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読書日記『教育「変革」の時代の羅針盤』 ~「個別最適化」と「協働」の真の統合を目指して~

『教育「変革」の時代の羅針盤』(著者:石井英真、出版社:教育出版、出版年:2024年)を読んでの教育行政・学校経営の視点からの読書日記です。

改革の波に、立ち止まって考える

GIGAスクール構想、一人一台端末、「個別最適な学び」など、ここ数年、教育政策は矢継ぎ早に打ち出されている。学校現場はその対応に奮闘しているが、急激な改革の波に疲弊し、教育本来の目的が見えにくくなっているとも感じる。本書は、「教育DX」や「個別最適な学び」の光の側面だけでなく、その影も冷静に分析した一冊だ。現在の政策動向をどう解釈し、現場の実践へとつないでいくか、多くの示唆を受けた。

「個別最適」が孤立した学びになるとき

著者が強く警告するのは、改革が機能主義的・個人主義的な方向に偏るリスクだ。「個別最適な学び」がAI型ドリルによる自由進度学習に矮小化されると、学びは孤立化し、単なるスタンプラリーのような機械的なものに変質してしまう。また、学習履歴がクラウドで可視化されることで、教師は子供のつまずきに即座に介入しようとする「待てない教師」になりがちだという。子供同士の学び合いの機会が失われ、「指導待ち」の姿勢を助長することなど、現場感覚としても納得できる指摘だ。さらに、知識習得をデジタル教材に、探究や社会性を外部プログラムに外注する分業が進めば、教師は単なる学習管理者へと切り下げられ、教職の「脱専門職化」が進む。学校経営にかかわる問題として重く受け止めた。

「教育的タクト」とは何か

こうした流れに対して著者が重視するのが、教師の「教育的タクト」だ。近代教育学の祖ヘルバルトが提唱したこの概念は、子供をマニュアル通りにコントロールする技術とは対極にある。授業とは、子供同士が複雑に相互作用しながら展開する予測不可能な「ドラマ」だ。タクトとは、その不確実性を引き受け、その場その場で臨機応変に対応する力のことである。そこには、的確な思考・判断という「熟慮」と、子供への共感やいたわりという「配慮」が伴っている。ヘルバルトはこれを「教師への最低限の要求であり、最大限の要求でもある」と位置づけた。教壇に立つ以上誰にでも求められる前提でありながら、高いレベルで発揮するには生涯をかけた修練が必要な、究極の専門性だということだ。

デジタル時代だからこそ、「待つ」判断が生きる

一人一台端末が日常化した今こそ、このタクトは真価を発揮すると著者は言う。端末越しにつまずきが見えても即座に介入せず、思考の隙を見守る「待つ」判断。データを活用しながら「考えを聞きに行ってごらん」と促し、孤立しがちな個人作業の間に子供同士の交流を紡ぐ働きかけ。AIやデータの「最適解」を鵜呑みにせず、目の前の子供の表情やつぶやきを感じ取りながら、ときにはツールを使わない選択をする判断力。これらはAIやシステムには代替できない、生身の教師ならではの専門性だ。

学校組織として、どう育てるか

こうしたタクトを組織としてどう育むかが、学校経営の課題になる。著者が提案するのは、教師が自分の言葉で実践を語り合う「現場の教育学」の構築だ。教師の意図と子供の葛藤のリアルを「私」を主語に綴る実践記録を持ち寄り、「指導法」ではなく「子供の事実」から対話を始める。経験を重ねたベテランも含め、無意識の前提を問い直す「アンラーン(学びほぐし)」を促す。個人の力量に頼るのではなく、チームとして授業改善に取り組む姿勢が、学校組織の自律性につながる。

本書に触れて

改革の波の中で、新しいツールや手法に目が向きがちになるのは自然なことだ。ただ、最終的に教育の質を支えるのは、子供と向き合う人間の教師であり、彼らが育む学校文化だと、本書を読んで改めて感じた。表面的な改革論議に流されず、子供の学びの事実に根ざした実践を大切にしていく。本書はそのための、地に足のついた指針になる一冊である。

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