5月15日衆議院厚生労働委員会&ボブ・ディラン
【5月15日衆議院厚生労働委員会】
前回、「支援内容の検討が十分になされていない場合”って、どうやって判断するのかな?」
https://note.com/maximumthewho_/n/nfadc9e400ddc
という表題で、社会福祉法等改正、特に社会福祉法改正案の第百六条の三の二の2について書いたのだが、昨日(5月15日)の衆議院厚生労働委員会でまさに“どストライク”の質疑と答弁があった。
衆議院HPの
「衆議院インターネット審議中継」
で見ることができる。
ピンポイントでいうと山本香苗議員(中道改革連合・無所属)の中、全体時間3:33:39経過あたり。
山本議員が、
他の法律に基づく会議において検討が十分になされていない場合とは、どういう場合で、誰がどう判断するのか?
と質している。
これに対し鹿沼社会・援護局長は、
具体的にどんな場合が該当するかは、今後詳細に検討していくとした上で、
・他制度に基づく会議体が設置されていない場合
・取り扱う事案の特徴等から“既存の会議等において十分な検討ができる”と、市町村に判断できない場合等を想定
・それぞれの市町村において地域の実情に応じて判断。
と答弁した。
更に山本議員が、
“であれば、どの法律の会議で対応するか、はっきりしない場合もOKか?”と質したところ、
鹿沼局長からは、
・例えば所管が分からないような事案は他制度に基づく会議等における検討の開始が困難。(この場合は)支援内容の検討が十分にされていない場合に該当すると考えられるので、社会福祉法上の支援会議として対象することは可能。
・こういった点についてはしっかり周知したい
といった主旨の答弁があった。
自分は、条文の解釈において、自治体の裁量で柔軟な対応が可能であることが、このやりとりから確認できた。
前回、危機感から支援会議の柔軟な運用を妨げるような条文の削除を提案したが、杞憂だったことが判明したので正直ホッとしている。
今回提出されている社会福祉法等改正の一括法案について、基礎自治体は、こうした議論の経過も含め、法案に対する全体的な理解が求められると考える。
社会福祉法の改正に関する昨日の山本議員の質疑及び国の応答は、今回の社会福祉法改正の理解を深める上でも有用なものだったと感じた。
そうしたことからも関係者必見の質疑&応答だと思う。
社会福祉法改正×松岡正剛×ボブ・ディラン
さて、以下はまったく個人的な感想になる。
最近読んだ、松岡正剛『日本文化の核心 「ジャパン・スタイル」を読み解く』 ( https://www.kodansha.co.jp/book/products/000033791 )にすっかり感化され、「見立て」と「まねび」にハマっていることもあって、いきなりボブ・ディランの話からはじめるが、お付き合いいただけると幸いである。
一昔前まで(今も?)、60年代半ばののボブ・ディランの表現の変化(いわゆる電化)は「フォークからロックへ」」という言葉で説明されていた。
しかし、近年公開の映画『名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN』などで描かれているように、エレクトリックバンドと演奏するようになったという変化は、彼の音楽性や表現のスタンスの変化を示している訳ではない。
前半アコースティック、後半バンド演奏だった'66年のワールドツアーに顕著にあらわれているように、彼はアコースティックギター1本での表現を捨てた訳ではない。
その後もライヴやアルバムでアコースティックギター1本での表現を行っている。バンドサウンドの導入は表現手段の拡張に過ぎない。
さらに言えば、ノーベル賞が云々とは別の意味で、もともとディランの表現はフォークやロックという範疇に収まるものではなかった。
その事は、バンドサウンド導入をサポートしたツアーバンドが後にザ・バンドという60年代後半から70年代中期にかけたアメリカン・ロックの代表的なバンドに成長したことからもうかがえる。
生活困窮者自立支援制度は当初、「福祉の地平を越える制度」と言われていた。
生困制度をフォークやロックという範疇に収まるものではなかったディランに見立てれば、その表現のために「手段」として、後から導入されたバンドサウンドは「手段としての重層事業」に例えることができる。
一方、ディランが表現手段の拡張としてバンドサウンドの導入を図る中で生まれ、のちに単独デビューを果たした「ザ・バンド」は「制度としての重層事業」に見立てられるのではないか。
'66年7月の交通事故で活動を停止したディランが住んでいたニューヨーク州ウッドストックに、のちにザ・バンドとなるツアーバンドの面々が「ビッグ・ピンク」 と呼ばれていた家に移り住むようになった。
先の事故から回復したディランがこのビック・ピンクに訪れるようになり、地下室で自由なセッションを繰り広げるようになる。
その演奏はベースメント・テープとして知られ、当初は海賊盤として出回り、のちに公式にリリースされたのだが、この自由なセッションの舞台になったビック・ピンクは、今回、社会福祉法改正案に新設された「支援会議」として見立てられるのではないか。
'68年、ビック・ピンクでディランが作った曲も収録したデビューアルバムでザ・バンドはデビューした。
ザ・バンドのデビュー盤に収録されディランが作った曲の一つに「アイ・シャル・ビー・リリースト」という曲がある。
後にディランも正式に再録音し発表した曲だが、既述した生困、重層、支援会議の見立てを踏まえて歌詞を味わってみると、かなりマニアックな妄想ではあるが、制度の「縦割りの壁」からの解放を願う曲として味わうことも可能だ。
まぁ、そんな妄想しなくても名曲なので、未聴の方は是非ご一聴いただきたい。
(日本語訳付き公式動画)
https://youtu.be/ZntlR4rSU7I?si=HUBR9rRurx3_hpz-
閑話休題。
こうした「見立て」から、自分がまねび≒学びとして得た妄想は、包括的支援体制の整備の機序は、
生困制度活用
→自治体における柔軟な社会福祉法の支援会議活用
→手段としての重層事業/制度としての重層事業の導入、活用
といった順序なのかもしれないということだ。
ここは正に「それぞれの市町村において地域の実情に応じて判断」(by社会・援護局長)ということになる。
ディランの曲の歌詞にこんなものがある。
時がくればわかるだろう
どちらが落ちて、どちらが後に残ったのか
きみがきみの、ぼくがぼくの道をゆくとき
And then time will tell just who has fell And who's been left behind
When you go your way and I go mine
(我が道を行く/Most Likely You Go Your Way and I'll Go Mine)
https://youtu.be/qPRzHqAEpZk?si=-eG-JhAPiUVXdoy0
自治体にとっても真の勝負どころが近づいている。
