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【29】清酒と「正宗」

私のアカウント名にも使用している、清酒の銘柄として代表的な「正宗まさむね」。【27】【28】の灘五郷の話で根拠資料とした「灘酒沿革誌なだしゅえんかくし」に中にもその起源が出てくるのですが、それら「正宗」に関してのエピソードと、付随するアレコレをまとめてみます。
画像は引用で後程紹介する「弁護士JPニュース」の記事からお借りしました。


「○○正宗」について

いろいろな人が調べていますが、参考資料として下記リンク先の甲南大学の調査(2025年3月20日時点)によると、存廃併せて288の「正宗」が確認でき、そのうち現存するのが103あるそうです。他の資料だと100~150くらいの幅でありますが、調査・確認方法の違いと考えられます。

「正宗」の謂れ

さて、この清酒によく使われる「正宗」ですが、最初に用いたのは櫻正宗さくらまさむねの6代目当主・山邑やまむら太左衛門たざえもん(喜太郎)です。【27】の宮水の効能の発見および高精白米の酒造りでもこの人が出てきましたが、そのエピソードと併せて、正宗を酒銘とした経緯が「灘酒沿革誌」に載っています。

灘酒ニ正宗ノ銘、頗ル多シ、方今正宗トハ酒ノ異名ノ如キ觀アリ因リテ試ニ其ノ由ル所ヲ推究スルニ山邑氏ノ酒銘ニ淵源セリ、一書ニ其ノ事ヲ記シテ曰ク、正宗の銘や由來灘酒の専らにしたる商標にして灘酒たる正宗の世間に賞賛さるゝや各地方の酒造家、多くその銘を冠するに至りしなり、正宗は灘酒の總稱といふも不可なき程なれと灘にて此銘を用ゆるに至りしには面白き來歴あり、これか冠親カムリオヤとも云ふへきは櫻正宗の本舗、魚崎村山邑氏の祖先たる太郎左衞門其の人なり、此の人、夙に佛法に歸依し山城國深草なる元政庵の住僧と親交あり會て住僧を訪ひたる時、何心なく其の傍にある經文を開き見たるに其の巻頭に臨濟正宗の語あり太郎左衞門、心に思ふやう我れ日頃、酒の銘について適當なる名稱を尋ねつつありしに正宗とは好き名なり、且つ其の音、清酒にも通するは是そ佛か我に與へ玉へる酒銘なるへしと、即之を取りて酒樽に附したり斯くて正宗は山邑氏の醸酒の名とはなりぬ、されと其の音はせいしうにしてマサムネにあらす、其の後、此の酒、追々江戸に聲價を著はすに従ひ人はこれをセイイウと呼はすしてマサムネと唱へ遂にマサムネが一般の稱呼となりしなりと、一説ニ山邑氏、世々日蓮宗ナリ、正宗トハ其ノ歸依スル所ハ正シキ宗旨ナリトノ意義ヲ以テ之ニ命シタリト傳フ、又一説ニ往時酒ノ銘ハ伊丹・池田ハ喜ンテ剣菱・男山等力士ノ名ニ似タルモノヲ用ヰ、灘地ハ之ニ反シ杜若・路皐等多ク俳優ノ名ヲ冠ラセ山邑氏ノ如キモ初ハ薪水ト銘セリト云ヘリ

灘の酒には「正宗」という銘柄が非常に多く、今日では「正宗」といえば酒の別名であるかのような感すらある。そこで、試みにその由来を突き止めてみると、山邑氏(現在の櫻正宗)の酒の銘柄に源を発している。
 ある書物にそのことが記されている。
 「正宗」という銘柄は、もともと灘の酒が独占していた商標であった。灘の「正宗」が世間で賞賛されるようになると、各地の酒造家がこぞってその名を冠するようになった。今や「正宗」は灘の酒の総称と言っても差し支えないほどだが、灘でこの名を用いるようになったのには面白い由来がある。
 この名付け親と言うべき人物は、櫻正宗の本舗である魚崎村の山邑氏の先祖、太郎左衛門その人である。この人は早くから仏教に帰依しており、山城国深草(現在の京都市伏見区)にある元政庵の住職と親交があった。あるとき住職を訪ねた際、何気なく傍らにあった経典を開いてみたところ、その巻頭に「臨済正宗」という言葉があった。
 太郎左衛門は心に思った。「私は日頃、酒にふさわしい名前を探していたが、正宗とは良い名前だ。しかも、その読み(せいしゅう)が「清酒(せいしゅ)」の響きに通じる。これは仏様が私に授けてくださった酒の名に違いない」と。すぐにこの名を取って酒樽に付けた。こうして「正宗」は山邑氏が造る酒の名となった。
 しかし、当時は「セイシュウ」と呼んでおり、「マサムネ」ではなかった。その後、この酒が江戸で評判を高めるにつれて、人々はこれを「セイシュウ」とは呼ばずに「マサムネ」と呼び、ついに「マサムネ」が一般的な呼び名になったのである。
ということだ。
 また一説には、山邑家は代々日蓮宗であり、「正宗」とは「自分が帰依しているのは正しい宗旨である」という意味を込めて名付けたとも伝えられている。
 さらに別の説では、かつて伊丹や池田の酒は「剣菱」や「男山」など、力士の名に似た力強い銘柄を好んで用いていた。一方、灘の酒はそれとは反対に「杜若かきつばた」や「路皐ろこう」など、歌舞伎役者の名を多く冠していた。山邑氏も、初めは「薪水しんすい」という銘柄を使っていたとされている。

「灘酒沿革誌」第三編 第三章 灘酒ノ變遷―第二節 酒質ノ改善 (p160-165) より

仏教用語としては「正宗」は「セイシュウ」ではなく「ショウシュウ」と読むのですが、酒銘としては「セイシュウ」と読むようにしたようです。
人々が「セイシュウ」ではなく「マサムネ」と呼ぶようになった背景には、次の段で述べる刀剣の存在もあったのかもしれませんが、何にせよ当初の「セイシュウ」ではなく「マサムネ」呼びが銘柄として定着してしまいました。
その後、皆がこぞって「正宗」を付けた、というのはちょうど山邑太左衛門が宮水を用いて、高精白米の仕込を始めた山邑の酒が江戸で評価されたのと同時期(1840年代)にあたったのも影響したと考えられます。

刀剣「正宗」との関係

辛口のキレの良さを刀になぞらえて「正宗」とした、という俗説も散見されるのですが、山邑太左衛門の酒が評判になった江戸時代後期(19世紀半ば)には、既に刀(刀匠)の正宗の方が人々に知られていました(下記の「享保名物帳」は8代将軍・徳川吉宗の命により集められましたので18世紀の出来事です)。そこから酒銘を取った――というより、セイシュウの酒のキレの良さが読み方をマサムネに変化させた理由の1つとして考えた方が自然かもしれません(ちなみにGeminiは先ほどの文章の和訳の際にそのニュアンスを補足で入れてきました)。

「正宗」は、鎌倉時代末期から南北朝時代初期にかけて、作刀に携わった刀工です。通称「五郎入道」と名乗っていたため、一般的には「五郎入道正宗」(ごろうにゅうどうまさむね)と呼ばれています。江戸時代に編纂された名刀リスト「享保名物帳」(きょうほうめいぶつちょう)において、「天下三作」(てんがさんさく)のひとりに選定された名工です。

刀剣・日本刀の専門サイト 刀剣ワールド > 著名刀工・刀匠名鑑 > 正宗(まさむね)より

なお、兵庫県にある田中酒造場の銘柄「名刀正宗」については、どう見ても刀剣に由来するものと考えられますが、創業1835年(天保6年)とあり、上述のセイシュウのエピソード(天保年間とされています)と同じくらいのタイミングになります。

蒼空に羽ばたく姫路城。かつて城中に清酒「名刀正宗」が献上されたのは、時の城主酒井忠実の頃。忠実に、「旨い酒」とお褒めのお言葉を頂戴し、その証として自筆の扁額「花氣随酒」を褒美に賜りました。
創業天保6年(1835年)以来、先人達の素晴らしい伝統の技と魂を脈々と受け継ぎ、手造りに精魂を傾け、不易流行、五つの時代に渡る「礎」となっております。

田中酒造場WEBサイト 「田中酒造場について」より

こうは書いてあるものの、WEB検索でヒットするラベルに後述する「正宗」の髭文字を使用しているところを見ると、創業1835年と共にその銘柄を使用したのではなく、他所と同様に「正宗」を使用していたのを、どこかのタイミングで「名刀正宗」とした可能性がある……のか?というところです。
公式サイトには上述の文章があるのみで、特に銘柄の謂れは記載されていませんでした。

他の由来の「正宗」

読みが同じということで武将・伊達政宗との関連性を挙げる説がたまにありますが、単純に字が違いますし無関係でしょうね。
ただし勝山酒造の「戦勝政宗せんしょうまさむね」に関しては、伊達家との関係が深く、今も実在する伊達家18代当主・伊達泰宗公に献上するなどしており、「政宗」に由来する銘柄です(元は「戦勝正宗」であったと甲南大学の資料には記載がありました)。

また、「白隠正宗はくいんまさむね」については由来がWEBサイトに記載されていましたが、「セイシュウと清酒をかけた」と同じような謂れであるものの、明治17年(1884年)の話となっているので、時系列では元々のセイシュウの話が先で、その話を知っていたのかどうか……?

「白隠正宗」の由来
駿河には過ぎたるものが二つあり
富士のお山に原の白隠
中興の祖 白隠禅師が朝廷から国師号「正宗国師」を賜る際
勅使として松陰寺を訪れた山岡鉄舟が
出された酒の旨さに
「正宗国師」の正宗(せいしゅう)と清酒をかけ
「白隠正宗」と銘々したと謂われています
(中略)
沿革
1804年(文化元年)網元だった先代が個人酒造業を創業
明治17年 山岡鉄舟により「白隠正宗」と銘々

高嶋酒造株式会社WEBサイト より

銘柄と商標登録

この「正宗」ですが、銘酒の代名詞として多く使用された結果、商標登録制度ができた時点で「正宗」は普通名詞扱いとされ、単独で商標としては使用できないものとなってしまいます。

商標登録制度ができ、いち早く出願したが…時すでに遅し
山邑家としても手をこまねいていたわけではなく、明治17年(1884年)に商標条例が制定されると、いち早く「正宗」を商標出願するとともに、無断使用が横行している現状を、商標制度を所轄する商農務省大臣で、西郷隆盛の弟として知られる従道に上申し、その保護を求めている。
だが、時すでに遅し。もはや「正宗」が多くの事業者に慣用されている状況下で、元祖とはいえ特定の事業者にこの銘柄の使用を独占させてしまえば、かえって社会に混乱を招くと判断され、「正宗」の商標登録は認められなかった。
(中略)
その代わり、当局は山邑家に対して、今後は「正宗」に国花の「桜」を付すことを提案したという。これを容れた山邑家は、以降自家の銘柄を「櫻正宗」と改称し、現在に至るというわけである。

なぜ日本酒には「○○正宗」が多いのか? “元祖”は「櫻正宗」だが…他社でも使われるようになった背景に「商標登録」の逸話あり (弁護士JPニュース)より

「正宗」を商標として主張した山邑家はそれが叶わず、国の花と言える紅色複弁の櫻花一輪を配し、「櫻正宗」と改称して登録商標とした、と櫻正宗公式サイトにも記載があります。そして「菊正宗」をはじめ、各地の酒蔵も「○○正宗」と改称し、現在に至ります。
「正宗」は清酒において「商標登録できないもの」として、今も政府広報オンラインに例示されています。

商標登録できないもの
商標は、自己の商品・サービスと他人の商品・サービスとを区別するために用いられるものであるため、出願をしても登録できないと判断される場合もあります。例えば以下のものは、商標法により、商標登録できません。
[1]自己と他人の商品・役務を区別することができないもの
1 (略)
2 商品・役務について慣用されている商標 
例:商品「清酒」に「正宗」

知っておかなきゃ、商標のこと!商標を分かりやすく解説!(政府広報オンライン)より

「酒は正宗、酢は丸勘マルカン

さて、「酒は正宗、酢は丸勘」と江戸時代の下り物のうち、清酒と酢の良品質の証とされた「正宗」と「丸勘」ですが、「丸勘」については現在は神戸市に本社がある「マルカン酢株式会社」がその名前の通り今も続いています。

「丸勘」についても、当時は独占の商標ではなく、多くの酢にその名称が用いられていたそうです。

江戸で酢といえば“尾張の丸勘”と言われるほど、半田中野の酢は丸勘(まるかん)と呼ばれポピュラーな存在となっていた。二代又左衛門は「酢屋勘次郎」を名乗り商標は「勘」としていたのだ。しかし、江戸では尾張からの粕酢には、すべて丸勘(まるかん)印が付けられていた。

ミツカンWEBサイト「二代 中野又左衛門」より

では何故、「正宗」は認められず、「丸勘」が商標として認められたのか。
これに関してマルカン酢のWEBサイトにもチラリと載っているのですが、特許局の初代局長であった高橋是清たかはしこれきよがその様子を以下のように供述していました。

ここに始めて未だ条例のなかった昔から日本に存在している商標に商標条例の保護が完全に及ぶ事になった訳である。その古い商標とは、例えば、酢における「丸勘」あるいは醤油における「山サ」「亀甲萬」の如きであって、ことに「丸勘」「山サ」の如き商標はその当時調べてみても200年以上も同業者の間において専用商標として立派に存在して来て、誰も徳義上真似ない。故に、「丸勘」「山サ」「亀甲萬」と言えば、何処の誰が製造したものであるという信用が在ったものである。ところで、酒の正宗も本家だといって出願してきたが、これは「丸勘」「山サ」「亀甲萬」のような訳にはいかない。というのは、方々の酒屋について実際に調べてみると、何処の小売屋にも正宗という酒がある。それは「正宗」なる酒を醸造元より仕入れてその正物を商うているかというとそうではなくて、その酒屋で最上級の酒を「正宗」と称して売っているのである。即ち正宗とは商標の性質は失われて最上等酒という意味のものになったのであるから、「正宗」は登録が出来なかった。正宗に附属物をつけて従って菊正宗とか桜正宗という登録商標が出来た訳である。

知的財産研究所 > 高橋是清遺稿集 > 昭和9年9月29日華族会館に於て 高橋是清閣下講演 特許局の思出(要旨)【PDF】より

つまり、1885年(明治18年)の時点において、「丸勘」「山サ」とは異なり「正宗」からその醸造元を特定できるものではない、とされたわけです。
何故そこに差がついたのか、というところをさらに調べてみると、高橋是清自伝には「美濃紙に、丸勘、正宗、亀甲万の図面まで書いて説明した」という記述があり、著名記号(図形)商標でその醸造元を特定できるかどうか、ということだったようです。

しかしミツカンのサイトにある「江戸では尾張からの粕酢には、すべて丸勘(まるかん)印が付けられていた」(先述の引用より)という話と、「又左衛門家が商標としていた丸勘は、当時、他の多くの酢屋も使用していたため、四代又左衛門は当然この丸勘の商標登録を願い出たが、なんと三日の遅れで名古屋の酢屋に先を越されてしまった。 又左衛門は屋敷にこもり、新たな商標づくりに取り組み、考えに考えた結果、ひらめいたのが、三ッ環の商標だった。」という四代・中埜又左衛門の話が、この流れと一致しないのですよね……。

贋ブランドの横行

「正宗」の銘柄が誕生し、銘酒としてその名が知られるよりも前、伊丹の清酒「白雪」や「剣菱」において、それを騙る贋物が江戸の市場に出回っており、その根絶には至らなかったと小西酒造のサイトには記述があるのですが、「白雪」「剣菱」は商標として認められています。

ニセ白雪、市場を騒がせる
すっかりブランド化した伊丹の清酒は、その価値の高さから、しばしば酒銘を盗用した贋酒(にせざけ)が出回る事態に。
白雪を含むさまざまな銘柄が自家酒銘を変更したり、伊丹の領主・近衞家から預かった「伊丹御改所」の焼印を押すなどの対策を余儀なくされました。
しかし江戸時代を通して、贋酒を完全に駆逐するには至りませんでした。

小西酒造株式会社WEBサイト 「白雪ブランド」より

正宗に限らず、商標が保護される前には多くの「贋ブランド」が横行していたにも関わらず、「正宗」と「男山おとこやま」だけが商標としては認められませんでした。記号的な〜という先の話についても、過去の錦絵には愛知からの江戸積の酒の菰樽に剣菱や正宗の印が描かれており、正直何でもありだったこともわかっているようです。

そこについて商標関連の方が日本弁理士会発行の書誌に投稿した文章が以下の通りです。抜粋だけでも長いのですが、これでもだいぶ略しています。

慣用商標の認定をされても不思議ではなかった酒銘は『剣菱』などほかにもあり、醤油醸造家が有する家紋などの著名記号(図形)商標も同様であった。
(中略)
『正宗』、『男山』よりも数多くの偽ブランドが流通していたことが推定される『剣菱』については、慣用商標化が検討された形跡が残されていない。
(中略)
そして、『剣菱』は登録が認められた。これには、偽ブランド醤油の対策を積極的に行ってきた醤油醸造家の有する著名商標の登録が、「結果的に」認められたことと関係がある。
(中略)
明治商標条例5条3号は登録できない商標として、「同業者普通に用ひ又は商業上慣用せる目印を以てする者」を定めている。「商業上慣用せる目印」は「𠆢□#△の類」をいう。「商業上慣用せる」とは「本邦古来商家ニ於テ使用伝來セシ記号即家標ト商標トニ併用セシモノトナリ」とのことである。『ヤマサ』、『亀甲萬』などの、歴史ある醤油醸造家の使用する商標がこれに含まれることになる。
ところが、本条例施行後すぐの明治18年1月、この5条1項3号に関し、次のような附則が追加される。
(中略)
条例施行以前に使用されていた商標で、5条1項3号が定める商業上慣用される目印であっても、出所表示として機能しているものは登録を求めることができる、ということになった。特例が設けられたわけである。
(中略)
附則追加の理由につき農商務省は「清酒や醤油の醸造家は従来から『手印』と称する目印をその製品に付してきており、条例施行以前から同業者間において専用効を生じていた。これが条例施行後において登録されず公有商標になったからといって、これまで隠然とこれを剽窃使用してきた者が今後、公然と使用するといった状況は保ち難い(要約)」としている。
(中略)
これは農商務省による立法背景説明にすぎない。該当条文も上記のように、具体的な適用対象を明らかにしてはいない。ただ、『剣菱』の登録が認められたのはこの立法趣旨にもとづく5条の附則規定および、『剣菱』が「剣の刀身と鍔(つば)の形を模した」図形(記号)商標であったことによるものだという可能性が高い。そして、醤油醸造家の使用していた同様の商標が、偽ブランド醤油の大量流通にもかかわらず、最終的に登録が認められたことがその背景にあると考えられる。

『正宗』と『男山』はなぜ清酒の慣用商標となったか」(伊藤 知生, 月刊「パテント」12月号, 64-73(2022))より

要は、商標条例の制定後に、おそらく醤油醸造家からの強い反発などを受け、本来商標として認める予定のなかった「商業上慣用せる目印」(図形(記号)商標)を特例として認めるようになったため、「剣菱」などの銘柄も商標として認められるようになったのではないか、とこの方は記載されています(高橋是清が上述の説明をしたのは附則が追加されてからの話になります)。

全部同じじゃないですか!?

では「正宗」に図形(記号)商標としてのはたらきが無かったのかと言いますと、髭文字の「正宗」については実は各蔵元で微細な差がある、という話を聞いたことがあったので、調査してみました。
公式サイトの画像ではなかなか明細がわかるものがなかったので、Xでも問いかけたところ、結構な数が集まりました。

まず、玉泉洞酒造様からいただいた、「醴泉れいせん正宗」の髭文字の画像をごらんください。

醴泉れいせん正宗のロゴ(髭文字)

そしてWEB上で掲載されている画像やXユーザーから提供を受けた画像から抽出した他社の髭文字がこちらです。

上段左から:醴泉れいせん正宗、さくら正宗、菊正宗、達磨だるま正宗
下段左から:笹正宗、山形正宗、白隠はくいん正宗、姨捨おばすて正宗
上段左から:初日正宗、福正宗、國光こっこう正宗、ヤマサン正宗
下段左から:葵吾妻あおいあずま正宗、耶馬やば正宗、金大星きんたいぼし正宗、岩⽊正宗

N「全部同じじゃないですか!?」
H「ちがいますよーっ」
R「これだからしろうとはダメだ!もっとよく見ろ!」

文字の形もそうですし、髭の向き、本数、形状に至るまで比較するとたしかに違いますが、その差異を付けるようになったのがいつの話かわかりませんし、仮に明治までに構築されていたとしても、図形(記号)商標として「正宗」を認めさせるのは、正直難しかったかもしれません。

また髭文字さがしの際に紹介された昔の酒造看板について、これはこれで興味深いのでリンク貼っておきますね。

一方「男山おとこやま」は……

「正宗」と合わせて商標登録が認められなかった「男山」についても、この機会に触れておきたいと思います。

「男山」の謂れと系譜

江戸時代、伊丹の銘酒として「剣菱」「白雪」と並び称された「男山」ですが、伊丹領主となった近衛公が清酒醸造を奨励した寛文年間(1661~1673年)に誕生したとされ、木綿屋山本三右衛門が男山八幡宮(現在の岩清水八幡宮)にあやかり、清和天皇が宇佐八幡宮から神霊を移し祀った由緒ある社の霊験を授かるべく命名したそうです。
1697年(元禄10年)には「男山」は「白雪」「老松」などとともに官用酒となり「御免酒」と称され、銘酒の代名詞となりました(「伊丹公論 復刊第11号」より抜粋)。

しかし、天保年間の減醸令と灘の台頭によって伊丹酒造業は不振に陥り、弘化年間(1845~1848年)の間に「木綿屋(男山事)加勢屋与三郎」という人物が亡命(伊丹の外へ逃れた)した、と「天保度以来永代記」という書物に記録されています(「伊丹市史」第2巻、p453-454)。そして木綿屋山本本家は明治初年に廃業となったようです。

各地には「男山」を名乗る銘柄が乱立していましたが、現在正統な「男山」であることを称しているのが、北海道・旭川の男山株式会社です。

江戸時代から続く名酒『男山』の伝統を継ぐ
「御免酒」と呼ばれる江戸幕府の官用酒であり、歌舞伎や浄瑠璃、浮世絵にも描かれるほどの人気を誇った清酒『男山』。江戸時代、関西伊丹の地で木綿屋の屋号を掲げて酒造りを行っていた山本三右衛門が男山八幡宮からその名を取って生みだした酒を継承し造り続けているのが、わたしたち男山株式会社です。前身である山崎酒造は1887年に北海道で創業。もっと良い酒を造りたいとの想いで1968年、「木綿屋」本家の山本家より『男山』を正統継承しました。以来、北海道の自然の恵みを生かした酒造りで、名酒の味を現代に受け継いでいます。

それまでにも「男山」を冠した商品があったものの(「北海男山」と思われます)、1968年の社名変更に際し、山本本家の後胤の方から正統を伝承する印鑑ならびに印鑑納め袋を受け取ったそうです。
正統とはいうものの、本家の廃業から継承までおよそ1世紀の空白がありますし、元々の繋がりもなく、継承に至った理由はよくわかりませんでした。

現存する「○○男山」について

明治初年に木綿屋山本本家が廃業に至り、「正宗」と異なり本家本元を主張する醸造元が不在だったためか、「男山」も銘酒の代名詞として商標登録が認められないものとなりました。そして正宗同様に、各地で「○○男山」を冠した銘柄がその後生まれたと考えられます。

今どれだけあるのか、Wikipediaによれば20種程度あるようですが、「男山(株)(男山)」「(株)男山本店(気仙沼男山)」「男山酒造(株)(羽陽男山)」「(資)男山酒造店(会津男山)」は、間違えずに覚えられる自信がありません。むしろこっちの方が「全部同じ」に感じられます。

正宗(と男山)については以上です。
ここ数回の歴史に比べると読みやすい…か?
溜まっていたネタをようやく消化したので、次の投稿は何から進めるか……

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