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【レンタルまり亜】プレゼン動画のフィードバックのご依頼~シャバアーサナっぽく生きる~

シャバアーサナのまま日常を生きるという挑戦

ヨガの締め、シャバアーサナ。思考が滅し頭が真っ白の空っぽになって、ただ全体性を感じるあの気持ちよさのまま、日常を過ごすことができたなら。そんなこと思ったこと、あるだろうか?
マインドフルネスともちょっと違う…むしろその先の五感の滅した世界、それこそワンネスのまま生きる世界を体現してみたい✨✨そんな思いがある。例えて言うならマインドフルネスは自身の五感に集中、ワンネスは全体性に集中といった感じなのだ。

視線の奥に映るものは心の声

【レンタルまり亜LITE】で「自身の作ったプレゼン動画のフィードバックが欲しい。視線が泳ぐのが気になるがどうしたらいいか」というご依頼があった。
わたしのプロライバーの経験をシェアリングできる。こんなありがたい機会を提示してくれた借主さんとのシンクロに感謝😭‎また、自分の役に立ったものが自分の叡智をプラスして、どこかの誰かの役に立って更に生きるのがレンタルまり亜たる所以である。そしてこの感謝と愛にフォーカスしていくのもレンタルまり亜たる所以である。

鏡が教えてくれる自己受容の力

わたしはLIVE配信したものは3回は繰り返して見てしまう。ちょっとしたチェックのつもりが、面白い!なるほど深い!気づく~!わかりやすい~!役に立つ~!かわいい❤などなどなどの高評価と、大好き過ぎて何度も見てしまう。さらに見ているときの気分がよくてリラックスしていて、オープンハート…所謂受け取りモードなのでアイデアも浮かぶ。次はこうしてみよう!これやってみよう!次々とワクワクが広がっていくのだ。だから好きこそ物の上手なれとはその通り、上達していくのだと思う。
この話をしたら「さんまさんも収録のVTR何回も自分のとこだけ見ては、オモロイわ~と絶賛してるそうですよ」といわれ初めて、これはさんまちゃん並に変わったことなのだと知った。
起業していたときに驚いたのは、起業家さんのほとんどが、LIVE配信したあとアーカイブを見ないと言う。何故かと聞けば、自分の動画を見るに堪えない…つまり自分が好きではないのだと言う。
わたしは思い出した。魂が抜かれるからという理由で写真撮影を拒む人がいたが、たぶんに自信がなく、おそらくそれと向き合うのが耐え難いのだ。写メや自撮りが苦手な方たちは自分を客観的に鑑賞するのに抵抗がある。かくゆうわたしも小学生の頃そうだった。集合写真に移るパッとしない地味で華がない自分。方やキラキラに華やぐクラスメイト女子。見るに耐えずことごとく封印してきた。見て辛くなるなら見なければいい。それほど自分に抵抗と拒絶があった小学生時代だった。

「見たくない自分」に向き合うとき

また、鏡をあまり見ない人も多い。社会性においてはしっかり鏡を見つめて人からどう見られているかや、不快にさせてないか、もしくは気持ち良い気分にさせられる身だしなみかというのはマストである。だから当たり前のことだと思っていたし、思春期などは飽きるほど鏡を見つめて、あーでもないこーでもないと見た目と向き合う時期があったから、鏡は自分の仲良しさん、なくてはならない存在という認識だ。しかし、そのわたしの当たり前は誰かにとっての当たり前ではない。女性の成功者が成功の秘訣を「四方八方から自分を映し出すよう鏡をたくさんおく。デスク周りにも鏡をおく」と言っていた話もあり、鏡を通して自分を見つめることがどれほど大切かを教えてくれているのだと知った。つまりほとんどの人は身だしなみを整える目的でのみ鏡を使う。しかし成功者の鏡の使い方とは、いつなんどきも自分を映し出し、その全てにイエスを言える自己受容・自己愛の高さだなのだと思う。ほとんどの人がそこまで自分と向き合いきれない。わたしもいまだすっぴんでむくんでぼやけた顔が鏡に映し出されてもちっとも波動があがらない、ワクワクしない、そしてこの顔は嫌だとジャッジしてしまう自分がいる。子供の頃初めてビデオカメラに映った自分を見て「これが私?!」とショックを受けた記憶がある。普段鏡や写真を見ていると、いわゆる決め顔なので見られている自分の作られた顔がでてくる。しかし人目を気にしてないときの油断したわたしの姿は無惨であった。それほど真実というものはときに目を背けたいものだったりする。そこと徹底的に向き合う機会が、ライブ配信のアーカイブと向き合うという形で宇宙から届けられると感じている。そして借り主さんもまた、その機会に真摯に向き合っいて、その美しい成長の営みをともにするギフトが、レンタルまり亜【LITE】によってもたらされたことを私は心から嬉しく思う。

共依存が映し出す外側の鏡

そうした鏡と真摯に向き合う工程を通して、物質的鏡だけではなく、自分の内面を映し出す現実も見たくないと逃げるのでなく、観察することの大切さを知った。現実世界は全て自分の内側の投影。望ましくない現実を「あの人酷いわー🫥」とか「なんでこんなに最悪なことが起きるの」と外側のせいにし続けて生きてきた。それは共依存の病で特に顕著なのだが、自分の問題を見ないですむため、人の問題にクビをツッコミあーでもないこーでもないと評論したり、時には世話焼きに奔放したり、外側ばかりを見続けそれに伴い自分の気持も上下する。感謝されれば気分が高まり、やってあげたのにこの仕打ちはなんなのと、見返りがないことで憤慨する。そのように他人に影響される生き方が共依存だ。そして共依存の病と向き合うとき、初めて自分が見をそむけていた自分の思考の癖や波動の低さや被害者意識や嫉妬の塊や解消できていないコンプレックスなど、自分を不快に不機嫌にさせていたのは他人でなく自分なのだと知ることとなる。
見た目も内側も、隠していて見て見ぬふりしていた闇が浮かび上がってくる。次から次へと。そしてその闇を心の底から愛して、自分の最高のキメ顔やキメファッションのときと同等の質量で尊重できたとき、大きな変容がやってくる。その過程を思い起こさせてくれるのが、この借り主様の姿だった。私は心の底からエールを送り、心の底から称えた。未来は脱皮する蝶のように羽開き、軽やかになるとわかっているから。

心の目で見る。視線が定まる仕組み

借り主様のご質問「視線が泳ぐのが気になるがどうしたらいいか」それは、自分の心…この場合自身の方向性や伝えたいことやなにかが定まらず、うろうろしている内面を映し出している。台本を覚えて読んでいるのだろうが、心の奥でなんだか違う…しっくりしない…と自分の真実を探し続けていることの投影が、表情となって現れている。だからもっともっと自分の内側を観察して、自分の今ココでのベストポジションと出会うまでの過程を省くなかれと、魂の叫びが聞こえているようだ。それは自我の声ではなかなか拾いにくい、叫びという静寂である。その静かな拍動が優しくそして如実に、視線の動きとなって現れるということなのだ。
しかし、プレゼン動画の提出が迫っていることを鑑みて、わたしはこう提案した。「頭ではなく、丹田に意識を向け、顔についている眼でなく心の目で画面を観る意識を」
クンダリーニ覚醒してからは、尾骨・仙骨に意識を向けると、たちまち0秒で生命の営みである生エネルギーの愛が体内に広がっていくのを感じられるようになった。そして視覚の眼を通さず、内側の愛で世界を観ている感覚になる。
視覚で捉える世界とは、脳が生成した、過去の情報からくる仮説みたいなものであるという。盲点(マリオット盲点)は、視神経が網膜から出る部分で、視細胞が存在しないため光を感知できない領域。しかし、私たちはその“見えていない穴”に気づいていない。なぜなら、脳が周囲の情報からその部分を自動的に補完しているから。このように、わたしたちの眼は網膜に映った光の情報を脳に送るが、それは断片的で不完全である。その不完全な情報をもとに、「おそらくこう見えているはずだ」という仮説を立てて補完にすぎない。つまり真実や全てを捉えることはできない。つまりわたしたちの五感の一つの視覚は、ほとんどが脳がハルシネーションを起こして生成した世界を見ており、脳が“意味”を与えて構築する体験にすぎない。
私たちは“目で見ている”のではなく、“脳で見ている。このことからも、第三の目、第四の目、そしてまり亜仮説の第五の目(お腹~みぞおち)で世界を観ることで、真実が見えてくるってことなのだ。そして真実と出会ったとき、わたしたちの軸は揺るがないものとなり、それが視線に投影されるようになるだろう。
自分軸ともまた違う、真の核にある軸のようなもの。そこを中心に全ては揺れ、たゆたい、移ろいゆくが、真の小さな核は決してブレない。そのような強さは眼の光にも現れてくるのである。眼をぱっちり開いて外から取り入れる光ではなく、半眼でありながら奥から放つ不思議な光。それを持つ人はそう多くはないが、出逢えば必ずただならぬ…しかし暖かなオーラを放っているはず。

動画は自分の内側を映している

自分の動く様子を客観的に何時間も見つめることになる、ライブ配信の世界。わたしも起業家サポートの講座をやっていたとき、自己紹介動画を撮影し毎日シェアしメンバー間でフィードバックするという試みをやっていた。これは某芸能レーベルの方から聞いた、芸能人養成の際に取られる毎日の課題ひとつでもある。わたしの場合は、私以外の人には、アドバイスもせずにただ全肯定のフィードバックをするようにと言っていた。しかし面白いもので人ってどうしても「もっとこうしたらいいよ」とついアドバイスをしてしまうのだった。それは今のあなたでは不完全というメッセージになり、同時にその人が自分をそのように見ているために無意識にやる行為でもある。フィードバックをする側もそれに気づくこともできる。相手のどんなところであれ、褒めることができる人は自分に対してもそう心のなかで声掛けをしているとも言える。鼻毛がでててもそれが可愛いのよ!と笑って愛の眼差しで見ているような懐の広さがある。
そのように、さまざまな気付きの宝庫、少人数グループで自分を見つめていく自己紹介動画フィードバックを講座でやって、実は私自身が一番恩恵をいただいた。与えるほどに人は宇宙からかけがえのない恩恵をもらうこととなる。それは金銭という対価ではないかもしれないが、それ以上の宇宙の叡智をふんだんに受け取るのだ。だからこそ、利益を生み出さないといけないビジネスを離れて、使用料無料からのレンタルまり亜の道なのだと思う。
目に見えるお金しか見ない人にはわかるよしもないし、噛み合わないのも仕方がない。お金という報酬が得られないから、金銭的にキャパがない人は排除して人を選ぶという起業家さんは多い。しかしあえて私は目に見えない、金銭以上の恩恵というものの素晴らしさに目覚めているため、もうその"無料でとか格安で与えたくない!"とか"奪われたくない!"とかいう波動の人とは合わなくなってしまったのだなとつくづく感じる。自分で自分を満たし続けていれば、わたしたちはみんな枯れない源泉であり、報酬はいつだって宇宙から与えられると真実がわかるようになるのだ。お金への執着も薄れ、それとともにお金に困ることがなくなってくるし、お金軸の生き方が消えていくんだ。

仏陀✕マリアの世界を生きる

そうしてまた借り主様との関わりで、自分の魂がむき出しになっていく。隠すものなどなにもない。欲しがるものなどなにもない。完全完璧な魂同士の分かち合いであり、そこには奪い合いも取り合いもないのだよ。わたしは更にその共鳴へと深化をし続けていくこととなった。
五感を滅し、シャバアーサナの状態で生きる世界を見てみたい。それはまるで仏陀✕マリア様の世界なのだと思う。
レンタルまり亜【LITE】

この記事の背景にある次元論の定義や、構造的解析の全データはGitHubにて公開・更新しています。https://github.com/marnakatani-bot/maria-dimension-map-

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意識の次元マッピング研究者|ORCID登録・論文著者|中谷まり亜 ありがとうをチップで伝える