ダンスのBebopの由来、音楽のBebopとの関係
Bebop(ダンス)の名前の由来は?
UK JAZZ DANCEという、イギリスで生まれたジャズダンスの中には、Bebopというスタイルがあります。その「Bebop」って、音楽のBebopと同じ? そもそもBebopって何?そう感じる方のために、書きました。
正直に言うと、読めば読むほど、さらに混乱してしまうかもしれません。でも同時に、ジャズミュージックが好きな方には、少し面白いと感じてもらえる部分もあるかもしれない。(希望)そんな気持ちで書いていますので、知られざるイギリスのアンダーグラウンドなクラブカルチャーの世界へ。
よかったら、そんな世界をのぞく気持ちで読んでみてください。
「Bebopという名前の由来を知りたい」そんな質問を、ビバップダンス友達のカズマくんの生徒さんからいただいたのがまとめだしたきっかけです。私が日本で踊り始めた頃は、正直そこまで由来に想いを巡らせる余裕がありませんでした。だからこそ、この質問はとても新鮮で、「いい質問だなあ」と心から感じました。質問シリーズいくつか書いています。
※この記事が初めての方で「UK JAZZ DANCE?BEBOP?FUSION?」という方は、前回の記事から読んでいただくと、よりわかりやすいと思います。
ここからは、この一冊と、オリジネーターご本人達の会話からまとめていきたいと思います。
『UKジャズ・ダンス・ヒストリー From Jazz Funk & Fusion To Acid Jazz』UK JAZZ DANCEについて、DJとダンサーへのインタビューを収録した、ほぼ唯一の歴史書(英語版とこちら日本語版)。
Brothers In Jazz / Irven Lewis の証言
Bebopスタイルを生み出した Brothers In Jazz。そのメンバー、Irven Lewis は本の中でこう語っています。
ワグの2階では、
俺たちがDJのシルヴェスターをけしかけて
「もっとビバップをかけてくれ」って頼んだんだ。
FusionとMamboのスタイルを混ぜて、
ビバップの曲に合わせてMamboのステップのテンポを速めた。
それが、俺たちのスタイル ― Bebopの始まりさ。
(P447–448)
やはり音楽に由来してますねー!そこは後ほど詳しく。さて、ここで出てくるキーワードは、
WAGというクラブ
Mambo
Bebop(音楽)
ひとつずつ整理していきます。かっこいいから見てー。ください。
WAGというクラブ
Brothers In Jazz が踊っていた場所、WAG。
Brothers In Jazz / Wayne James の証言
彼はこう語っていました。
周りの人たちが、彼らがジャズで踊っているのを見て「Brothers!」と呼び始め、「Brothers in Jazz」と言われるようになった。
名前が “名乗った” のではなく、周りから自然に呼ばれて定着したというのが、あまりにもクラブカルチャーらしいと感じます。
WAG、華やかな時代を象徴するクラブ
ワグのオーナーでもあった クリス・サリヴァン のインタビューを、メンズカルチャー雑誌 GQ のWebで見つけました。当時の空気感を想像するのに、とても助けになる記事でした。
Bebopのダンスが生まれた場所でもある WAG について、Brothers In Jazz の Wayne James さんも、先日お会いしたときにこんなふうに話してくれました。
「流行の最先端の、クールな箱だったよ。もともとは Whisky a Go Go っていう店で、ボーイ・ジョージ、ジャン=ポール・ゴルチエ、デヴィッド・ボウイ、シャーデーなどがいた。Whisky A Go Go の頭文字を取って WAG になったんだ。Brothers In Jazzは、オーナーのクリス・サリヴァンに気に入られて、誰でも入れるわけじゃない特別なクラブに入ることができた。周りの人たちが、俺たちがジャズで踊ってるのを見て “Brothers” って言い始めて、
“Brothers in Jazz” って呼ぶようになったんだ」
1970年代後半から80年代のロンドンを象徴する、カルチャー・ヒーローたちがこぞって集まった、伝説の「ワグ・クラブ」。一流のアーティストが集い、ドレスコード的な、特に格好がラフな一見さんお断りのような空気もあったそうです。その時の黒人のいかついセキュリティーの話を、いったことある方がこの間話していました。
そんな最先端のスタイルがひしめく場所で生まれたダンスが、Bebop。WAGのオーナー、クリス・サリヴァンの音楽やファッションへの強いこだわりが、このダンスの誕生に大きく関わっていたことが伝わってきます。
さらに、クリス・サリヴァンは「ザ・ワグを経営するようになった経緯」について、こう語っています。
「ザ・ワグがあまり盛り上がっていなかったから、一度、土曜日にイベントをやってくれないかって頼まれたんだ。何年も前からのつながりのダンサーたちを集めてやったら、それが大成功でね。内容を、もっとジャズ寄りにしたいって話したんだ。俺は、ヤング・ホルト・トリオやホレス・シルヴァー、キューバップにビバップ、ティト・プエンテなんかをかけてほしかった。分かってもらえたよ。レトロ・セッションで、それに沿ってバンドもブッキングしていたから、フュージョンはかけてほしくなかった。マーク・マーフィー、トミー・チェイス、スリム・ゲイラードなんかを呼んでいたんだ。より純粋なジャズだったから、それに合わせて違うスタイルのダンサーを呼ぶことにした。最初はIDJを押さえていたんだけど、あまりそのスタイルがピンとこなかった。50年代風の服装をしたジャズ・ディフェクターズやプラザーズ・イン・シャズのほうが好みだったんだ。そういう服装を好む客層だったからね」
この一連の話から見えてくるのは、音楽の選択、ファッションの感覚、集まる人たちの美学が、WAGという場をつくり、そこで踊られたダンスがBebop と呼ばれるようになっていった、という流れです。
クラブ、音楽、ダンサー、人。そのすべてが重なった場所で、Bebopは生まれていったように感じました。
ビバップの音楽とダンスの関係
アメリカで生まれ、世界に広がったSwing Jazz Music & Danceと、その直後に生まれたBebopという音楽。
では、イギリスのアンダーグラウンドなクラブで育ったUK JAZZ DANCEの「bebop」は、それと同じものなのでしょうか?
1920〜40年代のアメリカでは、ビッグバンドによるSwing Jazzが演奏され、ボールルームでは多くのダンサーが踊っていました。リンディホップやチャールストンに代表されるこれらの踊りは、Swing Jazz Danceと呼ばれ、音楽とダンスが一体となった大衆文化でした。
1940年代に入ると、ジャズミュージシャンたちは、より速く、より複雑で、即興性の高い音楽を求めるようになります。そうして生まれたのがBebopです。その音楽は、これまでのSwingとは大きく異なり、多くのSwing Jazz Dancerにとって「踊れない音楽」と感じられました。
Swing Jazz Danceのレジェンド、Frankie Manningも、戦争で兵役を経てジャズの現場に戻ったとき1947年、Dizzy Gillespie たちの演奏がまったく新しいものに変わっていたと語っています。音楽が大きく転換していた時代の空気を、彼の言葉から知ることができます。
一方で、そのBebopのレコードは、時を経てイギリスへ渡ります。1970〜80年代、イギリスの黒人コミュニティのクラブでは、Jazz FunkやJazz Fusionとともに、かつてアメリカで多くのダンサーに「踊れない」とされたBebopを含むジャズで踊るダンサーたちが、クラブに現れました。
Swing Jazz も UK jazz もどちらも良さの違う本当に素晴らしいダンスです。Bebopが流れて、アメリカで踊っていた方もいなくはなかったと最近知ったのですが、(そこ詳しい方教えて欲しいです!)
一般的に言われるのは、上記のかんじ。
そして、イギリスの彼らが目指したのは、Swing Jazz Dance の社交ダンスの決まった型ではなく、既存のスタイルやルールを越え、さまざまな要素を彼らのセンスでMIXし、即興で反応し合うクラブで踊られるダンスでした。
そして、アメリカで生まれたBebopという音楽スタイルが、音楽としての「挑戦」だったとするなら、UK JAZZ DANCEにおける「Bebop」は、ダンスとしての「挑戦」だったのかもしれません。
同じ言葉を使いながら、それぞれは違う時代、違う場所、違う現場で生まれたもの。けれど、その根底には、枠を越えようとする精神が、確かに流れているように感じます。
アメリカで生まれ、世界に広がったSwing Jazz Music & Danceと、その直後に生まれたBebopという音楽。では、イギリスのアンダーグラウンドなクラブで育ったUK JAZZ DANCEの「Bebop」は、それと同じものなのでしょうか?
その答えをまとめると、UK JAZZ DANCEの「Bebop」とは、1940年代後半にアメリカで生まれたジャズ音楽・Bebopやその他のJazzに出会い、その音楽からインスピレーションを受けた1980年代のイギリスの若者たちが、アンダーグラウンドなクラブシーンの中で独自に生み出したダンスの呼び名です。
Bebop ダンサーの好む音楽
Bebopダンサーにとって、Bebopの音楽で踊ることは大切な要素のひとつですが、踊る音楽はそれだけに限りません。Swing Jazz、Hard Bop、Latin Jazz、映画のサウンドトラックのジャズなど、ダンサー自身も「踊りたい」と感じた音楽をDigし、さまざまな音で踊ってきました。
Brothers In Jazzが拠点にしていたClub WAGは、BebopやCubop(キューバップ)を積極的にかけることを明確なコンセプトにしたクラブでした。この音楽的な選択こそが、Bebopダンスが生まれるための土壌だったのだと思います。
Mamboは1930年代後半にキューバで生まれ、ルンバにジャズの要素を取り入れながら発展し、1940年代後半にはダンス音楽として世界的に広まりました。(mamboはまだ深すぎて管轄外なのでサクッとweb調べ、重要です)
冒頭で紹介したBrothers In JazzのIrvenのインタビューを思い出すと、彼はFusionとMamboのスタイルを混ぜ、Bebopの音楽に合わせてステップのテンポを速めたと語っていました。
trickと呼ばれる技や、短いコンビネーションはあるけれど、それを曲のどこでやるかカウントは決めていない。
即興のソロを挟みながら、阿吽の呼吸と音楽、そしてその場にいる3人の空気によって、ダンスがその場で立ち上がっていく。この即興ベースであることが、本当にすごい。
Brothers In Jazzについて、メンバーの一人 Wayne Jamesがこんなふうに言っていました。Brothers In Jazz は“three improvisation guys”
こんな素晴らしいダンスを創り出すのが可能だったのは、WAGがBebopやCubopをかけることを明確なコンセプトにしたクラブで、音楽の選択とダンサーの身体が噛み合った場所で、Bebopというダンスは少しずつ形になっていったのだと思います。
彼らは学生の頃、朝はバレエ学校の授業、その後バイトして、夜はサルサ(Mambo) クラブに行ったり、Jazz のかかるClubに行き、動きを試していた。フロアでStepのインスピレーションがわいていた。と3人からお聞きしました。
(当時の話は、聞いたり、読んだりしたものからの推測もありますが、もしタイムスリップできるなら、実際にその場に立ってみたかったー。私が生まれた頃の話です。)
イギリスの歴史から生まれた文化
UK JAZZ DANCEを最初に踊り始めた人たちは、カリブ海地域にルーツを持つ親を持つ、イギリスで育った黒人の子どもたちの世代でした。
それは「血」だけの話ではなく、British Black / Afro-Caribbeanとしてイギリスで生きてきた人々の、歴史や経験、音楽とともに受け継がれてきた〈文化的ディアスポラ〉の話でもあります。
彼らが10代、20代だった1980年代、クラブで踊っていたダンサーたち。
現在ではおよそ50〜70代になっています。
イギリスにはそれ以前からも黒人の移住はありましたが、戦後、特に大きな流れとなったのが、1948年から1971年にかけて、カリブ海地域(ジャマイカ、バルバドス、トリニダード・トバゴなど)からイギリスに移住した人々です。彼らは**ウィンドラッシュ世代(Windrush Generation)と呼ばれています。
UK JAZZ DANCEを生み出した中心世代は、そのウィンドラッシュ世代の子どもたちで、イギリスで生まれ育った人々、または幼少期にカリブ海地域からイギリスへ移り住んだ人々にあたります。実際には、8歳頃までジャマイカで過ごした後にイギリスへ移住し、UK JAZZ DANCEを踊っていたダンサーもいました。
カリブ系移民の人々は、British Afro-Caribbean / British Black Caribbean / West Indian などと呼ばれ、イギリスには、彼らの歴史を描いた映画がいくつも存在します。(いくつか、ここに貼っておきます。)
クラブで起きた反応
話をUK JAZZ DANCEに戻すと、
1950年代のJazzのBebopやAfro-Cubanなどの音楽がかかる1970年代後半から黄金期の80年代、クラブで、ウィンドラッシュ世代の子どもたちであるAfro-Caribbeanのイギリス黒人ダンサーたちが、その音楽に反応し、ダンスが形になっていきました。
白人・黒人を問わず、DJたちがBlack MusicのレコードをDigし、音楽は時代を越えてルーツへとつながり、クラブという場所で、ダンサーの身体を通して化学反応を起こしたかのように生まれたダンス。
それが、UK JAZZ DANCE。イギリスで生まれたダンスです。
そこに生きている人々の歴史、出会い、記憶、体験が、文化になっていきました。
混ざっていく世界
このダンスは、
黒人の文化
(Dance、Mambo、Fusion、Jazz、Reggae Sound System)イギリスの白人の文化
(Northern Soul、Ballet、DJ、Club Culture)
それらが混ざり合う中で生まれました。特にUK JAZZ DANCE の Bebopスタイルは、その交差点にあります。今回は黒人ダンサーにフォーカスをおいていますが、白人DJや黒人DJやSound systemも重要なこのカルチャーの要素。またそこは次回。
消えないように、書いておく
この文章を書き始めたのは6月22日。イギリスではWindrush Dayでした。遠くない過去に、イギリスの植民地からこの国に移り住んだ黒人たちの、さまざまな体験に思いを馳せながら、自然と書きたいことがあふれてきました。
最近、子どもの頃に祖父から聞いた話を思い出しました。祖父は海軍で働いていて、若い頃にイギリスを訪れたことがあり、そのときバスでは白人と黒人で座る場所が分かれていたと教えてくれました。当時の私は、特別な感情もなくその話を聞いていました。それから思春期になってブラックミュージックに出会い、その音楽で踊るダンスにのめり込んでいきました。
その延長線上で、UK JAZZ DANCEを踊る日本のダンサーや先生たちに出会い、オリジネーターが日本に来てくれたことで繋いでいただき、実際に出会い、さらにイギリスでも出会い、気づけば今まで、たくさんの素晴らしい黒人ダンサーたちが、ダンサーとして、人として、あたたかく関わってくれていました。イギリスに来た当初、英語がまったくわからず、どうやって生きていけばいいのかギリギリだった頃、携帯を買いに行くのを手伝ってくれたり、ダンスの仕事の取り方を教えてくれたり、トレーニングや紹介、レッドビーンズスープを一緒に飲んだこと、Soul Musicを爆音で流しながら北部のイベントへ向かう車に乗せてもらったこと。書ききれないほど、たくさんのことを黒人の先輩たちにお世話になってきました。それは今も現在進行形です。
あるとき、彼らのお母さんの話から自然と昔のバスの話になりました。子どもの頃に受けた差別の話。多くは語られないけれど、だからこそ私の中に強く残りました。そのとき、祖父の話を思い出し、これは遠い昔の歴史の教科書の一部ではなく、本当に起きていた現実なんだと身体で理解しました。
彼らは、grooveも喜びもstepも惜しみなくシェアしてくれます。音楽も教えてくれる。音楽を四六時中かけながら、心と身体でつながっている。その時間の中では、彼らの過去の大変さも、彼らと私の日々のしんどさも、不思議なほど微塵も感じなくなります。
このダンスを知ることは、ダンスだけを知ることではない。私は、そう感じています。
とても印象に残っている言葉があります。その人は、ジャマイカ出身の両親を持ち、ロンドンで生まれ育ったウィンドラッシュ世代の子ども世代。ロンドン生まれの彼は、両親の故郷であるジャマイカを訪れたことはありません。社会的な差別もあり、特にこの世代の方は、アイデンティティに悩む人も多かった時代だったと聞きます。
そんな時代を生きていない私たちでさえ、日々の生活の中で生きづらさや大変さを感じることがあります。でも、ダンスや音楽という人間の営みの中で、一緒に踊り、時間をシェアすること。その温かい時間、彼らのカルチャーに、私は何度も救われてきました。このダンスをしていたから出会えた人たちが本当に大好きです。日本もイギリスも。カルチャーは誰か一人のものではなく、彼らが独占せずシェアしてきたからこそ、若い世代やイギリス国外へとつながってきました。
私たちは、彼らが命を燃やして青春時代を生きたダンスカルチャーの延長線上にいる。イギリスで出会ったそれは、本当に豊かなカルチャーで、掘っても掘っても、人の情熱や、その時代の革命的な動きが出てくる。そんなに面白いカルチャーを生み出し、今も私たちはそれを、違う国でも楽しんでいる。よく考えたらすごいことだと思います。異国で生まれたダンスが、世代も人種も超えて、今も進化し続けている。先日Boppin Jiveのバトルにジャッジを務めさせてもらった時、シーンとして素晴らしい進化を感じ、ジャズとしての熱が脈々と続いているのを感じて感動しました。素晴らしいダンスだし、反応してるみんなの反応も本物だったし、きっとそこにいらっしゃった方達皆さんも、私も、このジャズのダンスで、出会った人たちや情熱や生きることを感じれている。
当時の話をある黒人DJに、Jazz Danceについて聞いている中で、彼がぽつりと口にした言葉があります。
「俺たちは、初めて“俺たちのダンス”“俺たちの文化”を創ったって感じられていた。それが、生きていく世界に必要だったんだ」
黒人であることによって差別を受け、生きること自体が簡単ではなかった時代に、ダンスは「生きていること」を証明するものだったのかもしれない。
自分や自分たちという存在を肯定し、誇れる場所だったのかもしれない。ただ若い有り余るエナジーを燃やしていたのかもしれない。そこはあまり質問を気軽に踏み込めない。でも、生きていく世界に必要だったんだ。って言葉から、たくさんの感情を感じた。
そんな、とても大事なことに触れた気がして、
ここに書き残しておきます。
読んでいただきありがとうございました。
