流行は、誰かの価値観でできている
東京に住んでいると、たまに耳にする言葉。
「東京はすごい」
「東京に行けばなんでもある」
住んでいない人からよく聞く。
街は大きなキャリーバッグを引いた人たちが、東京にしかないお店の紙袋をたくさん持って歩いている。
その表情は本当に高揚感にあふれていて、こちらまで少し嬉しい。
彼らが手にしているものは、旅の前からもう決まっているのだろう。SNSで知り、「これを買いに行く」と決めて、攻略法を研究し、確かめに来る。
東京は、答え合わせの場所なのだ。
とはいえ、これは他人事ではない。
高校・大学時代、時間さえあれば裏原宿に通っていた。Supremeに並び、X-GIRLやA Bathing Apeの売り尽くされた後のガランとしたラックを眺めて、「また買えなかった」と肩を落とす。当時大流行していた、たれぱんだのグッズも山ほど持っていた。
流行っているものは、正義。
と本気で信じていたし、新しいもの、おしゃれと言われるものを追いかけること、それ自体は楽しかった。間違いでもなかった。
ただ、
センスが磨かれたかというと、そうは言えない。
大人になって、ある方の家に招かれたとき、
カルチャーショックを覚えた。
その空間には、
流行とは別の軸で揃えられたものがあったから。
その持ち主は、
「好き」の理由が、きちんと言語化できていて
感性を磨いていた。
……そんな生き方をしている人たちに出会ったとき、はじめて、自分は感性を育てる、という感覚は持たずに生きてきたんだな、ということに気づいた。
センスがなくても、生きていける。
おしゃれでなくても、別に困らない。
でも、
何を選ぶか、どこに心が動くか。
その積み重ねは、その人だけの色彩感覚になっていくんだと知った。
「みんな好き」をなぞることは、楽しい。
でも、それだけでは育たないものがある。
その「それだけでは育たないもの」を感性と言うんだろう。
AIもそうだ。
便利だけれど、AIが指し示すものに習って生活しているうちに、自分の感性が鈍ってしまう気がする。
自分の中に、「好き」の軸を持つ。
その積み重ねが、生活をすこし豊かにしていく。
そんな気がしている。
こんな記事も書いています
いいなと思ったら応援しよう!
ありがとうございます。ライティングの質を上げたり、豊かさを感じる時間に使わせていただきます☘️応援していただければ嬉しいです!