【基礎編】 小学校受験 合格願書作成完全ガイド - 2027年度入試対応・詳細版 -
基礎編の前書き
※本記事は、昨年公開し大反響をいただいた「小学校受験 合格願書作成完全ガイド」をもとに、2026年現在の小学校受験の状況、願書作成を取り巻く変化、ならびにこの1年で私自身が現場で得た知見を踏まえて、全面的に加筆・修正したものです。
昨年の記事に大幅に加筆したため、今年度は基礎編と実践編に分けて公開しています。
また、各章末には、その章の内容を1枚の画像にまとめたものを掲出しました。理解の補助としてお役立ていただくものですが、機械生成の影響で本文の内容から揺らぎがある場合には、本文の記述を優先してください。
なお、この基本編をふまえ、より具体的な記述方法の知見を惜しみなく盛り込んだ「実践編」は、2026年6月11日(木) 20:00に公開予定です。
上記の日付以降、こちらのリンクからご確認いただけます。https://note.com/matsushitakenta/n/n8df8a384247e
願書について、私は以前から一貫して申し上げていることがあります。
「願書だけで合格することはない。しかし、願書だけで不合格になることは十分にあり得る」
これは、すこし大袈裟な響きに聞こえるかもしれません。
けれども、実際に小学校受験の現場で親御様と共に、子どもの成長を目指す真剣かつ真摯な毎日を長く過ごしていると、入学考査における最重要書類である願書というものが、単なる受験をするための事務的な提出書類ではないことを、嫌というほど痛感します。
まして、私は私立小学校の現場で10年以上にわたって教員生活を送りました。その際にはたいていご家庭が「完成版」として提出された願書が集まってきていました。
一方、幼児教室慶楓会を立ち上げてからまもなく10年を迎えようとしています。また立場が変わっての10年間、今度は「完成版」になる前の、まだ荒削りな段階での願書をお預かりし、それをご家庭と二人三脚で、学校の先生方の目に留まる形に仕上げていく日々を過ごしました。
自身が勤めていた学校以外はもちろんのこと、私が勤めていた学校とはまた教育方針がガラッと異なる学校を志願されるご家庭には、教員時代に教員研修でお邪魔した各学校で学ばせていただいた際の知見なども動員しつつ、教員時代に培ったネットワークも活かしながら、その学校の価値観に沿う形でご家庭が適切にお考えを言葉にまとめられるよう、力を尽くしてきました。
願書には、ご家庭のものの見方、子どもへのまなざし、学校への敬意、日々の暮らしの積み重ねが、極めて如実に表れます。
そして近年、とくにこの1年で、願書作成をめぐる状況は大きく変わりました。
ネット上には、以前にもまして、自称「お受験コンサル」のような方々が、「願書添削をします」「願書を代行します」といった宣伝を多く出しています。
そうした方の中には、自分の子どもの受験経験や、「知り合いに頼まれて見てあげたら合格した」という結果論をもとに、あたかも普遍的な合格法則があるかのように語る方も少なくありません。
もちろん、保護者の不安に寄り添い、丁寧に文章を整える支援そのものを否定しようというのではありません。
問題なのは、学校文化への理解や、幼児教育への視点、ご家庭ごとの背景を十分に見ないまま、「こう書けば受かる」という型(というものがあればまだマシですが)だけが独り歩きしていることです。
はっきり言っておきますが、どんな家庭でも絶対合格できる「万能の型」など、あろうはずがありません。
それでも、情報が極めて偏在するこの小学校受験(あるいは幼稚園受験)という世界において、なんとか「正解らしい」(ように見える実は幻想の)ものにすがろうとする方は、後を絶ちません。
さらに今年度、そこに新たな問題が加わりました。
それが、AIによる願書作成です。
いまは、少し条件を入力すれば、それらしい(いかにも願書っぽい)文章を誰でも作れる時代になってしまいました。
「教育理念に共感しました」とか「家庭でも日々の生活を通じて実践しております」、あるいは「子どもの主体性を大切にしております」といった、いかにもありそうな言葉を並べることは、以前よりもずっと簡単になっています。
しかしここで、(良識ある方ならばすぐにわかることですが)気をつけなければならないのは、「一見整っている文章」と「真に家庭の思いや考えが伝わる願書」はまったく別物だということです。
AIが作る文章は、一見するときれいにまとまっています。
文章としての破綻も少なく、言葉遣いも丁寧さが保たれており論理のねじれなども生じにくくなっています。
けれども、よく読むと、そこにはその家庭にしかない空気が、全くなくなってしまっているのです。
子どもの普段の様子や、実際に発した言葉がまったく聞こえてこず、親の迷いや工夫、その中でも進んでいこうとするリアルな葛藤が、全くどこにも見えない文章になりがちです。
すなわち、毎日の暮らしの中で、何を大切にしてきたのかが、具体的な場面として文章の上に現れてこないのです。
学校の先生方は、けっして美しい文章の願書を合格にするわけではありません。むしろ、文章が整いすぎていることが、かえって不自然に感じられることすらあります。
子どもの作文や日記を、普段から「これでもか」というほど読み、文章指導を行なっている先生方にとって、AIによってそれらしくまとめられた文章の薄っぺらさはすぐに見透かされてしまいます。
この言葉は、親御様の日々の子育ての中から紡ぎ出された言葉なのか、そしてお子さんの姿を、保護者自身がどこまで見つめているのか。いくら学校の理念に「共感」したと言っても、実際の生活の中で大切にしている価値観と、本当に相違ないのだろうか。
少しでも、文章に違和感がある時点で、その願書は、こうした厳しい視線と評価に晒されることになります。
だからこそ、AI時代の願書作成で何より大切にしたいのは、なんとなく綺麗にまとまった形で文章を仕上げることに熱をあげる姿勢ではありません。
求められているのは、
「その家庭が真に大切にしている考え方が自然と文章の向こうに透けて見える願書、そしてその先に見える実在する家庭としてのあり方を表現すること」
です。
親子の暮らしが確かな手触りと共に感じられること。
子どもが失敗したり、迷ったり、少しずつ成長したりしていることをしっかりと見つめる保護者の見守る姿勢が見え、時には悩みながらも、日々の中で家庭としての教育観を毎日の生活という形に落とし込もうとしていること。
そうした実感に基づく生の声がしっかりとした熱量で書き込まれている願書こそ、学校の先生方の心を捉えるものになります。
願書とは、ご家庭が学校に向けて差し出す、最初の言葉です。これを学校へのラブレターと表現することもあります。
そこには、立派な実績の列挙は一切必要ありません。
聞こえのよい教育用語を駆使した、「どこかで見たような模範解答」を目指す必要もないのです。
本当に必要なのは、ご家庭がこれまでどのように我が子と向き合い、これからの学校生活への願いと、学校への信頼をどれほど切実に有しているのかを、誠実に、丁寧に、自分たちの言葉で伝えることです。
我が子のこれからの長い成長の日々を決定づける入学考査において、読んでくださった先生方に、
「このご家庭にお会いしてみたい」
「このお子さんのことを、もっと知りたい」
そう思っていただける願書を、ぜひ、作り上げましょう。
本記事では、そうした前向きな姿勢に立脚して、願書作成の基本から、内容の組み立て方、学校別の考え方、避けるべき表現、面接とのつながりまで、順を追って整理していきます。
まずは、願書作成の前提となる「基礎編」から始めます。
前書きのまとめ

なお、私が1年間の仕事の中でも最も心血を注いで臨む願書添削にかける思いを、以下の記事にまとめております。本記事にあわせて、ぜひご一読ください(無料でお読みいただけます。)
▼ まずは目次で概要チェック ▼
1. 願書の真の意味と役割
願書とは何か
願書を「受験のために提出する書類」とだけ考えているとしたら、それは大きな誤解です。
たしかに願書は、出願手続きの一部です。期限までに提出し、設問に沿って記入し、学校に受理される必要があります。その意味では、実務的な書類であることに間違いはありません。
しかし、小学校受験における願書というものが持つ重みは、単なる実務上の意味ではないということは明白です。
願書には、ご家庭が大切にしてきた価値観が表れます。お子さまとの日々の関わり方が表れます。家庭の中で交わされる言葉、親子で積み重ねてきた経験が映し出されるものです。
時にはうまくいかない、思い通りにならない日々の中でも、我が子の将来に対してどのような願いをもって子育てに臨んできたのか、その積み重ねが、文章の端々ににじみ出るものです。
こう考えると、願書は、学校に対してご家庭の教育観を伝える、いわば最初の「ご挨拶」のようなものと言えるかも知れません。
しかも、それは単なる一方的な自己満足的あるいは自己主張的な自己紹介ではありません。
私たちはこのような価値観を持つ家庭であり、その考えに基づいてこの子をこのように育ててまいりました。そのため、この先の成長を考える上で、貴校の教育にこのような思いで期待し、親子で真摯に学ばせていただきたいと願っております。
そうした思いを、限られた文字数の中に込めていくものです。
願書に書くべきは、家庭を実際の姿を偽って立派に見せたり、子どもを完成された存在のように語ったりするような、取り繕いの虚飾ではありません。
ましてや、学校に気に入られそうな言葉を、HPや学校案内から探してきて、パズルのように並べることでもありません。
大切なのは、ご家庭のありのままの姿を、読み手への敬意をもって誠実にしたためることです。
もちろんここでいう「ありのまま」とは、思いつくままに好き勝手に書くという意味ではありません。
日常をそのまま雑然と並べるのではなく、その中から、ご家庭が何を大切にしてきたのかが伝わる場面を選び、丁寧に言葉にしていくということです。
たとえば、朝の支度を自分で行うよう促してきたことを伝えるのなら、「朝の支度は自分でします」という、事実かどうかもはっきりしない、親の視線にのみ依拠した認識のみを伝えるのでは、説得力に乏しいと言わざるを得ません。
食事の前に感謝の言葉を交わしてきたその言葉、きょうだいとの関わりの中で譲ることや待つことを少しずつ覚えていく中での葛藤、絵本を読んだあとに子どもがぽつりと口にした言葉に対する、親としての感性。
こうしたことを一つひとつ丁寧に受け止めてきた愛情深い親の眼差しこそが止められています。
日常の小さな出来事の中にこそ、家庭の教育観、そして価値観は宿ります。
願書とは、特別なことをしてきた家庭が、他と違う自分たちの優れた点をアピールする文書ではありません。
それよりも、普段の、地味な繰り返しの暮らしの中で、丁寧に積み重ねていく営みをどれだけ丁寧に見つめてきたかが問われるものです。
また「ありのまま」という言葉を勘違いして、自分たちが志望する学校ではなく、まるで「我が家」が判断の中心、物事のすべての主語だと思っているご家庭が稀にあります。
ご家庭のそのままを理解してほしいという傲慢な姿勢は捨て、いかにその学校の価値観や考え方に、家庭としても学んでいこうとすることができるか、ここに全てがかかっていると言っても過言ではありません。
願書が果たす役割
願書には、大きく三つの役割があります。
一つ目は、ご家庭の教育観を学校に伝えることです。
学校は、願書を通して「このご家庭は、何を大切に子どもを育ててきたのか」を見ています。
そこ現れてほしいのは、一般にありがちな「学び」を知育一辺倒へと結びつけるような貧弱な学習観とは、当然ながら違います。
親自身が大切にしている人生観を基底にした、物事の捉え方、生活習慣、人との関わり、礼儀、感謝、挑戦、失敗への向き合い方など、さまざまな要素が含まれます。
小学校受験では、子どもの能力だけが見られているわけではありません。ご家庭がどのような土台の上で子どもを育ててきたのか、そして入学後に学校とどのように歩んでいけるのかが、非常に大切にされています。
二つ目は、学校との相性を示すことです。
言うまでもなく、私立小学校には、それぞれに明確な教育理念や校風があります。
学校説明会などを通じて「よい学校」だなという印象を各学校に対していだいたとしても、その内実は、一言ではまとめられない、学校ごとに大切にしている価値観から生じる明確な違いがあります。
自由な発想を重んじる学校もあれば、礼儀や生活の端正さを大切にする学校もあります。信仰を土台に人格形成を行う学校もあれば、独立心や探究心を重視する学校もあります。
願書では、その学校が大切にしているものを、ご家庭がどのように理解しているかが問われます。
ただし、ここで注意しなければならないのは、学校のパンフレットやホームページの言葉をなぞるだけでは、全くもって不十分だということです。
「貴校の教育理念に共感しました」
「貴校の温かな校風に惹かれました」
「子どもの個性を伸ばしてくださる教育に魅力を感じました」
これらは、当たり障りのない願書を書こうとした方が書く文章の中に、よく見られる表現です。はっきり言ってこのようなことを書いたとしても、全く何の意味もありません。
共感しない学校に志願する親はいません。
どの家庭でも言えてしまうような、上滑りの言葉で終わってしまいます。
大切なのは、その学校の具体的な教育活動や根底に流れる価値観、指導観、そして、それを具体的にどのような点から感じ取ったのかがはっきりと語られること。
さらにはそうした価値観が、ご家庭の暮らしや子育てとどのようにつながっているのか。そこまで具体的に言葉にできるかどうかです。
三つ目は、面接や考査につながる土台になることです。
願書を提出して安心しきってしまい、「やれやれ、もうこれで終わりだ」と思うのは、考えが甘すぎます。
むしろ、そこから次の段階、すなわち願書を前提とした面接への第一歩が始まると考えた方がよいでしょう。
願書に書かれた内容は、面接で深く聞かれる可能性があります。
お子さまの性格について書けば、その具体的な場面を尋ねられるかもしれません。家庭の教育方針について書けば、夫婦でどのように共有しているのかを聞かれるかもしれません。
志望理由はどの学校でも聞かれるものですが、表面的な理由ではなく、なぜ他校ではなくその学校なのかという視点も交えて深く問われることもあります。
そのとき、願書の文章だけが表面的に整っていたとしても、面接での言葉に具体性や実感を伴う表現がなければ、すぐに先生方は違和感を覚えます。
とは言え、願書は、面接の台本というわけではありません。
しかし、家庭として何を大切にしてきたのかを整理し、夫婦で共有し、入学後の学校生活が本当に、ご家庭にとってもその子にとっても、そして共に学ぶ仲間や、学校を支え共同体を維持する全員にとって幸せなものになりうるのかを考えるための土台になります。
だからこそ、願書は外側だけを整えて、見栄え良くすることを目指すものではありません。
ご家庭自身が自分たちの子育てを見つめ直す機会でもあり、自分たちの人生観が白日の元にさらされると言っても過言ではないのです。
「会いたい」と思っていただける願書
願書作成で、多くのご家庭が陥りやすい考え方は、「どのように書くのが正解なのか」という考え方です。
もちろん、読みやすく整った文章であることは大切です。
誤字脱字は論外ですし、主語と述語がねじれていたり、何を言いたいのか分からなかったりすれば、それは内容以前の問題です。
ただし、願書で本当に大切なのは、美しい文章を紡ぐ技術ではありません。
学校側が本当に読みたいのは、「上手な文章」ではなく、「その家庭に会ってみたいと思える文章」です。
少し表現が不器用でも、その家庭にしか書けない言葉があれば、先生方の目には留まります。
我が子にきちんと向き合ってきた親だからこそ書ける場面があります。
悩みながら子育てをしてきた家庭だからこそ、全てを取り繕うことは誠実とは真逆のあり方であるということがお分かりいただけるでしょう。
家庭だけでは力が及ばない、だからこそ、貴校で学ばせていただきたいと願う、謙虚で真摯な姿勢が現れていることが必要なのです。
そうしたものは、テンプレートでは作れません。
AIに任せてしまっている限りは、なおさら無理です。
どれほど文章が整っていても、その家庭の地に足のついた生活の様子が伝わってこない願書は、決して先生方の心には響かないのです。
願書は、合否を直接決める魔法の道具ではありません。
しかし、学校の先生方が「このご家庭とお話ししてみたい」と思うかどうかに関わる、大切な出会いの入口です。
その入口を、華美な装飾でゴテゴテと飾り立てるのか、それとも落ち着いた雰囲気ながら細部にまで人の手が感じられる清廉な印象を与えるものにするのか。
ここに、願書作成の本質があります。
第1章のまとめ

2. 願書作成の基本理念と心構え
選んでいただく立場であるという大前提
小学校受験では、どうしても保護者の側に「学校を選ぶ」という意識が生まれます。
「我が子に合う」学校。「我が家の」家庭の方針に近い学校なのか。
通学時間や進学先、校風、教育内容、保護者層などを比較しながら、志望校を考えていくことは、いわば当然です。
しかし、願書を書く段階では、もう一つ別の視点が必要です。
それは、「選んでいただく立場」であるという意識です。
学校は、限られた人数のお子さまをお預かりします。
その中で、子どもだけでなく、ご家庭も含めて、学校の教育とそのさき何年間も、共に歩んでいけるかを先生方は厳しく見極めようとされています。
どれほどお子さまが優秀でも、どれほどご家庭が教育熱心でも、学校側が「本校の教育とご一緒に歩んでいただけるご家庭だ」と感じなければ、ご縁にはつながりません。
この姿勢は、願書の文面に必ず表れます。
たとえば、先にも挙げたような
「貴校の教育方針が “我が家に合っている” と感じました」
という表現があります。
多くの方が、このような「我が子に合う」「我が家に合う」という表現をなさいます。
あまり深く考えなければ、「問題ない無難な表現」と思って、こうした言葉をお使いになっているのかもしれません。
しかし、この言い方には、学校をご家庭の側が評価しているような響きが否めません。
もちろん、実際には各家庭が学校を検討し、選んでいる側面もあります。けれども、願書という場では、そのような視点を前面に出すべきではありません。
望ましいのは、
「貴校の教育に学ばせていただきながら、家庭でもその教えを大切にして、親子共に真摯に成長への努力を重ねてまいりたい」
という姿勢です。
学校を家庭に合うものとして捉えるのではなく、家庭が学校の教育を理解し、そこに敬意をもって近づいていく。
この謙虚さが、家庭の品位を表し、願書全体の印象を決めます。
謙虚であることは、卑屈になることではありません。自分たちを必要以上に低く見せることでもありません。
むしろ、ご家庭として大切にしてきたことをきちんと持ったうえで、それでもなお、学校の教育に対して敬意を払い、学ばせていただく姿勢を持つことです。
この考え方を正しく理解して書かれた願書には、文章全体に私学の保護者らしい落ち着いた姿勢が感じられるようになります。
反対に、この感覚がない願書は、保護者の自己主張が強すぎる印象を隠しきれません。
学校は学ぶ場であるといういわば当たり前の原則を忘れ、子どもがいかに現時点で優秀であるかをアピールするように語ったり、学校に対して、謎の上から目線で要求するような印象になったりします。
願書において、控えめであることは弱さを露呈することではありません。むしろ、学校という場に対する理解と敬意の表れです。
等身大の言葉にこそ、信頼が宿る
願書を書こうとすると、多くの保護者は急に立派な言葉を探し始めます。
・主体性
・探究心
・豊かな感性
・非認知能力
・自己肯定感
・協調性
・多様性
こうした言葉は、教育の文脈ではたしかに重要です。私自身も、日々の指導や保護者面談の中で、こうした言葉を使うことは、実際によくあります。
しかし、願書の中でこれらの言葉を、やみくもに並べるだけでは、ほとんど意味がありません。
なぜなら、抽象語は、具体的な生活場面と結びついて初めて力を持つからです。
「主体性を大切にしています」と書くよりも、子どもが自分で翌日の持ち物を確認し、忘れ物に気づいて自分なりに工夫した場面を描く方が、よほど主体性が伝わります。
「思いやりのある子です」と書くよりも、友だちが困っているときに、すぐに言葉をかけるのではなく、相手の様子を見ながらそっと手伝った場面を書く方が、その子らしさが伝わります。
「学ぶ意欲があります」という表現で済ませるよりも、図鑑を広げながら、分からないことを何度も尋ね、自分なりに納得するまで考えていた時間を書く方が、学びに向かう姿勢が伝わります。
誤解のないように言えば、願書では、教育用語を使うこと自体が悪いわけではありません。
ただし、内実を伴わない表面的な言葉だけが先に立ってしまうと、それはきわめて薄っぺらな印象を与えるものになってしまいます。
まず、先にあるべきなのは、子どもの姿と、それを支える家庭の暮らしです。
親子の会話によって育まれた子どもの姿が、文章の向こうに自然と透けて感じられる表現。そしてそれを補強する言葉として、必要に応じて教育的な用語を添える。
これを逆にしてしまうと、極めて表面的な、ハリボテの願書になってしまいます。
昨年までとの違いで、今年度は、とくにこの点に注意が必要です。
というのも、AIの台頭により、それらしい教育用語の散りばめられた聞こえの良い文章の量産がいくらでもできるようになってしまったからです。
AIを使えば、教育用語をきれいにつないだ文章は何百パターンでも、何千パターンでも作れます。
けれども、そのような文章ほど、読み手から見ると「うーん、なんだかどこかで見たことのあることばだな」という印象になりやすいのです。
まして、私立小学校の先生方は、教育のプロであり、研究に対しても極めて誠実かつ熱心です。したがって、巷でもてはやされている「教育用語」についても、厳格な運用あるいはこだわりを持っていることがほとんどです。
そこで素人が「知ったかぶり」で言葉の上っ面だけを撫でても、かえって先生方には興醒めの印象を与えてしまうでしょう。
願書に必要なのは、完璧な教育者としての、無欠の文章ではありません。教育の専門家ではない、けれども親でなければ感じ取ることができない日々の豊かな交わりの中で見せるその子らしさを、敏感にすくい上げるからこそ書くことができる、等身大の言葉です。
素朴で、時に不格好でも、そこに実感があれば、先生方には伝わります。
ご家庭の、我が子に向ける温かなまなざしと、子どもの成長を丁寧に見つめた言葉であれば、特別な成果を誇るものでなくとも学校はきちんと受けとめてくださいます。
背伸びをせず、丁寧に考えを表現する。
この二つを両立させることが、願書作成ではとても大切です。
学校への敬意は、具体的に表す
願書では、志望校への敬意をどのように表すかも重要です。
ここで気をつけたいのは、「魅力を感じています」「共感しています」といった言葉だけで終わらせないことです。
もちろん、学校に魅力を感じたからこそ志望しているわけですから、その気持ち自体は自然なものです。
しかし、学校の先生方が知りたいのは、「魅力を感じた」という結論だけではありません。
具体的に何という教育活動(あるいはもっと日常的な日々の教師と児童の交わり)を見て、なぜその学校で学ばせていただきたいと願うようになったのか。
そこに、ご家庭の視点が必要です。
たとえば、学校説明会や学校公開に参加したとします。
そのときに、単に「先生方のお話に感銘を受けました」と書くだけでは、中身が全く伝わってきません。
そもそも「感銘を受けました」という表現自体、きわめてありふれた表現であり、陳腐に感じてしまうものです。
先生が、子どものどのような姿に対して、どのような表情で、どのような言葉を選んで声をかけていることが心に残ったのか。
説明会・学校公開のあと、夫婦でそのことについて何を語り合い、家庭としての考え方と照らして、新たな学びに繋げたのか。
そして我が子が入学後に、どのように育つ学びを期待したのか。さらにそこから保護者としていかなる成長を目指したいという決意が生まれたのか。
そこまで掘り下げて考えた先に、学校への敬意が具体的になります。
また、学校見学で在校生の姿を見た場合も同じです。
「在校生の皆さまが礼儀正しく、感銘を受けました」
だけでは、表面的すぎる印象と言わざるを得ません。
そうした礼儀正しさが、どのようにして子どもたちの中に育まれているのか、その礼儀正しさを子ども達が身につけるために、日々の教育活動で先生方がどのように子どもたちに関わり、忍耐強く積み重ねてきたのか、そのプロセスに考えを至らせることができるかどうかが、極めて重要なのです。
挨拶の仕方、話を聞く姿勢、友だち同士の関わり方、下級生への接し方、いずれもその表面に現れているものが素晴らしいことは言うまでもないことです。
それよりも、そうした望ましい姿にまで子ども達を成長させる先生方の日々の教育活動の深奥を慮り、その教育にあずかりたいという真摯な思いを具体的に書くことで、学校教育の内実をきちんと見ていることが伝わります。
ただし、ここでも注意が必要です。
学校を観察して評価するような書き方になってはいけません。
「貴校の児童は非常に質が高く、教育方針が優れていると判断しました。この点が我が家の方針と一致しているため〜」
このような表現には、学校を上から見て一方的に評価している響きがあります。
願書では、学校を評価するのではなく、学校の教育に触れたご家庭が、どのように学び、どのように心を動かされたのか、そしてこれから学ばせていただけるように入学を願い出るものとしての謙虚な姿勢を書くべきです。
その学校を知ろうとした時間、足を運んだ経験、先生方の言葉を受けとめた姿勢、そして家庭で考えた痕跡が文章に表れることが必要なのです。
AIが込められないもの
「完全ガイド 」の今年度版として、避けて通れないのがAIとの向き合い方についてです。
「結論から申し上げると」(というふうにAI🤖めいて言うならば)、願書作成にAIを使うこと自体を、私は全面的に否定するつもりはありません。
誤字脱字の確認、文章の読みやすさの調整、長すぎる文の整理、構成の確認などに使うのであれば、AIは一定の助けになります。
忙しい保護者にとって、下書きを見直す補助として使うことは、現実的なツールの一つでしょう。
しかし、AIに願書を丸投げして「任せる」ことは、いっさいおすすめしません。
なぜなら、願書の中心にあるべきものは、家庭の実感だからです。
AIは、もっともらしい言葉を繋げて志望理由を書くことが得意ですから、HPを丸ごと読み込ませて、その教育理念に沿った文章も作れます。
またお子さんの長所を、それらしく整った表現に書き変えることもできます。
けれども、AIはその子のこれまでの育ちの中で乗り越えてきた葛藤、育ちの履歴までは知りません。
たとえそうした「情報」を入力したとしても、その時のその子自身、あるいはそれを見守る親の心情までを100%理解することは不可能です。
失敗して悔しそうにしながらも、あきらめずに向き合おうとしていた、その子の努力と、辛抱強くその子に寄り添ったあの日の空気感までを、感情と共に理解することはAIにはできないのです。
言葉を飲み込んで見守った場面や、子どもの小さな変化に気づいた瞬間、きょうだいの間で生まれた譲り合いの美しさも、離れて暮らす祖父母との会話の中で見えた照れ混じりの成長も、AIは見ていません。
それを知っているのは、ご家庭の保護者だけです。
願書の価値は、まさにそこにあります。
AIにできるのは、文章を整えることです。しかし、願書に魂を入れることはできません。
もしAIを使うのであれば、順番を間違えてはいけません。
最初に、保護者自身が、たとえ不格好であったとしても、自分の言葉で書くことです。
まずは、実際の場面、子どもの言葉、家庭で大切にしてきたことを、自分の言葉で書き出すことです。
そのうえで、読みやすさを整える補助ツールとしてAIを使う。これなら、まだ、「ありえます」。
まして、最初からAIに断片的な情報や、その学校のHPや学校案内などのPDF資料を読み込ませて、「この学校の教育理念をふまえた願書を書いて」と頼み、その文章を少し直して提出しようとするのは、あまりに浅はかな考えです。
もっと言えば「危険」ですらあります。
それは、その家庭の血や肉がこもった願書ではなく、「その家庭を表面的に機械が飾り立てた文章」になってしまうからです。
学校の先生方は、整った言葉はもう飽き飽きしています。
整っていなくても、熱意と実感の込められた文章を望んでいます。
今年度の願書作成では、この点を決して軽く見て、安易なAI丸投げをするのはいけません。
願書作成は、家庭を見つめ直す時間である
願書を書くことは、正直に言って、保護者にとって負担の大きい作業です。
「考えれば考えるほど、何を書けばよいのか分からない」という沼にハマり込んでしまうのは、いわば「あるある」です。
そしてわが子の良さを言葉にすると、急にありきたりに見えてしまいうものなのです。
いちどそうした沼にハマってしまうと、何を書いても嘘くさい薄っぺらに思えてきてしまいます。
そうした悩みは、決して特別に珍しいものではありません。
しかし、願書作成を受験準備の中で「やらないといけない課題」と捉えた瞬間に苦行と化してしまいます。
しかし、正しい向き合い方で臨めば、家庭を見つめ直す大切な時間にもなるものなのです。
普段、多くの親御様は忙しく過ごしています。
朝の支度、送迎、仕事、家事、習い事、食事、寝かしつけ。日々を回していくだけで精一杯になることもあるでしょう。
その中で、子どもの成長をじっくり言葉にする機会は、実はあまり多くありません。
願書作成は、その歩みを一度立ち止まって振り返る機会です。
この子の成長を振り返り、自分たちは何を大切に子育てをしてきたのかをもう一度見つめ直す時です。
そしてこれから、どのような環境で学ばせていただきたいのか。保護者としては、学校とどのように歩んでいきたいのかを、一度立ち止まって、しっかりと向き合うことそのものが、家庭教育をより一段と深めるきっかけになります。
ただ合格をするために、上っ面だけを整えた願書を書こうとするのは、極めて表面的で浅薄な態度です。
もちろん、受験である以上、結果は大切です。ご縁をいただきたいという思いがあるからこそ、真剣に準備するのも、その通りです。
けれども、願書を書く過程で、親が子どもの姿を改めて見つめ、夫婦で教育観を話し合い、家庭の大切にしてきたものを言葉にできたなら、その時間には受験結果を超えた意味があります。
願書に向き合うことは、わが子の育ちを信じ、そして親としてのあり方をもう一度見つめ直すことでもあります。
これからの子育てに、もう一度丁寧に向き合い、我が子の成長という大きく開かれた可能性に思いを巡らせることができる、幸せなひとときですらあるのです。
ここまでのまとめ
ここまで、願書の意味と役割、そして作成にあたっての基本的な心構えについてお伝えしてきました。
今年度の願書作成において、とくに大切なのは次の点です。
何より、願書を、単なる出願書類と捉えてはいけません。
これからお子さんが、6年〜12年、16年、もしかしたらそれ以上を過ごす環境を決定づける入り口であり、ご家庭の教育観、お子さまとの日々、学校への敬意が表れる、学校との最初の大切なやりとりです。
また、AIによって整った文章が簡単に作れる時代になったからこそ、これまで以上に「家庭の実在感」が問われます。上手にまとめられた文章ではなく、そのご家庭にしか書けない言葉を紡ぐことが大切なのです。
抽象的な教育用語ではなく、生活の中にある具体的な場面を、子育ての連続の中から取り出し、子どもを機械的に飾る言葉ではなく、成長を丁寧に見つめる人間としての、そして親としてのまなざしが感じられることが必要です。
そして何より大切なのは、学校を評価するような姿勢ではなく、
学ばせていただく謙虚さが表れていること。
これらが、願書全体の印象を決めます。
願書作成に、万能の型はありません。しかし、確かに避けるべき書き方はあります。そして、学校の先生方の目に留まる表現や、その前提となる姿勢もあります。
私は、これまでの私立小学校における教員経験、そして幼児教室での小学校受験コース主任としての日々を通じて、合格して通っているご家庭、合格を目指して奮闘する家庭、合格に一歩及ばず涙を飲んだ家庭、いずれの方々にも接してきました。
現在の私の立場での一番の願いは、ご両親様が我が子の幸せを願い真剣に考えた道に対して、扉が開かれることです。
そしてそのお力添えをすることの結果として、親子が毎日喜んで通える志望校に入学を果たし、充実した学校生活を送ることを通じてより豊かな成長を遂げてくれることです。
そうしたことが実現できるよう、私の持つ知見を惜しみなく注いだのがこの記事です。
次章以降では、いよいよ「基礎編」の中でもその真髄に迫っていきます。
願書を書く前に何を準備すべきか、学校研究や家庭の振り返りをどのように進めるべきか、そして形式の面ではどのような点に注意すべきかを、より具体的に整理していきます。
「我が家中心」の考えで分かったつもりで本番にそのまま突っ込むかか、それとも「自分たちの限界」を自覚して謙虚に学び、そのためにほんの少しの時間と手間を費やすか。
その選択は親御様にしかできませんが、結果を背負うのはお子様です。
親御様が、正しい選択のもとに、道を切り開いていただけることを願っています。
第2章のまとめ

3. 願書作成前の準備プロセス
ここからは、実際に願書を書き始める前に、何をどのように準備しておくべきかについて、明確に整理していきます。
ここから先は
¥ 9,980
こうした記事へ、さらに期待していただける方はご協力願います。
