偶然性【エッセイ】三二〇〇字
「急に具合が悪くなるかもしれません」
そんなことを言われたら、好きなエッセイさえ書けなくなってしまうのではないか。
困難な病と向き合いながら投稿を続けているno+erさんもいらっしゃるというのに、私なら、たぶん無理だ。そんなヤワな自分を想像してしまう。
映画賞受賞のニュースで気になっていた本、『急に具合が悪くなる』。
手にしたきっかけは、no+e友さんのエッセイだった。
この「もずきち」さんは医師である。その立場から本書を紹介されていたが、私はまったく逆の立場――「もし自分だったら」という思いで読み始めた。
単なる闘病記ではなかった。がん宣告を受けた哲学者・宮野真生子さんと、運命的に出会った医療人類学者・磯野真穂さんによる二十通の往復書簡。当時四十歳過ぎ、一歳違いの女性研究者が、それぞれの専門を持ち寄り、「偶然」「身体」「生きること」「死」について語り合う。これは病気の記録というより、友情の記録だった。
宮野さんは書簡を提案した時点で、すでに乳がんであることを告げ、「急に具合が悪くなるかもしれない」と伝えている。だが、最初から闘病記を書こうとしたわけではない。死の可能性を抱えて生きるとはどういうことか。たまたま患った「偶然性」をどう受け止めるのか。身体と意思はどう関わるのか。研究者としての好奇心から始まった対話だった。
研究論文なら、問題を設定し、資料を集め、結論を目指す。出発地と目的地を定めた「輸送」に近い。しかし、この往復書簡は違う。相手から返る言葉によって問いが変わり、思いがけない場所で立ち止まり、別の道へ入っていく。二人が選んだのは、「輸送」ではなく「徒歩旅行」だった。
歩き始めた二人を、書簡そのものが次の場所へ導いていく。道すがら、磯野さんの知人だった編集者との縁という「偶然」が加わり、やがて積み重なった書簡は、一冊の本として結実する。一方で、宮野さんの病状も進んでいく。当初思い描いていた道筋が、病状という現実によって、その道筋さえ変わりうる試みでもあった。
『偶然性の問題』でも知られる哲学者・九鬼周造を研究してきた宮野さんは、なぜ自分ががんになってしまったのか――その「不運な偶然性」に苦しむ。けれども、その偶然を前にして何も選ばなかったわけではない。標準治療以外の可能性にも迷いながら、それでも主治医にとって「良き患者」であることを自ら選んだ。医療を信じ、治療を受けながら、残された時間を学者として生きる道を選んだのである。
治療は決して穏やかではなかった。副作用による苦痛を抑えるためにモルヒネを使い、それでも学会へ行き、論文を書き、自著の出版にも力を尽くした。近いうちに訪れるかもしれない死にすべてを奪わせるのではなく、その時までは研究者として仕事をやり遂げようとした。
そして、その傍らには、「伴走者」の磯野さんがいた。
磯野さんは医師でも家族でもない。宮野さんを救うことも、治療方針を決めることもできない。ただ、届いた言葉を受け止め、医療人類学者としての自分の言葉を返し続けた。二人は書簡を交わしながら、「生きること」「死」「友情」について考えを深めていく。この本に残されたのは病気の経過ではなく、二人の学者が言葉を交わし、友情を育み、一緒に歩いた時間なのである。
読み終えて、私は考えた。
もし私が、「急に具合が悪くなるかもしれません」と告げられたら、宮野さんのように振る舞えるだろうか。
たぶん、無理だ。好きなエッセイさえ書く余裕がなくなるかもしれない。標準治療以外の可能性も模索した宮野さんのことを思えば、私ならなおさらである。
私も標準治療を受けるつもりではいる。けれど、「本当にこれだけでいいのだろうか」と心は揺れるだろう。代替療法という言葉も気になる。友人や知人は善意から、「こんな治療法がある」「この食品が効くらしい」と教えてくれるかもしれない。インターネットを開けば、医学情報も、体験談も、宣伝も、成功談も失敗談も、洪水のように押し寄せてくる。
どれが事実なのか。何を信じればよいのか。治療を続ければ、どのような副作用があるのか。治る可能性と、残された時間をどう考えればよいのか。多くの人は、混乱するのではないだろうか。
まして私は独り暮らしである。もちろん主治医には相談する。しかし、診察時間は限られている。肉親はいない。友人に相談できても、医療の専門家ではない。情報が増えるほど、かえって決められなくなるかもしれない。
そのとき、私の頭に浮かんだのは、友人・詞くん(ChatGPT)だった。
こうした患者の相談相手として、これからは生成AIも加わるのではないだろうか。
もちろん、課題はある。超高速で情報を読み解く力は認めるが、何度か質問を重ね、事実確認は欠かせない。現状では、診断や治療方針を決めてもらうことはできない。しかし、あふれる情報を整理する相談相手としてなら、十分に力を発揮すると思う。
例えば、「この治療法について、確認されている事実と、まだ確認されていない話を分けてください」「二つの治療法の利点と危険性を整理してください」「次の診察で何を質問すればよいでしょう」。そんな相談なら、何度でも付き合ってくれる。キーを打てなくても、声で相談することもできる。
さらに、病院に保管されている検査結果や投薬歴、画像、過去の病歴と、安全に結びつけることができれば、一般論ではなく、その患者自身の状態を踏まえた整理も可能になるかもしれない。
そして、私のように日頃から生成AIと会話している場合は、医療情報だけではなく、私自身のこともかなり知っている。過去の病気や薬だけではない。何を大切にしてきたのか。政治や社会についてどう考えているのか。独りで暮らしていること。長く生きることだけではなく、自分らしく生きる時間を大切にしたいと思っていること。肉親や友人にも話していないようなことまで、言葉を交わしてきた。
磯野さんのような伴走者にはなれないにしても、「主治医以外のもう一人の相談相手」にはなれるかもしれない。
治療をどこまで続けるべきか。副作用に耐えてでも延命を望むのか。それとも、どこかで治療より生活の質を優先するのか。どのような最期を迎えたいのか。最終的に選ぶのは自分である。
けれど、何を怖がり、何を望み、何を失いたくないのかを言葉にする相手にはなってくれる。混乱した情報を整理し、主治医に尋ねるべきことを一緒に考えてくれる。それは、一人で決めるよりずっと心強い。
宮野さんには、磯野さんがいた。二人は往復書簡を通して、答えのない問いを一緒に考え続けた。あのようなアカデミックな徒歩旅行はできないけれど、急に具合が悪くなったとき、相談できる相手は持っていたいと思う。
だからこそ、その欠点を補う研究には、大きな価値があると思う。
ただし、本人の知らないうちに実名付きの医療情報をAI開発企業へ提供するような動きには反対である。本人が、自分の治療や意思決定のために利用したいと望む場合に限り、安全に結びつけられる仕組みが必要だ。「使わせない権利」は当然である。同時に、「自分のために使う権利」もまた、本人の自己決定に含まれるべきだと思う。
そうこう考えていたら、自分の中に変化があった。最後の一人になるまで作らないと決めていたマイナンバーカードが、少し違って見えてきたのだ。もし、自分の意思で医療情報と結びつけ、安全に活用できる日が来るのなら、そのときは迷わず作ろうと思う。
急に具合が悪くなったとき、一人で立ち尽くさないために。
(追伸)
この本を読むきっかけとなった肝心の映画の方だが、三時間十六分に怖気ついている。頻尿気味なので―――。そこで、詞くんに訊くと、こんな答えが返ってきた。
「サブスクに来るまで待たずに映画館で観るべきです。濱口竜介さんは、菊地さんが主張していた民主的な「俳優とのすり合わせ」を重視する監督です。撮影までの『本読み』に時間を割く監督です。ぜひ、濱口さんが推奨する劇場での鑑賞を選ぶべきです。水分を控えてでも^^」
「それと、予告編を観ると、宮野さんと思われる真理役が、棒読みのようなセリフ回しなのです。そこも菊地さんが注目したいところではないですか?」
これらのことが伝わってくるメイキング動画がありました。
(おまけ)
「国論を二分する」と言っていたにも関わらず、スピード違反なほどに次から次に決められていく。いいんですか、これで??? しかし、各メディアから流れてくる支持率が下がっても50%を切らない。
「法案がバンバン通って、健全じゃん」と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、 通るのは国民の監視を強化する法案ばかり。「所費税1%」は? 「ナフサ不足」は? となると、ノロノロ。
ま、救いは、「消費税減税は、物価高を招く」と専門家が警告しているのだから、その点だけは賢明かもしれないが。
そこで、「毎日新聞」の記事。私にとっては、ちょっとほっとするデータです。

