歩している。しかし著者が危惧するように、それを単なる知識のドリル学習や、子供たちを孤立化させる方向で導入してはならない。AIはデータの蓄積や情報提示には力を発揮するが、個別の状況を判断し、子供の複雑なニーズに対応する「教育的タクト」は教師にしか発揮できないからである。 効率性や合理化だけを追求するのではなく、多様な子供が対話や協働を通じて人間的に成熟していく「インクルーシブな共同体」としての学校を再構築することが重要である。自由化や市場化の波のなかで、公教育の公共性を守り、教師が目の前の子供と向き合い、質の高い学びをデザインするための条件整備を行うことこそが、教育行政や学校経営が担うべき役割である。
