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クンダリーニ覚醒で内なる情熱が目覚める~自我が滅して見えた天命~

プシュ―!炭酸の細かな泡が噴水のように勢いよく飛び出し、瞬く間にキーボードを濡らす。床もびしょびしょにした、朝買ってきたチョコラBBのスパークリング。ヤバい―🫥ともう!😡が混在する中、ティッシュをしゅぼっと取り上げ「なんで無意識に炭酸を振ったんだ。ボケかましてるやん。そういえばこういう不注意ミスが気になってた頃あったな」と回想しながら、ひたひたになった盤面を見て、( ゚д゚)ハッ!と気づいた。

クンダリーニ覚醒の象徴は、爆発したチョコラBBだった

瓶を振ってフタを開けると、圧力の加減で液体に溶けていたガスが一気に気体として出てくる。その姿はわたしのエネルギーの象徴として、今現実に現れたんだ!と。クンダリーニ覚醒してから何かが違う気がしていた。でもそれが言語化できずぼんやりとしていたけれど、これでわかった!
わたしたちの内なる情熱は、炭酸飲料の中に溶け込んだ二酸化炭素のようなもの。外からは見えにくくても、確かに存在していて、静かにエネルギーを蓄えている。でも、何かに心を揺さぶられたとき――たとえば夢への刺激や誰かの言葉、あるいは逆境にあう――それがまさに振られた瓶のような衝撃で、ふた(自分を抑える殻)が外れた瞬間、情熱は一気に吹き出し、あふれ出す力となるんだ。

面白い違和感体験が重なった。相手のあることなので詳細は有料noteに書こうと思う。しかしそれを見ていただくとすごくわかるはずなので、お安く設定しておくからぜひ見てほしい。何か情熱がくすぶっていると感じるとき、または誰かと共同創造をしているのに、なぜか結果が出ないとか進みが遅いと感じているとき、あとひとつまみ何か自分を押すきっかけが欲しいと思うとき、きっとあなたのヒントになるだろう。恥を忍んで包み隠さず書いていこうと思う。

クンダリーニ覚醒で気づいた「ピュアな情熱」とは?

魂の自己表現として、今一番わたしがワクワクするものは発信全般。それがこうした文章であるときもあれば、LIVEのおしゃべりであるときもある。時にキャンバでの画像デザインな時もあれば、セッションや講演会やセミナーでさえも、人に教えるとか自分のことをすごいでしょと言いたいのではなく、ただの自己表現の悦びである。それはそれは「自分の悦びそれだけに忠実」というシンプルな魂の営みだ。そこに何か別の意図を加えることで、それは純度がたちまちさがり濁りを増してしまう。
わたしの伝えるメッセージをしっかり理解してほしいとか、わたしをしっかり評価して次にご依頼がほしいとか、そんなにあなたを変えるきっかけになったのなら口コミくらいしてほしいとか、はたまたそんなに参考になったなら相応の報酬をもらって当然なのに、なぜ無料で当たり前と思うんだろうこの人たちはとか、ありとあらゆるヨコシマな自我が次々と覆いかぶさってくることがある。それを考えてしまう自分にドンドン違和感になっていて、そうではない、わたしの魂はそうではないと言っているって、実は水面下でもがいていたんだ。そうしたヨコシマさが一切そぎ落とされた純度の高いワクワクの情熱に還りたかった。ずっとね。
ことさら起業してビジネスを展開させてきたのだから、利益追従になって損得勘定を計算する自我ちゃんが「それは無駄」「そんなことして何になるの」「行動しなさい」「効率よく」「エネルギーの無駄遣いしない」「結果はあなたへの評価」「報酬が低いのはあなたの提供するものがその程度だから。もっと工夫しな」「訴求するターゲットがズレている」「ペルソナぼやけてる」などなど叱咤激励してくださる。それに慣れ親しんでいたから、すっかり癖になっていてついつい誘導的・コントロール的になってしまい、なんか違うなんか違うってモヤモヤしていたのだ。
オウンドメディアのような商業的な発信がしたいのではなく、本当に純粋に魂の震えを表現していきたいんだわたしは。もう商業的な他者コントロールなものはおなかいっぱい、もう入らないんだよ。それを痛いほど感じていたの。でも答えが見つからない…そんな感じだった。

商業的な自我とスピリチュアルな自己表現のジレンマ

今朝のXでも投稿したけれど、霊的な物=純粋な魂の表現は、純度100%であれば自然に多くの人を助けうることになる。わたしも以前実体験として腑に落ちた。頭からっぽにして目的を持たず、ただ体のセンサーに反応しながら時間も場所も気にせずフラフラと当てのない散歩をしていたとき、ちょっと先にある横断歩道手前でなかなか渡れずに困っているご高齢の方が見えた。まるで颯爽と現れたヒーローのように、わたしはぐんっと手をかざしながら堂々とご婦人に向かって歩いた。するとご婦人には気づきもしないかのように止まらなかった車道の早い車の流れが、わたしの挙手にピタッと停止する奇跡がおこる。そしてご婦人は無事横断歩道を渡ることができた。わたしのことには気づいてもいなかったけど、わたしはそれが余計に嬉しくて。これは彼女を助けるために、かつお礼や感謝という見返りがないからこそわかる真の悦びとして、そして自然にあるがまま居ることでどれほど自然に人を助けうることになるのかってことを体験させるために、宇宙が計らってくれたシンクロニシティなんだと腑に落ちた。全て神の壮大なる魂の深化のための計画、そう思わずにはいられなかったんだ。
しかしそこに商業的意味合いや価値の証明やなんやと、自我が少しでも混じるならば途端に泡がはじけるように実態は消える。つまり効力が失われる。

「たつき諒さんの自費出版」と魂の共鳴が起きた理由

わたしも2025.7.5問題についてのライブを2回ほど行った。

Xにも投稿したが2025.7.5の予言について、たつき諒さんが自費出版されたニュースが目に留まった。商業的アプローチに不本意な思いを抱いたつき氏が、「自分が本当に伝えたかったこと」を伝えるために自伝を執筆したそうだ。「それだと売れない。こうした方が売れる」という出版社の意見が反映され、たつき氏の意図とは異なる形で出版が進んだそうだ。爆発的人気を誇って、逆に香港からの観光客が軒並みキャンセルになって旅行業界に大打撃になったともされる。『わたしが見た未来完全版』の次回作について複数の出版社からオファーを受けたが、いずれも商業主義的で、たつき氏の伝えたいメッセージとは乖離していたそう。なので自費出版になったという。たつきさんすごい。お金の不足にフォーカスがいく起業家なら「引き寄せたー!」って無邪気に喜び、ホイホイ出版と向かうところです笑。

この話ともシンクロして、魂にいかに純粋か、いかに自我の混じりけがないのかなというのが情熱であり、そのピュアな情熱こそがモメンタム…「勢い」「はずみ」「推進力」となると感じた。そして人を愛と悦びに満たすことも不安と恐れを拡大させることもできる。どちらがいいどちらが悪いという話ではなく。もちろんただ自分の好きな漫画家さんの書籍が売りあがる結果を見たいと言う純粋な情熱もある。
純度が濁れば勢いがなく、鳴かず飛ばすの現実が現れるというだけなのだ。自我は重さとして認識でき、重さを感じるときはたいてい自我が優勢だ。たとえば、何かを失うかもしれないという信念による怖さとか、今ココにおらず頭が未来にいくと、途端に不安や恐れがブレーキとなる。逆に純度100%で余計な思考がはさまらないときには、苦手だと思っていたことややったことがないことなども、宇宙のサポートを存分に受け、いとも簡単に仕上げてしまうなど、最小限の労力で最大限のことができるのだ。

クンダリーニ覚醒後に変わった行動の軽さと推進力

わたしも先日それを体験た。LOVE YOUR BODY会長とツインレイの対談をすることになり、こくちーずやピーテックスやストアカなどでセミナーの告知をした。告知サイトを使ったセミナー開催は、以前もなんどもトライしたが、難しい、パソコン苦手、わからない、時間がかかりすぎるなどなどで断念し「嫌な作業」というレッテルを自分で貼っていた。
しかし今回は自分だけの話でなく、LOVE YOUR BODYという団体の思いがどこかの誰かの助けとなり、LOVE YOUR BODYを広げることになればと、個人の利益より全体性の福利で動いた。自分のためじゃなく、LOVE YOUR BODYのためだ。そして告知サイトの投稿を、嫌な作業という過去の延長を生きるのではなく、今ココに集中することにした。たとえて言うなら、記憶を持たない生まれたてのわたしが、目の前にことと新鮮な気持ちで向き合うって感覚だ。今ココに集中すると、あんなに苦手で、全然進まなかった作業がなんともスムーズに短時間で出来上がったのだ。
参加者が現れるのかしらとか、どうしたら多くの人を誘導できるだろうかとか、コントロールの思考をはさまず、そういうものは全部AIに丸投げしたので無我で作業を楽しめた。想像しえなかったくらい、らくーにスムーズにことが進んだ。もうこれでも十分だし、あとは宇宙にお任せって、なんなら誰も来なくてもわたしの自己表現にはなんら影響を及ぼさないのよというスタンスだった。全体性のために動けた清々しさがもうすでに何よりの宝物だったから。

セミナーに関しては、誰かに見せたいとか、誰かにわかってほしいとか、それで何かを変えたいとかそんなものじゃあない、魂は。ただ純粋に宇宙への贈り物としてわたしの自己表現を献上したいのだ!利益を得たいとか、顧客にしたいとかそんなこと全く不要だ、邪魔だ。
どれほど純粋に、ツインレイの出会いを通してわたしが何を得てどんな風に魂が動いたのかを表現したいのか。わからせようとか誰かに教えようとかではない。純粋にツイン彼や偽ツインたちに感謝を込めて表現したいのだ。あなたたちと出会えたわたしはとっても幸せで、めぐり合わせてくれた宇宙の采配には感謝につきなくて、わたしは本当に生まれてきてよかったと、胸をはって宇宙に伝えたいのだ。

クンダリーニのギフトは「魂の共鳴者」との出会いだった

そんな折、はっと気づいた。わたしは宇宙の贈り物としてものを書き、LIVEで語り、セミナーや講演会をする。それがエコーのように還ってきたギフトはお金ではなくて、魂の共鳴者だったんだと。
そのさなか、わたしのTikTokにコメントがついた。今まではコメント返しも慣れて、作業というかしなきゃいけない義務というか、コメント欄がにぎわえばTikTokのアルゴリズムがよくなるんでしょって感覚が多かった。しかし、そのなにげないコメントの中に、感謝の波動がすごすぎて途端に思いがあふれてきて涙がでた。なのでただのコメント返しは辞めて、魂の震えを表現する場とした。こんな素晴らしい宝物はもうすでにTikTokの中にあふれていて、共鳴を感じてくださる人たちのみずみずしい感謝と感動の波動のコメントがまるでパワースポットのように感じていた。神聖で荘厳で美しい場所、少なくとても私にはそう感じる。すでに素晴らしい報酬をこんなにもいただけていたのに、気づかなかったのはこの私だと、笑えてたんだ。


文字を読むのではない、文章を読むのではない、その中に埋め込まれている愛の波動こそが誰かの愛に共鳴するんだよって、宇宙はずっと語りかけてくれたのだ。それなのに、レンタルまり亜の申し込みが、たった一人の姫様だけだったから不満になっていたのだ。そして、取引の対価としての価格ありきのビジネスとして、LOVE YOUR BODYのプロジェクトをしていたとも気づいた。もうそんなのはおなか一杯と魂は言っているのに、無理やり食べさせて吐きもどしを誘発していたってことだ。そりゃ利用者をストップさせるに決まっている。
わたしは、報酬目的ではなく魂の共鳴の『レンタルまり亜 LITE』をLOVE YOUR BODYから独立させて再スタートさせることとなった。

クンダリーニ覚醒で「魂の悦び」だけに生きる覚悟

自分を抑える殻が開いたように、プシャーっと情熱がほとばしるのがわかる。自我が生成する数々の幻たちが取り除かれたと同時に、炭酸水がテクノロジーの象徴のキーボードも水浸しにした。情熱の前ではテクノロジーさえお休みしてしまう(固唾をのんで私を見守る)ということだ。
もうなにひとつ余計なことを気にする必要はない。わたしは魂の悦びに忠実になっていい。それをコントラストたちが教えてくれたんだ。
そうして、奇跡的にたったひとりの方よりツインレイセミナーにお申し込みが入った😭そのたったお1人がとてもとても嬉しくて、わたしはその方との共鳴のダンスを思い切り楽しみたいと思う。起業家時代はおおよそ20~30名の前で話す喜びを味わって、もっともっと…と大勢を前に講演したい!と、上を目指していた私だけど、数ではなく周波数で共鳴する喜びを味わいたいと心から思う。そしてきっとずっとずっとそう思ってたんだ。

クンダリーニ覚醒で、内なるピュアな情熱が目を覚まし、自分の天命にぐっと集中していくことになった。虫眼鏡で一点を集中してみると、煙が出て炎があがるように…焼き尽くすまで見つめていく。混沌と統制のその両方を統合させて、無限の可能性の自然な形成をこの目で観察していこう!

この記事の背景にある次元論の定義や、構造的解析の全データはGitHubにて公開・更新しています。https://github.com/marnakatani-bot/maria-dimension-map-

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意識の次元マッピング研究者|ORCID登録・論文著者|中谷まり亜 ありがとうをチップで伝える