皇位継承はどうあるべきか?
はじめに
先日皇室典範改正が成立し、皇位継承を巡る議論が活発になっている。悠仁親王より下の世代に男子皇族が不在であるという状況は、遠からず制度そのものの物理的な限界に直面する可能性を孕んでおり、この問題を先送りにし続けることはもはや難しい。
現在、議論の潮流は大きく三つに分かれている。第一に、女系をも含む女性天皇を認める長子相続派。第二に、旧皇族の男系男子を養子として皇籍に復帰させる旧皇族養子復帰派。そして第三に、従来の規則に則って今上天皇から秋篠宮、悠仁親王へと継承を進める現状維持派である。
本稿の結論を先に述べておく。長子相続派の道も、旧皇族養子復帰派の道も、それぞれ深刻な問題を抱えており、どちらに転んでも皇室の将来は決して明るいとは言えない。以下、順を追って論じたい。
旧皇族養子復帰派の落とし穴
まず旧皇族養子復帰派について検討しよう。この立場のメリットは分かりやすい。古来から続く(とされる)男系男子の伝統を維持できる。習わし を重んじる立場からは、これが最も筋の通った選択に映る。
しかし現実に旧皇族の養子が皇籍に入り、やがて天皇として即位した場合、国民の多くはどう受け止めるだろうか。表立って批判する者はさほど多くないかもしれない。しかし心の奥底では、なんとなしのもやもやを抱える人が少なくないはずだ。
その理由はいくつかある。
一つは、これまで一般市民として暮らしてきた人物が、付け焼き刃的な帝王学を身につけたところで、現代の皇族が長年かけて培ってきた気品や振る舞いを本当に体現できるのか、という疑念である。皇室の魅力は、単に血統の古さだけでなく、日々の公務や被災地訪問などを通じて示される、あの独特の厳しさとたおやかさにある。それは幼少期からの教育と環境の産物であり、成人してから短期間で獲得できる類のものではない。皇族は血統のみによって成り立つにあらず、である。
二つ目に、より根本的な問題として、彼らが本当に皇統の血を引いているのか、という疑念が拭いきれない。旧皇族が皇籍を離れて既に七十年以上が経過している。さらに遡れば、彼らの家系が皇統から分かれたのは六百年以上前、室町時代のことである。その長い年月の間に、血統の連続性が本当に保たれていたのか、厳密に検証する術は事実上ない。
もちろん、多くの国民はそのような疑念を口に出して指摘したりはしないだろう(一部週刊誌あたりは堂々と批判するかもしれないが)。しかし心の中で「本当にこの人が天皇でいいのだろうか」という漠然とした違和感を抱く可能性は十分にある。皇室に対する尊敬の念とは、こうした微妙な感情の上に成り立っているものだ。一度もやもやが忍び込めば、それは静かに、しかし確実に権威を蝕んでいく。
三つ目に、当の旧皇族の側に、本人と配偶者と子の人生をまるごと差し出して皇族になる意思と覚悟があるのか、という問題もある。皇族の人権問題が近年しばしば議論される中で、この方向は問題を解決するどころか、新たな困難を生み出しかねない。
長子相続派の落とし穴
では長子相続派、すなわち女系をも含む女性天皇を認める道はどうか。
この立場のメリットは、何よりも国民多数の支持を得やすいという点にある。各種世論調査では女性天皇容認は七割から八割、女系容認も六割前後で安定している。性別に関係なく長子が継承するというルールは、現代的な公平感にも合致し、分かりやすい。皇室に強い関心を持たない一般層からは、おそらく素直に受け入れられるだろう。
しかし、である。ここで見落としてはならないのが、皇室の最もコアで熱心な支持層、すなわち男系男子の伝統を絶対視する層の存在である。彼らこそが、皇室を長年にわたって熱心に支え、擁護してきた人々だ。神社本庁系のネットワーク、保守系論壇、自民党右派など、その影響力は数の上での規模を大きく上回る。
彼らにとって、女系天皇の即位は「皇統の断絶」に等しい。千数百年にわたって男系男子で継承してきた(ということになっている)伝統を、現代的な公平感覚を理由に打ち破ることは、断じて受け入れられない。そう考える人々が確実に存在する。
問題は、彼らの反発が単なる不満表明で終わらない可能性があることだ。可愛さ余って憎さ百倍という言葉がある通り、最も熱烈なファンが最も激しいアンチに転向するというのは、あらゆる領域で観察される現象である。芸能界でも、政治の世界でも、それは同じだ。最も熱心に支えてきた者ほど、裏切られたと感じたときの反動が大きい。
長子相続の導入は、皇室にとって、支持層の広さと深さのトレードオフを意味する。広く薄い支持は増えるかもしれないが、狭く深い支持を失う。そして皇室のような制度を長期的に支えるのは、実はその「深さ」の部分ではないか。日々の公務を淡々とこなす皇室に、一般国民が向ける関心は基本的には薄い。皇室の存続を政治的に後押しし、制度的に支えてきたのは、あくまで熱量の高いコア支持層である。その層を失うことのダメージは、目に見えにくいが甚大だ。
それに女系女性天皇を認めるには、憲法を改正しなければならないという高いハードルがあるのも見逃せない。みなさんも知っての通り、日本国憲法は施行から80年近く経っているにも関わらず、ただの一度たりとも改正されたことがない。
どちらも「明るくない」
こうして見てくると、両者の道はいずれも皇室に深刻なダメージを与える構造を持っていることが分かる。
養子案は、国民の心に静かに、しかし確実にもやもやを植え付ける。血統の正統性への疑念、皇族としての品格への疑念、これらは表立って語られないだけに、かえって根深く残る。批判の声が上がらないからといって、権威が保たれているとは限らない。むしろ「なんとなくの違和感」こそが、長期的に権威を摩耗させていく。
長子相続は、コア支持層の離反を招く。しかも彼らはただ静かに離れるのではなく、能動的に反発する可能性が高い。声の大きな批判者となり、時には反皇室的な言説すら展開しかねない。皇室を最も熱心に支えてきた層が、皇室にとって最も厄介な存在に転じる。これは組織にとって最悪のパターンである。
どちらを選んでも、皇室は失うものが大きい。片や国民全体からの漠然とした信頼、片や熱心な支持層からの積極的な支え。いずれも、一度失えば取り戻すのは容易ではない。
現状維持という「時間稼ぎ」
では、どうすればよいのか。
おそらく現段階で最も無難なのは、今上天皇から皇嗣である秋篠宮親王、そして悠仁親王という、現在定まっているルートで継承していくことだろう。この道を選べば、悠仁親王が結婚し子を設けるくらいまでの、十年から二十年程度の時間を稼ぐことができる。
この時間は、決して無為に浪費される時間ではない。むしろ、性急に結論を出すことで生じる大きな亀裂を避け、議論をより深く煮詰めるための貴重な猶予期間となる。
この間に、より穏当な制度改革の議論を進めることもできる。国民世論も、時間の経過とともに変化する。コア支持層の中にも世代交代が進み、女系容認への抵抗感が徐々に和らいでいく可能性もある。あるいは、悠仁親王に男子が生まれれば、少なくとも次の一世代分の時間は確保できる。
もちろん、この現状維持路線にも限界はある。悠仁親王に男子が生まれなければ、結局は同じ問題に、より切迫した形で直面することになる。時間稼ぎは根本的な解決ではない。しかし、どのルートを選んでも大きな痛みが避けられない以上、その痛みを引き受けるべき最適なタイミングを見極めることには、それ自体に意味がある。
拙速な決断は、時に取り返しのつかない亀裂を生む。皇室のような千年以上続いてきた制度について論じる際には、数年、数十年単位で腰を据えて考える姿勢こそが求められるのではないか。
おわりに
皇位継承問題に、万能の解は存在しない。旧皇族養子復帰派の道も、長子相続派の道も、それぞれ深刻な代償を伴う。だからこそ、当面は現在のルートで継承を進めながら、この十年から二十年の時間を使って国民的な議論を積み重ねていくのが、現段階では最も現実的で無難な選択なのではないか。
皇室の将来は、決して明るくない。しかし、明るくないからこそ、慎重に、丁寧に、時間をかけて考える必要がある。急いで結論を出すことだけは、避けなければならない。
