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「ほとんど、そこにいない」ーnoteを書く虚しさと、玉三郎さんの言葉

SNSの世界では、わかりやすいものに注目が集まりがち。

「旅先のおすすめベスト10」、
「ベストバイ」……。
私も書いているその投稿たち。

その一部は、「いい投稿」として評価され、「おすすめ」に並ぶ。たくさんの人の目に留まり、記事には数日だけアクセスが集中する。

そして、ある日「パタっ」とアクセスが無くなる。

情報は時間と共に古くなり、新しい情報へとアップデートされるか、または新しい人が発信したことで注目され、そしていずれも忘れ去られていく。

情報に右往左往し、自分にとって意味のある情報だったか?の判断がつかないうちに、関心は次の情報へと移っていく。

文字にすると「当たり前」なその構造に、私は何とも言えない虚しさを感じていた。

そう思いながらも、
この膨大な情報の海のどこかに、本当に価値のある投稿=声高ではないけれど、読む人の心に静かに残る発信をする人。がいるはずだと、探し続けてしまう自分もいる。

もちろん、これは私個人の感覚だが……。

みなさんには、そういう経験、ありますか?

本当に実力ある人は、言葉尻を捉えられて解釈されることに、とても敏感だから、発信を避ける傾向にある。だから、滅多に出会う機会が少ない。もしくは気づかれないのかもしれない。

そんなバーチャルな世界で、情報が毎日垂れ流されているなか、私は昨年noteを再開した。

書いた記事の中には、多くの人に読まれた記事もあった。
けれど不思議なことに、アクセスが伸びた記事ほど、心は満たされなかった。なぜなら、それは「人気のジャンル」、「読まれやすい切り口」……つまり、他人軸の視点で書いた文章だったからだ。

自分がコツコツと書いた記事ではなく、「読まれるために」書いた記事のアクセスが伸びる。その構造が、どうしても気持ち悪かった。

それでも、頭ごなしに「こういうネタは書きたくない」と拒絶するのも違う気がして、自分を殺して選んだジャンルもあった。

けれど同時に、興味のないジャンルについて肯定的に書いた記事が一生残ることへの、違和感もあった。

そんなモヤモヤとした思考の渦中で迎えた、新年。

年末年始休みが明けた朝、歌舞伎好きな私のために、夫が録画しておいてくれたTV番組一覧を眺めていたら、歌舞伎番組に紛れて「マツコの知らない世界 新春SP リアル国宝・坂東玉三郎が語る歌舞伎女形」の文字が目に飛び込んできた。

坂東玉三郎さんは、映画・国宝の主人公のように、歌舞伎役者の部屋子から人間国宝に上り詰めた女形おんながた

私も観劇したが、月並みな表現ながら「神秘的な美しさとオーラ」に、ただただ圧倒された記憶が残っている。

マツコさんとは、昔ある場所で一瞬ご一緒したことがあるが、文化への造詣が深く、一瞬でその場の背景を読み取られる方。そのマツコさんが、玉三郎さんと、どんな会話を繰り広げるのか、気にならないはずがない。
すぐさま再生ボタンを押した。

玉三郎さんはいつもフラットだ。そして、ひけらかさない。

「努力らしい努力はしてません。」と涼しい顔をして語り、本音を見せない。笑顔でも目は笑っていない。ご自身に非常に厳しい方なのだろう。

楽屋のシーンも紹介された。
「大好き」と公言する「龍」や「虎」の蒔絵の小物を側に置いて、支度をする姿。


心に龍と虎を飼い、女形を演じる。

本物だ。



マツコさんが普段見せまいとしている心情も、なんなくお見通しで、マツコさんの心を揺さぶるような言葉を幾つか投げていた。これは、忘れたくない会話になりそうと思い、慌ててスマホの録音ボタンを押した。

特に番組の終盤に紹介された、二人の何気ないフリートークの内容は、私がSNSや「わかりやすさ」に感じていた違和感を、静かに言語化してくれた気がした。

その言葉たちは、私の心にポッカリと空いた「何か」をストンと埋めるように「腑に落ちた」ので、音声の一部を文字起こしし、編集したテキストを貼り付けてみます。

玉三郎(以下・玉):世界的に、演劇がものすごく難しい時代になった。
ニューヨークも、ラスベガスも難しい。

マツコ(以下・マ):なんでだと思います?

玉:現代が便利になりすぎて。
その「じつ(リアル)で会う」っていうことが、無くなっちゃった時代だから。(演劇が)いらないんだよね。

その言葉が、耳から離れない。

そう。私たちはスマホの画面を見ながら、友人と、家族と、恋人と話すのが当たり前な時代に生きている。

そして会話は続く。

マ:もうちょっとみんな「意地を張ればいいのに」、と思うんですよね。

玉:でもね、意地張れない時代になったんだと思うのね。
意地張ろうと思っても、この中(スマホを見るポーズ)にはいって、流れちゃう時代?

マ:そうだねえー。うん。意地張ってインスタで写真載せても、それ見てくれるの 1日 、2日なんだもんね。 やりがいがないって言ったら、おかしいけど、どう意地張ったらいいか?が、わからないですよね。

玉:だってさ、道を歩いてても、電車に乗ってても、人に会っていても、こうやってるじゃないですか。(スマホの画面を見ているポーズをしながら)
ほとんど「そこにいない」んだよね。

そう。ほとんど、「そこにいない」のだ。


「いいね」を押しながらも、心ここにあらずの私たち。
私が感じていた違和感を、玉三郎さんは見事に静かに言語化してくれた気がした。

そして、マツコさんが核心をつく。

マ:あと、おそらく自分が本当に何が好きかも分かってない、と思う。
流れてきたものを見て、一瞬心が動いて、っていうのを、ずっと繰り返してるから、何にもない状態で、「おのれが、一体、何に一番枯渇感を感じてるか?」とか、気づく瞬間がないわよね。

先日乗った満員電車で、肩越しに目に入ってきてしまった女の子のスマホの画面を思い出した。凄まじい速さで、次々と画面をスワイプし続けていた。1秒、2秒で判断し、次のアプリへ。その光景にビックリし、今も頭から離れない。

ああやって時間を過ごすことが、当たり前なのだ。

良い・悪い、ということじゃ無く、世界の価値観は、スマホによって完全に変わってしまった。

そして、玉三郎さんはマツコさんの将来を案じる。

玉:マツコさん、将来をどう考えてるの?

マ:テレビでやること自体の限界を、すごい感じてますよ。
もう今は言えないことの方が多いし。
1回、50人ぐらいしかお客さん入らないようなところで、「全部ぶちまける会」みたいなのを、1年ぐらいやりたいなっていう。

玉:いいね。本当は「やっぱり対面で会いたい」って思ってる人、いるんじゃないかと思うの。あの、マツコさんって人に、というかね。
人間同士が会って喋りたい。

マ:最後、テレビをお休みさせてもらえるようになったら、私、公民館周りみたいなのしたいなぁ、ってすごく思っていて。

玉:あ、いいね。僕ね、「お話と素踊りの会」で、(全国)回ってるんですよね。すごいお客さん来てくれる。
だからね、きっと「直接話を聞きたい時代」なんだろうなって。

テレビから流れる玉三郎さんの一定のトーンで繰り出される言葉を聞きながら、まさに今、私が聞きたかった言葉だ。としみじみと思った。

ここからさらに話が展開されるのだろうか?と期待したが、テレビで話せる限界を察知したのか、マツコさんの自己防衛だったのか、彼女はうまく話を切り替えてしまわれたので、このトークはここで終わった。

今の私に、とても深く刺さった数分間。
そして、心がほどけていった。

この6年で手放してきたものを、noteを書くことでまた意識するようになっていた自分に気がついた。
スマホの向こう側ではなく、「そこに居る」時間を増やそう、と思った。

そして、マツコさんが言った「もうちょっと、みんな意地を張ればいいのにな」という言葉も、心に残っている。

私がnoteで書きたいのは、アクセスが取れる世界では無く、旅を通じて感じたこと、美しいものに触れて感じたことを、静かに言葉にすることだ。

真冬の寺院で板張りの空間を歩いたときの、しんしんと冷えていく感覚。

どんど焼きの薪が、火でゆっくりとパチ、パチっと弾けていく音。

古寺の苔むした石段を、一段一段上がっていくときの息切れや、周辺の空気。

感覚を、丁寧に拾い上げていく。

それが、今の私にとっての「意地を張ること」なのかもしれない。

そして、この番組を見た後、玉三郎さんの「トークショーと素踊りの会」のチケットを、すぐに申し込んだ。

もっとお話を聞きたい。
玉三郎さんの雰囲気、言葉、声色から伝わるものを、
そこにいて、感じたい。


(追記)お話と素踊りの会のレポートを書きました。


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