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言葉にまとう意味を味わえる贅沢—日本語と、字幕と、ムーデンと

日本のアニメを原語である日本語のまま理解できることに、最近あらためて喜びを感じている。
原語で観れば、作品の世界観を細部まで感じ取ることができるからだ。



私は日本のアニメが大好きだ。
数えきれないほどの作品をタイ人の夫と一緒に観てきた。夫は日本語が分からないので、タイ語や英語の字幕をつける。

私は日本語音声を聞きながら時々字幕にも目をやるのだが、同じセリフでも言語が変わるとその場面の印象が微妙に変わるのを目にする。

最近みた例を挙げると、髪型の「7:3分け」だ。
英語字幕では「side part」、タイ語字幕も確認してみたら「แสกข้าง」だった。その通りだ。

でも、日本語の「7:3分け」には、単に髪の毛が7対3に分けられてセットされている、という視覚情報の他に、その人物の雰囲気やキャラ付けまで含むことが多いと思っている。場面次第で、その一言が真面目さやお堅さなどを示唆する働きもある。

このニュアンスは英語とタイ語字幕から伝わるだろうか?きっとその含みはないだろう。
夫は、単に髪型について言及したシーンにしては何故かやけにコミカルだと受け取った。一方で私は、同じセリフにからかいの意図があることを瞬時に理解した。

夫と一緒に見ていると、こういう発見が度々現れる。

ここで一応注記しておくと、私はこの文章で字幕の是非や、言語能力の優劣について話したいのではない。

字幕翻訳には、文字数や表示時間の制限がつきまとう。すべてを載せることはできないし、文化的背景を注釈で補うことも現実的ではない。

私自身かつて字幕翻訳の仕事をした際に、その難しさを思い知った。

言葉の背景にある前提を知らないと伝わりにくい表現は、どうしても存在する。それでも工夫された翻訳で内容は伝わる。私もこんな翻訳ができたらいいのに、と嫉妬すら覚える翻訳を見かけることも多い。また、別の言語だからこそ生まれる面白さもあると思っている。

最近痺れた例を一つ挙げてみる。
「客寄せパンダ」というセリフがタイ語で「客寄せムーデン」と訳されていた。配信当時、コビトカバの赤ちゃんムーデンがバズっていたので、翻訳もそこに寄せたのだろう。ストレートに直訳することもできたはずだ。それでもトレンドを意識したであろう翻訳者の判断に感動して、思わずそのシーンで止め、まじまじと字幕を眺めてしまった。

話が逸れてしまったが、つまるところ、私が感じているのはこういうことだ。
先の「7:3分け」の例のように、原語で理解できたとき、面白さや趣がぐっと増す。視聴体験がより豊かになる。

言葉には意味以上の空気感のようなものが宿る。その言葉の裏に込められたニュアンスが、考えずとも自然に頭へ浮かぶあの感覚。あれは特別なものだと思う。大きな贅沢だ。



mari.

あとがき
客寄せムーデン【หมูเด้งเรียกคนดู】という字幕が目に入り、思わず「えっ?えっ?!今、唐突にムーデン出てきた??」「パンダをムーデンにした?!」とわざわざ巻き戻し止めて、字幕を見つめてしまいました。いやぁ~、本当に衝撃を受けた。すごい。翻訳者さん、好き。すっかり虜になりました。
そういえば。私はムーデンちゃんに会いにカオキアオ動物園に結局行けていないのですが、きっともうすっかり大きくなっているよね?

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