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【32】清酒のピルビン酸について

製造側にとって管理項目の一つである「ピルビン酸」ですが、一般の方にはあまり馴染みのない単語だと思います。
まずピルビン酸とは何か、そしてそのピルビン酸が清酒醸造工程においてどのような役割を果たしているか、様々な知見が増えてきた今、あらためてまとめたいと思います。
バナー画像はかつて醪のピルビン酸濃度確認に重宝されていた月桂冠の「ピルビン酸測定スティック」の広報資料よりお借りしました。


ピルビン酸とは

生物を学習された方は、どこかで名前を聞いたことがある物質名だと思われますが、細胞がグルコース(ブドウ糖)からエネルギーを獲得する際の代謝産物です。

① 解糖系
解糖系は、細胞の細胞質という場所で行われる酸素を必要としないエネルギー産生方法です。
ここでは食事などから摂取した栄養素(グルコース)が次のクエン酸回路で必要となるピルビン酸に分解され、その過程でNADHとATPが作られます。
② クエン酸回路
クエン酸回路は、細胞小器官であるミトコンドリア内のマトリックスという場所で行われる、酸素を必要とするエネルギー産生方法です。
解糖系で生成されたピルビン酸は、酸素が十分にある状態では、アセチルCoAという高エネルギー化合物に変換され、クエン酸を生成します。クエン酸は、その後、回り続ける回路の中で何度も化学反応を繰り返し、その過程でATP、そしてNADH、FADH₂が作られます。
③ 電子伝達系
電子伝達系では、解糖系とクエン酸回路でできたNADH、FADH₂をもとに、ミトコンドリア内膜にある「電子伝達鎖」と呼ばれるタンパク質からなる複合体での電子の受け渡しを行う中で酸素を利用し、多量のエネルギーを産生します。

大塚製薬 酸素研究所WEBサイト 「細胞でエネルギーを生み出すための3つの反応」より

細胞が生きていく上でピルビン酸を経由した代謝が行われているという話ですが、何のことだかわからないという人は、とりあえず読み飛ばしてください(笑)

清酒酵母細胞内の反応径路

清酒酵母におけるピルビン酸の反応経路について、もう少し詳しく説明します。醪中は嫌気的(酸素が少ない)+高濃度グルコース環境下であり、TCAサイクルは好気的(酸素が多い)環境下に比べ回りにくく、酵母が取り込んだグルコースは下図に示したような径路で有機酸やエタノールへと変化することがわかっています。

お答えします」(山城敬一, 日本醸造協会誌, 92, (4), 284-285(1997))より

グルコースが解糖系でピルビン酸へ変換された後、ピルビン酸はアセトアルデヒド、乳酸、アセチルCoAへと変化し、アセトアルデヒドはエタノール、アセチルCoAはクエン酸リンゴ酸コハク酸へと変化します。また一部はグルタミン酸まで到達します。
清酒中の主要成分(太字)がこのあたりの反応で揃ってきますので、よくわからない方はそういうものだと丸飲みしておいてもらって結構です。
そして香気成分の前駆体も同様にこれらの代謝の中でつくられており、その先のエステル化の起こりやすさも含めた違いが各種清酒酵母の特徴になって現れています(という雑な説明で勘弁してください)。

Tips for BFD 第26回 「清酒のにおい・かおりとその由来(その1)」より

ピルビン酸自体も呈味特徴はあるようですが、相対的に少なく、醪中および上槽後も酵素反応等で変化してしまうため、清酒においてはピルビン酸を起点としたその他の物質の含有量に影響するものとして捉えられており、後述のように上槽時期の判定にその濃度が重要視されています。

清酒醪におけるピルビン酸の消長

ピルビン酸が多く残ると劣化臭発生
清酒もろみをしぼる時期の判定には、アルコール、日本酒度(比重)のほかに、ピルビン酸の濃度が重要と言われています。しぼった酒の中にピルビン酸が多くふくまれていると、木香様臭(きがようしゅう)やツワリ香と呼ばれる劣化臭が発生する原因になり、品質上好ましくないからです。
もろみの発酵中、酵母の菌体内では「ブドウ糖→ピルビン酸→アセトアルデヒド→アルコール」の順に代謝が進みます。その過程で、ピルビン酸の濃度は発酵の前半で増加し、後半で減少していきます。劣化臭を発生させないためには、発酵の後半でピルビン酸がじゅうぶん減少した状態で酒をしぼることが必要です。
ピルビン酸が多く残った段階のもろみに、醸造アルコールを添加してしぼると、酵母の代謝にショックが加わり、木香様臭を発生するアセトアルデヒドが酒中に多く残ります。また、ピルビン酸から生じるα-アセト乳酸が自然酸化し、ツワリ香(ジアセチル)へと変化します。
特に吟醸酒は10度前後の低温で緩慢に発酵させるので減少速度が遅く、ピルビン酸が残りやすくなります。そのため、しぼるタイミングが重要で高度な判断が求められます。酒をしぼる時期が早すぎたり遅すぎたりしないよう、良酒を造るための指標としてピルビン酸の濃度を測定することは、特に最終段階のもろみで重要な検査です。

月桂冠WEBサイト 「しぼるのは今!全国の蔵元を支援するキットです」 より

引用しているのは、バナー画像にも使用しました、商品(キット)自体は惜しまれながら2020年に販売終了となってしまった、月桂冠の「ピルビン酸測定スティック」の紹介サイトに記載されている文章です。

文中にあるように、ピルビン酸濃度が高い状態で醪を搾ると、残存しているピルビン酸に由来した、オフフレーバーの一種であるアセトアルデヒドジアセチルが清酒中に含まれることが知られており、特に鑑評会に出品する吟醸酒においては減点対象とされます。
しかしピルビン酸濃度が低くなるまで発酵を進めればいいかというとそういうわけではありません。ピルビン酸濃度は酵母の活性とも関係があり、ピルビン酸濃度が低いということは酵母が弱っている状態でもあります。醪末期において、清酒酵母は自らが生成したエタノール濃度が高くなると急速に死滅していくのですが、ピルビン酸の極端な減少はその兆候です。酵母が死滅すると自己消化によるアミノ酸の増加や着色といった酒質の劣化原因となりますし、老香の原因物質ジメチルトリスルフィド(DMTS)も増加するといわれていますので、上槽を急ぐ必要があります。
したがって、引用文中にあるように「酒をしぼる時期が早すぎたり遅すぎたりしないよう、良酒を造るための指標としてピルビン酸の濃度」が管理されることになるのです。

測定方法

2020年に販売終了となった月桂冠株式会社「ピルビン酸測定スティック」の代替品として、1つが新洋しんよう技研工業株式会社と新潟食料農業大学が共同開発した「ピルビン酸簡易測定キット」(2022年9月発売)です。そのキットを用いた醪上槽判定については日本醸造協会誌にも掲載されています。

もう1つが水質検査で実績のある「パックテスト」のシリーズとして、塚本鑛吉こうきち商店(製造元は株式会社共立理化学研究所)から発売されている「パックテスト®ピルビン酸」(2022年10月発売)です。
どちらも分光光度計を必要とせず、導入しやすい簡易測定として使用されています。

分光光度計により測定する方法としては、酵素法を用いた「デタミナーPA」(協和メデックス株式会社;現・キヤノンメディカルダイアグノスティックス株式会社)を使用して測定している事例が多く見られます(本来は血液中のピルビン酸を酵素法で測定するために用いられるものです)。

アセトアルデヒド

以下は酒類総合研究所が作成した資料「清酒のにおいとその由来について」より引用したものです。

独立行政法人酒類総合研究所WEBサイト 教育訓練用参考資料 清酒のにおいとその由来について(2025年6月)より

木や草のようなにおい、とある木香様きがよう臭」と呼ばれる香りの構成物質とされています。樽酒の香りに代表される木香きがとは別で、あちらは杉樽由来のセスキテルペンまたはセスキテルペンアルコールから構成されます。個人的には、樽酒の香りと比べるともっと草っぽい印象を受けます。

アセトアルデヒドがどのように作られているかといいますと…
(読み飛ばして構わないので引用スタイルに落としておきます)

まず酵母が嫌気環境下で生命活動に必要なエネルギー(ATP)を取り出すためにグルコースを分解し、中間産物としてピルビン酸が作られます。このときに補酵素NAD(ニコチンアミドアデニンジヌクレオチド)が水素イオンの「運び屋」となります。グルコースの分解に際しては、酸化型であるNAD⁺がH⁺を受け取り(=還元)NADHになるのですが、還元型のNADHが蓄積されるとH⁺を受け取るNAD⁺が不足するためグルコースの分解が進まなくなり、エネルギー獲得ができなくなってしまいます。そこで酵母がピルビン酸デカルボキシラーゼ(脱炭酸酵素)、およびアルコールデヒドロゲナーゼ(脱水素酵素)という酵素を使い、ピルビン酸からアセトアルデヒドを、アセトアルデヒドをエタノールへと変えます(その際に炭酸ガスも発生しており、一般的に「エタノール発酵」と呼ばれる一連の流れになります)。この反応でNADHからH⁺を取り出し(=酸化)NAD⁺を作り出し、そのNAD⁺をグルコース分解に充ててエネルギー産生を継続させています。

C₆H₁₂O₆ (グルコース) → 2C₃H₄O₃(ピルビン酸) + 4H⁺ 【NAD⁺→NADH】
C₃H₄O₃ → C₂H₄O(アセトアルデヒド) + CO₂
C₂H₄O + 2H⁺ → C₂H₅OH(エタノール) 【NADH→NAD⁺】

……ついてこれなくても大丈夫です。以下の文章から読んでください。

酵母が元気なとき(グルコースを利用してエネルギー獲得しているとき)はピルビン酸も多く、アセトアルデヒドも増えますが、並行してエタノールへ変換されていくので大きな問題にはなりません。
しかし酵母活性が高いときに急にアルコールを添加すると、酵母が刺激されてピルビン酸デカルボキシラーゼが大量に酵母細胞外へ排出され、醪中に多く含まれていたピルビン酸は一気にアセトアルデヒドへと変わります。
そのアセトアルデヒドを酵母がエタノールに変換できれば良いのですが、急激なエタノール濃度の上昇で酵母が弱ってしまっていると、アセトアルデヒドをエタノールへ変換することができず、醪中、そして搾った清酒にはアセトアルデヒドが蓄積された状態となることが知られています。

アル添により酵母菌体内の分解酵素の漏出が促進され、また、酵母細胞膜が損傷し、細胞内にピルビン酸が流入することによって、もろみ中のピルビン酸はアセトアルデヒドに急激に変換されます。酵母に活性が残っている場合、アセトアルデヒドは酵母菌体に取り込まれ、エタノールに変換されるため、アセトアルデヒドの濃度上昇は一過性ですが、酵母の活性が低い場合、アセトアルデヒドが蓄積し、木香様臭が発生するものと思われます。

お答えします」(松本 健, 日本醸造協会誌, 90, (9), 685(1995))より

また活性が弱くなっていなくても、アル添後すぐに上槽して酵母とアセトアルデヒドが分離された場合には、同様にアセトアルデヒドが変換されないまま残留します。
清酒中のアセトアルデヒド濃度がおよそ80ppm(約8mg/100mL)を超えると木香様臭として感じられるとされています。

要約
(中略)
4. 木香様臭はアセトアルデヒドが清酒100ml中に約8mg以上存在することにより感じられ、そのアセトアルデヒドはもろみ中の酵母の作用でピルビン酸より生成したものと考えられる。

アルコール添加後の清酒もろみにおけるピルビン酸よりアセトアルデヒドへの変換」(土肥和夫,醗酵工学雑誌, 52, (7), 416-422(1974))より 

清酒中に含まれたアセトアルデヒドは、火入や貯蔵によって多少の減少は見られるものの、木香様臭の指摘を受けるほどにアセトアルデヒドが含まれていた場合は、大量の活性炭を投じても濾過してもわずかに軽減できる程度にしかならないため、上槽時に多くアセトアルデヒドを作らせない、すなわちピルビン酸濃度が高い状態でアル添をしないことが重要です。

 次に、火入や貯蔵、炭素沪過によるアセトアルデヒドの変化であるが、我々の試験結果では、火入や貯蔵ではほとんど変化がないか、またはいくらかの減少が認められた。生酒時の官能検査で木香様臭が強いと指摘された試料は、90日の貯蔵後でも、すべて木香様臭が強いと指摘され、木香様臭は火入や貯蔵によって減少しにくいと考えられる。しかしながら、アセトアルデヒドの沸点は21℃で、非常に揮発しやすく、現場での火入や移動の際に揮散し減少することも考えられる。第5表は、ネジ栓付の試験管を用いて、加熱による揮散を調べたものであるが、佐藤らも報告しているように、アセトアルデヒドは、アルコールに比べ揮散しやすいことがわかる。
 アセトアルデヒドは、活性炭処理によっては除去されにくく、MC炭や粉末炭では10kg/klの使用でも20ppm程度しか除去されない。粒状炭カラムを使用した場合、50ppm程度除去できるが、他の成分も多量に除去されてしまうので、清酒としての風味が乏しくなり酒質は低下する。

清酒の木香様臭」(秋田 修, 日本釀造協會雜誌, 75, (6), 458-462(1980))より

なお、引用に記載の通りアセトアルデヒドはエタノールよりも沸点が低く、燗酒にすることで飲用時に大半が抜ける、という話がありましたので参考までに。

燗酒にすると、香りとうまみが増す
(中略)
また、二日酔いの原因物質であるアセトアルデヒドは、アルコールよりも沸点が低いので、燗酒にすることでその多くが抜けます。つまり、体への負担が少なく、酔い覚めがすっきりするのも燗酒の魅力ですね。

福島県WEBサイト 「ふくしまの酒 STYLE 04 ふくしまの酒×燗酒」より

ジアセチル(ダイアセチル)

英語読みだとダイアセチルですが、日本ではジアセチルと呼ぶようになったそうです。こちらも酒類総合研究所が作成した資料「清酒のにおいとその由来について」より引用したものを載せておきます。

独立行政法人酒類総合研究所WEBサイト 教育訓練用参考資料 清酒のにおいとその由来について(2025年6月)より

清酒醪中におけるジアセチルは(基本的には)酵母によって生成されますが、乳酸発酵によって生じる特徴的なにおいであり、乳製品でとくに強く感じられるものとされています。したがって乳製品に慣れ親しんでいる欧米人は好む傾向にありますが、強いジアセチル臭は日本人には敬遠されがちで、発酵(腐敗)に伴う食品の品質低下を連想させるものと捉えられています。

一方、わが国の伝統的な生活の中で典型的なジアセチル臭を感じるのは、ご飯が腐りかかった時です。したがって、わが国ではジアセチル臭は食品の品質低下の典型的な臭いとして認識されているのです。
(中略)
わが国で許容されるジアセチル臭は、ごく微弱なものであり、発酵されていることを連想させる場合であるように思われます。
(中略)
品質管理する必要のある濃度範囲は非常に低く、そのレベルは、ビールの場合、風呂桶1杯のビールに対して約1滴のジアセチル量に相当します。

食品とジアセチル」(井上 喬, 日本醸造協会誌, 99, (5), 315-323(2004))より

「つわり香」というのが何故そう呼ばれるようになったのか、いろいろな説がWEB上では散見されますが、古くは日本釀造協會雜誌の13巻(1918年)5号の「清酒火入期ニ際シテ弱酒火入法」という報文において「香氣ハ低ク往々ツワリ香ヲ有シ」という表現が確認されていますので、相当前から使われていた用語のようです。
ただし酒類総合研究所(当時)の宇都宮 仁による報文では、習慣的な用語であり、今後は公的な官能評価の用語としては使わないことが望まれる―とされています。

4.用語体系の使用法
(1)(中略)
(2) 類義語あるいは「上立ち香」、「含み香」、「雑味」等のこの用語体系以外の用語については、習慣的に使用することは差し支えないが、公表あるいは外部との情報交換を行う場合には、クラス、第1層及び第2層に示した用語で置き換えることを推奨する。特に括弧で示した(つわり香)及び(セメダイン臭)は、今後使わないようすることが望まれる。

宇都宮 仁「清酒の官能評価分析における香味に関する品質評価用語及び標準見本」(日本醸造協会誌, 101, (10),  730-739(2006)) より

清酒内のジアセチルの発生原因としては、酵母がピルビン酸から生成する他に、火落ちした場合に火落菌(乳酸菌)が生成することもあります。つわり香の主要成分はジアセチルではあるのですが、火落ちの際の臭気には酢酸などの低級脂肪酸の不快臭も含まれており、複合的に「つわり香」と認識されていたのではないでしょうか。また「ジアセチル」という表現において、純粋なジアセチルを指す場合と、派生・関連物質(状態が不安定で単離が難しいものを含む)を含む場合もあるため、ジアセチル単体のにおいでは表せないのかもしれません。

さて、清酒醪中におけるジアセチルの生成は以下の通りです。

2.酒類中でのジアセチルの生成経路
 発酵中のもろみではバリン、ロイシン及びイソロイシン(分岐アミノ酸)の生合成経路によって、酵母の菌体内でピルビン酸からα-アセト乳酸が生成する。生成したα-アセト乳酸は分岐アミノ酸合成の材料として使われるが、一部は化学的に分解してジアセチルまたはアセトインになる。
(中略)
α-アセト乳酸の分解はもろみ液中でも進行し、生成したジアセチルとアセトインは酵母菌体内で生成したものと同様に還元される。実際のもろみでは低酸素濃度でジアセチルの生成が低く押さえられていることとアセトイン脱水素酵素の働きが活発なためにこれらの反応の結果としてジアセチルはほとんど存在しないことが予想される。

酒類中のジアセチル生成について」(小林 健, 第38回独立行政法人酒類総合研究所講演会要旨) より 

アセトアルデヒド同様、ピルビン酸から嫌気環境下でエネルギーを獲得するため、ピルビン酸から乳酸発酵が行われています。醪中においては、ジアセチルが生成されても酵母のはたらきによってアセトインや2,3-ブタンジオールなどの別の物質へと変化するため問題にならないのですが、醪中のα-アセト乳酸が多い状態で上槽すると、清酒に移行したα-アセト乳酸がジアセチルに変化し、蓄積されてしまいます。
醪中ではジアセチルの臭いを感じることがなくとも、上槽後にα-アセト乳酸からジアセチルへの変化が生じるため、古くはタンクなどの衛生環境に問題がある場合に生じる臭い(実際火落ちした場合は乳酸菌によってジアセチルが生成されます)なのでは、とも考えられていたようですが、溶存酸素によるα-アセト乳酸からの酸化反応であるため、製成酒のα-アセト乳酸を少なくしないと、衛生面を万全にしたところで生じてしまう臭いになります。

ビールにおいては「ダイアセチル(ジアセチル)レスト」と呼ばれる、発酵の終了間際に温度を少し上げて数日間キープする醸造工程により、残ったジアセチルを酵母によって分解する手法がありますが、清酒においても上槽後に酵母を加えればジアセチルを低下させることができ、清酒の定義において「清酒かすを加えて濾したもの」というものが認められるのはそのためです。

3) 清酒に清酒かすを加えて漉したもの。これは、万が一の救済策として、規定されているようです。つまり、上槽(ふねで搾ること)時期などを間違えて、ヂアセチル臭などが感じられる場合に、新鮮な酒粕(生きている酵母が含まれていることが条件)を加えて、2~3日置くと、ヂアセチルを酵母が分解して香りを改善してくれる効果が期待されます。したがって、このような処置をして酒質を復元することを救済策として認めているのです。

なぜ灘の酒は『男酒』、伏見の酒は『女酒』といわれるのか」(石川雄章, 実業之日本社, 2011)より

醪上槽の目安

ここまでの復習でもありますが、ピルビン酸が高い状態で醪を上槽すると、製成酒中のアセトアルデヒドやジアセチル濃度が高くなりオフフレーバーとして指摘されることから、醪上槽時にはピルビン酸がある程度低くなっていることが要求されるようになりました。

ピルビン酸およびα-アセト乳酸の低減は 酒類醸造技術における長年の技術課題であった
清酒を含む酒類醸造において、ピルビン酸の残存はさまざまな問題を引き起こす。たとえば清酒の上槽前のアルコール添加時にピルビン酸濃度が高いと、ピルビン酸がアセトアルデヒドに脱炭酸され木香様臭を呈するようになる。また、酒類醸造中のピルビン酸濃度が高いときには細胞内においてピルビン酸の2位のカルボニル炭素がヒドロキシエチル-チアミンピロリン酸により求核攻撃を受けることにより新たな炭素間結合が形成されることでα-アセト乳酸が生合成され、細胞外に漏出する。上槽などの操作によって酵母と発酵液が切り離されると、α-アセト乳酸は貯蔵中に非酵素的酸化的脱炭酸によ り官能閾値の低いジアセチルとなり、ジアセチル臭を呈するようになる。清酒の醸造においてピルビン酸とα-アセト乳酸の比率はほぼ一定の比率を示すことから、ピルビン酸の低減は酒類醸造において長年、重要な技術課題と認識され、多くの研究が行われてきた。

ミトコンドリア輸送に着目したピルビン酸・α-アセト乳酸低減清酒酵母の育種とその実用化・技術移転」(北垣 浩志, 生物工学会誌, 89, (8), 461-464(2011)) より 

ピルビン酸の生成自体を少なくした酵母の育種が上述の北垣浩志の研究にて行われ、日本醸造協会よりきょうかい7号酵母のピルビン酸低生産性変異株である「TCR7酵母」が2014年(平成26年)より頒布されることになりましたが、2020年度を以て頒布を終了しています(頒布終了の理由は見つかっておりません)。

ではピルビン酸をどの程度まで下げたらいいのか、具体的にいつからその指標が用いられるようになったのか定かではないのですが、特に吟醸酒においては醪中のピルビン酸濃度100ppm以下がアル添の基準とされてきました。確認できた範囲では2000年前後には既にその説明がなされており、酒造の教本等にもその記述がありました。下記引用は1999年の日本醸造協会誌です。

この外にアル添の時期と木香様臭やジアセチルの生成との関係は吟醸造りには大切なポイントである。ジアセチルは酵母がつくるα-アセト乳酸が上槽後に自動酸化により生成する成分で、清酒にあってはならない悪臭の一つである。これらの予知や調節はむずかしいが、今日、もろみ中のピルビン酸量を測定して、もろみが熟成期に入ると次第に減少してくるから、ピルビン酸が100ppm以下なったらアル添するのがよいといわれている。1つの目印であろう。

吟醸造りと品評会の歴史から(その2)」(秋山裕一, 日本醸造協会誌, 94, (8), 628-634(1999))より

ピルビン酸濃度と製成酒のアセトアルデヒドやジアセチルとの関連について具体的な報文や検証データを探してみたのですが、1995年時点ではまだ100ppmという目安が確立していないことが下記報文より推察されました。

清酒中のアセトアルデヒドの官能検査上の閾値は80ppm(危険率1%)と言われていますが、吟醸酒ではもう少し低く20ppm程度のようです。アル添後この値より低ければよいのですが、酵母によりどの程度ピルビン酸からアセトアルデヒドが生成するのか分からないので、安全を考えればピルビン酸濃度は50ppm以下が適当です 。

お答えします」(松本 健, 日本醸造協会誌, 90, (9), 685(1995))より 

「ピルビン酸とα-アセト乳酸の濃度は清酒醸造においてほぼ一定の比率であることがわかっている」と引用された1997年の報文(下記)の内容を確認したところ、清酒醪中におけるピルビン酸濃度と、ジアセチルおよびアセトアルデヒドなどのカルボニル化合物の相関についてデータが出ており、「清酒醪においても、重要な代謝中間体であるピルビン酸と他のカルボニルの消長に明瞭な関連性があることが認められた。」と記述されていましたが、主題は分別定量方法にあるため、この数字が清酒醪における汎用的な相関と言えるのか、私には読み取れませんでした。このTable 10において、清酒醪中のピルビン酸濃度に対して、アセト乳酸は関連性があると言えそうですが、他の数字の推移はどうでしょうか。

清酒醪中のAC, DA, AA, ALおよびPYは醪前半においてかなり生成されるもののアルコールの生成が多くなるにつれて減少する傾向にあり、清酒醪においても、重要な代謝中間体であるPYと他のカルボニルの消長に明瞭な関連性があることが認められた。またALにおいては、醪後半では0.1mg/L以下と非常に少ない値であり市販酒のALの定量値が不検出なのはこの醪の経過から理解出来た。

酒類中のカルボニル化合物類の分別定量の開発」(稲橋正明, 日本醸造協会誌, 92, (2), 151-158(1997))より
※AC:アセトイン、DA:ジアセチル、AA:アセトアルデヒド、AL:アセト乳酸、PY:ピルビン酸

AI検索では、ピルビン酸濃度とアセト乳酸あるいはジアセチルとの濃度相関が認められた報告云々~とAIが自信満々で言っていたのですが、この報文以外には実在する資料には辿り着きませんでした。

また1990年代付近で低アルコール清酒の開発が各地で盛んに行われ、醪中のピルビン酸濃度が高いことでジアセチルなどのオフフレーバーが課題とされていましたが、2000年に大関が特許として出願した製法の中に、醪中のピルビン酸濃度とジアセチルの官能評価の数字を基に、基準となる100ppmを定めた記述はありました。

【0012】酒母のピルビン酸は、13日目で300ppm以上であったが、15日目で200ppmになり、18日目では100ppm以下となり、酒母の熟成とともにピルビン酸が減少して行くことが示されている。官能評価の結果、300ppmと、200ppm以上のピルビン酸を含む酒母ではダイアセチル臭が多く指摘されたが、100ppm以下のピルビン酸ではダイアセチル臭の指摘は全くなかった。これは、ダイアセチルの酵母生体内前駆物質であるピルビン酸が十分に減少したためにダイアセチルが発生しなかったことによる。このように、四段添加前の酒母中のピルビン酸を減じることは、ダイアセチル臭の発生の危険性を少なくするために有効な方法の一つとなり、その基準は100ppm以下であることが確認された。すなわち、酒母のアルコール濃度が15%以上であっても、ピルビン酸濃度を100ppm以下になるまで熟成させることが、四段添加後のダイアセチル臭発生の危険性を減じるために不可欠な様態である。

「[特開2001-204457] 低アルコール清酒の製造法」(大関株式会社)より
※J-PlatPatの検索結果へリンクできないのでGoogle Patentsへのリンクとしています

先述の通り1999年の日本醸造協会誌にはピルビン酸濃度の目安を100ppmとする旨が記載されていたことから、この特許出願に際しても基準値としての100ppmありきだったのではと考えられますが、1997年から1999年の文献にそれらしきものが見当たらないは何故でしょうか(2000年代以降のピルビン酸関連の報文の引用にも出てきません)。

清酒醪のピルビン酸関連の報文でよく引用されるのが、以下の2007年に日本醸造協会誌に掲載された報文なのですが、「もろみ中にピルビン酸が多く残存している場合は、目的とする日本酒度よりやや辛口になっても従来通り100ppm以下になってから上槽し、アセトアルデヒドやダイアセチルの生成量をできるだけ少なくするのが望ましい。」とあるだけで、100ppmの根拠にはなりませんでした。

なお近年では、2020年~2022年にかけての福島県ハイテクプラザの研究により、精米歩合50%未満の清酒醪において、原料米や酵母の種類に依らず、ピルビン酸濃度が150ppm以下での上槽はジアセチルの検知閾値である83ppbを十分に下回り、早期上槽の指標となり得ることが示唆されています。

4.結言
 実規模醪でジアセチル抑制条件を検証した。ここでもピルビン酸濃度とジアセチル濃度の関係では、ピルビン酸150ppm以下では、全ての試料でジアセチルの検知閾値83ppbを下回り、ピルビン酸150ppm以下を指標とした上槽はジアセチルを抑制する早期上槽指標として有効であることが明らかとなった。
 醪日数におけるピルビン酸濃度とジアセチル濃度の関係では、醪日数22日以上であれば、1点を除く全ての試料でアルコール14%程度でもジアセチルが検知閾値以下となり、極端な短期醪を避けることがジアセチル生成抑制に有効であると考えられた。
 精米歩合におけるアルコール濃度とジアセチル濃度の関係では、精米歩合が50%未満では、ピルビン酸濃度が高く残存する場合でもジアセチル濃度が低い傾向となった。50%未満のものは一般的に発酵温度が低く、実際に醪日数が18日以上と長いものが占め、醪日数も影響していると考えられた。

適切な上槽時期の判断による県産酒の高品質化(第3報)」(高橋 亮, 福島県ハイテクプラザ 令和4年度試験研究報告書)より」

ジアセチルの検知閾値83ppb(≒μg/L)については、上記報文中に引用記載されていますが、酒類総合研究所の宇都宮ら(当時)により報告されたものです。

ジアセチルの検知閾値83μg/lは、ビールでの閾値70~150μg/lと同様であった。溶媒中のジアセチル量を考慮すると200μg/l程度で検知され、500μg/l程度から「ジアセチル」、「つわり香」と認知された。

「酒に添加した匂い物質の閾値(第1報)」(宇都宮 仁, 日本醸造協会誌, 99, (9), 652-658(2004))より

「劣化臭」か「個性」か

オフフレーバーとは「本来食品にない、あるいは通常感じられないにおい(異臭)のこと」を指し、「ピルビン酸が多く残ると劣化臭発生」と先述の月桂冠のサイトにあるように、アセトアルデヒドやジアセチルは基本的には「オフフレーバー」だと考えられています。

しかし、適度なアセトアルデヒドやジアセチルはその酒の個性とも取れ、必ずしも不快なものとされない場合があり、評価軸が変化してきています。
また生酛系酒母においては乳酸菌が製造工程に関与するため、(良いか悪いかは別として)ジアセチルを感じやすいものもあります。

従来、ジアセチル臭は、不快臭と考えられてきたが、ヨーグルトを想起させる香気でもあることから、管理されていれば不快臭でなく、清酒の特徴香の一つとして見直す考えもある。

灘の酒用語集(WEB版)「つわり香・ダイアセチル臭」より

なお、教本P.157に書かれていますが、ジアセチルの香りが過度な場合、特に酢酸の香りと合わさった場合は「つわり香」と言われ、不快臭の一つだとされています。しかし乳製品のおいしそうな香りでもあることから、適度な場合は不快臭でなく、日本酒の特徴香の一つとして見直す考えもあります。
SAKE DIPLOMAでは乳製品の香りは、過度でない限り不快臭だとはとらえません。

ワイン受検.com「テイスティング・コメントの選び方・香りの特徴(米、乳製品)」より

清涼感がある「アセトアルデヒド」
アルコール発酵の中間代謝物のピルビン酸が関係して増加するアセトアルデヒド。醪にアルコール添加した場合に生成されやすく、ピルビン酸が多く残存している状態の醪を上槽した場合も香りが強く感じられます。木香や草木、青竹にも似ており濃度が高い場合は刺激的で不快と感じますが、ごく少量の場合は青りんごを連想させ爽やかで清涼感と捉えられる事もあります。

KUBOTAYA(朝日酒造)WEBサイト「日本酒の香りとは?日本酒の香り成分とその由来を詳しく学ぼう」より

そもそも「オフフレーバー」って?

これについては、まるっとSAKE Streetさんの記事から引用します(笑)

そもそも「オフフレーバー」って?
日本酒の製造過程では多種多様な香りや味の成分が作られますが、これらのうち好ましくないものを指すときに「オフフレーバー」という言葉が使われます。しかし、ある香りや味がオフフレーバーなのか、そうでないのかは時代や立場によって、そして究極的には人によって異なります。

特に近年では、 一般にオフフレーバーとされやすい味や香りでも、消費者や酒販店などの評価につながる場合も多くあります。代表的なものとして、従来は日本酒では避けられてきた「酸味」は、近年では甘味とのバランスをとる味わい、あるいは個性を表現する味わいとして評価されるようになってきています。

また、その蔵で歴史的に「持ち味」とされてきた味や香りなど、造り手が表現したい味わいのデザインのなかに、一般的にはオフフレーバーとされやすい味や香りが含まれていることもあります。たとえば「渋味」や、「老ね香」とされるものの一部がこれに該当します。
(中略)
その味わいや香りの原因や由来がはっきりしているなど、意図して表現可能か、という点は、オフフレーバーと持ち味を区別するための重要な要素となりそうです。「持ち味」となるべき背景や評価がなく、かつ、意図して表現できない香りや味は、基本的にはオフフレーバーとして避けるべきであると考えられます。

SAKE Street「日本酒造りと衛生管理の正解を探る(2/2) - 「酒屋万流」と衛生管理」より

近年の全国新酒鑑評会の出品酒の印象として、過去ならこれはマイナス評価と判定される成分(例:酢酸エチル)が感知されても、総合的に酒質として優れていると判断されれば好成績となるケースも散見されるようになりました。

品質保持の観点から「劣化臭」と考えられてきたアセトアルデヒドやジアセチルも、先述の通り「個性」と見做す考えもあり(全国新酒鑑評会では現時点では減点対象のようですが)、そうなると清酒醪のピルビン酸管理においても、それらを再現性を持って意図的に生じさせる、特徴的な新しい造りが生み出されるのかもしれません。

「個性」の捉え方

では、アセトアルデヒドやジアセチルがあっても問題が無いのか、というとそういうわけではなく。それが何故生まれて、どう評価されるのかは、きちんと判断する必要があります。

こちらもSAKE Streetさんの記事からの引用です。

「利酒をおこなう技師は、酒に含まれる一つひとつの香りがなぜ生まれたかを明確に判断するのが仕事なので、欠点を見つけるような表現をする必要がありました。しかし、香りの要因を判断することはできるけれど、売れるか売れないか、お客さんが好むか好まないかを判断することはできない。最近はそういう考え方が増えて、あまり辛辣な表現をしなくなってきていると感じます」

白樫さん曰く、技術者のあいだでもそうした変化が起きているのは、「酒が腐らなくなったから」

「昔は腐造したら酒税が徴収できなくなるので、腐らせないようにと指導が入っていたわけですが、今は火入れ技術も上がり、衛生面もかつてとは雲泥の差です。全体のレベルが上がったから、そこまでの指導をする必要がなくなった。腐造でなければ、あとはお客さんの好みなんですよね」

SAKE Street 「日本酒のオフフレーバーはどう変化してきたのか - あたらしいオフフレーバーのはなし(2) 2つの酒蔵が語る過去と現在」より

酒造技術や衛生環境のレベルアップにより、それが劣化によって生じたものではなく、意図的に付与する特徴であるとするならば、それが何に起因しており、どの程度含まれるのが良いのか。そしてそれが消費者に届く段階で意図した風味となっているのか。
――コレは単に「なければいい」よりも難しいと思います。

ピルビン酸については以上です。本当は鑑評会の話題が終わるまでにきちんと仕上げたかったのですが、結局初夏を迎えてしまいました……。そして結局「100ppm以下」の根拠はわからずじまいです。
「ジアセチル」(井上 喬, 幸書房)も紹介していただき、読んでみたのですが具体的な数字の記載は見つけられませんでした。続報、お待ちしております。

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