「苦手」という便利な言葉を知らなかった
言葉に棘があると言われていた時期がある。毒舌だとも。
何故そう言われたのか、正直よく分からなかった。悪意はなかったからだ。ただ思ったことをそのまま言っていただけなのに。
その理由に気づいたきっかけは、「苦手」という言葉だった。
私の中で好きの反対は「嫌い」で、美味しいの反対は「まずい」だった。それ以外の表現は存在しなかった。
ところがある時、目の前にいた人が、パクチーは嫌いともまずいとも言わずに、苦手だと言った。
…そんな便利な使い方、あったんだ?
それってつまり、嫌いだし、まずいと思ってる、ということなんだよね?でも、そのまま言わないんだ。
結構な衝撃だった。
私にとっての「苦手」は「得意」の反対語であり、スポーツが苦手だとか、何かが上手くできない時に使う言葉だった。それがまさか、こんな場面でも使えたなんて。
どうして私は、その使い方を知らなかったのだろう。
たぶん家の中の日本語が、外国人である母の日本語だったからではないかと思う。「嫌い」を「苦手」に言い換えるようなやわらかい日本語は家の中にはなかった。近所付き合いも少なく、日本語のインプット源はかなり限られていた。
だから私の言葉はいつも直球で、語彙の選択肢が限られていたのかもしれない。とまあそんな裏事情は、受け取る側は知り得ないし関係がない。相手が痛かったなら、それはもう立派な棘なのだろう。
今は、あの頃よりずいぶん言葉の選択肢が増えた。
「苦手」も使えるし、「ちょっと難しいかも」も使える。そういう角を丸くする日本語を、大人になってから少しずつ覚えていった。
それでも今でも、油断すると思ったことがそのまま口から出てしまう瞬間はある。刺すつもりなんて全然なかったのに、帰宅してから「あの言い方、まずかったかもな」と一人で反省会をする日もまだ多い。
そういえば、似たようなことをタイ語でもやっていた。
子どもの頃、タイでご飯のおかわりを勧められて、「ไม่เอาค่ะ(いりません)」と答えたことがある。
すると母に、そんな言い方はやめなさいと注意された。ぶっきらぼうで、拒否感が強く聞こえてしまうらしかった。
「พอแล้วค่ะ(もう十分です)」とか、「อิ่มแล้วค่ะ(もうお腹いっぱいです)」と言いなさい、と。
私はタイ語はネイティブではないので、きっと日本語以上に、自分が知らないうちに似たようなことをしてしまっているのだろうと思う。
自分の性格がきついから、そういう物言いをしてしまうと思っていた。でもそうではなくて、やわらかい言い方を後から覚えただけなのかもしれないと、自己理解がまた一つ進んだ。
日本語もタイ語も、まだまだ修行中だ。
mari.
