見出し画像

初めての錬金術💰コナンと引き換えに手に入れたお金と自由

「受験生」という名の檻

小学校高学年の頃、私は中学受験のために毎日塾に通っていた。何を間違ったか難関校クラスに入り、毎日毎日勉強漬けの日々。朝から晩まで。日曜から月曜まで。休む暇もなく勉強していた。

「次のテスト、大丈夫なん?」
「今日の模試の結果、どうやったん?」

ヒステリック気味な母による過干渉ぎみな教育方針。父はただの傍観者、もしくは母の従者だった。

「もっと頑張りなさい」
「100%全力で取り組みなさい」

母のプレッシャーは日に日に増していく。

小学生時代の私にとって、この過干渉とも言える環境こそがこの世の全てであり、生きるということはなんと窮屈で息苦しいものなんだと、幼いながらに絶望していた。

起床、食事、登校、授業、下校、塾、入浴、就寝。24時間のほぼ全てが時間割のように区切られ、やることは決められていた。自由な時間なんて、見当たらなかった。

その厳しくがんじがらめの日々の中で、私は次第に自分を見失っていった。魂だけが宿ったロボットのように、プログラム通りに動くだけの存在。そんな日々には楽しさの欠片もなく、面白いと感じる瞬間など皆無だった。


秘密の楽園パラダイス、古本屋

そんな私が、ある場所を見つけた。
塾から家までの途中にある当時できたばかりの小さな古本屋。

誰もいない店内に一人で足を踏み入れるのには少し勇気がいった。でも、入ってみればそこは大好きな漫画だらけの楽園パラダイスだった。

最初は本当に入って出るだけ。それだけでもドキドキした。

「寄り道したらあかんよ」という母の声が頭に響く。でも、また行きたい。その衝動に突き動かされ、私は毎日塾に行く時は走ることにした。走れば、その分だけ古本屋に立ち寄る時間が作れるから。

母にバレないように。アリバイを作る犯人のように。
毎日走った。たった5〜10分の為に。

店内は静かで、店主のおじさんと私だけ。怖いのか、優しいのかもわからないおじさん。おじさんはいつも本を読んでいた。私が店に入ると、目線だけを本から上げ、軽く頷くのが常だった。1冊の漫画をずっと読んでいると、「立ち読みあかんよ〜」とおじさんは言う。でも、パラパラとめくるだけなら黙認してくれた。

その10分だけが、自分だけの時間だった。母にも言えない、秘密の時間。私が私に戻れる、たったひとときの逃避場所パラダイスだった。


初めてのお金――錬金術の会得


古本屋に通ううちに、私はある「ひらめき」を得た。店内の隅にあった「買取します」の貼り紙。そこからひらめいたのだ。

家にある漫画を売って、そのお金で新しい漫画を買えばいいんじゃないか?そうだ、ここは漫画図書館じゃない。古本屋で、漫画を売り買いする場所じゃないか。

家に帰って部屋の本棚を見つめ、どれを売るかどうか悩みに悩んだ。選んだのは「コナン1〜3巻」。

母親に頼みこんで買ってもらったもの。手放したくなかった。けれど、そのときの私は古本屋に行くたびに見かける、まだ読んだことのない新しい漫画がどうしても欲しかった。

数日間、売るつもりの漫画をカバンに入れたまま古本屋に通い続けた。母にバレたらどうしよう。おじさんに「こんなん売れるか」と笑われたらどうしよう。心臓がバクバクして、なかなか行動に移せなかった。

数日後、ようやく覚悟を決めた私は、カバンから漫画を取り出した。

「これ、売れますか?」

カウンターに3冊の漫画を並べながら、小さな声で尋ねる私。おじさんは漫画を開き、ページをパラリとめくる。紙が擦れる音が店内に響く。そして、彼は静かに頷くと、レジから硬貨を取り出した。

「ほい、これな。」

おじさんの手から私の手へ、硬貨が滑り込んでくる。冷たい。硬い。ずっしりと重い。その硬貨の冷たさが、手のひらの中でじんわりと広がっていく。冷たさが温もりに変わるまでのほんの数秒間、私はその感触を確かめるように指先で硬貨をなぞった。

これが私の人生で初めて、自分の手で得たお金だった。

それは、ただの小銭じゃなかった。親の干渉を抜け出し、初めて自分で手に入れた「自由のお金」。母の許可もいらない。誰の顔色を伺う必要もない。
そのお金は、私の小さな反抗であり、冒険であり、自由だった。まるでそれら全ての象徴のように、手のひらの中で静かに輝いていた。

そのお金で、私は新しい漫画を手に取った。コナン1〜3巻の代わりに、まだ見ぬ物語が手の中に収まる。

等価交換。
そう、私は錬金術を会得したのだ。

小学生の私にとって、「売る」という行為は、ただ物を手放すこと以上の意味を持っていた。それは、自分の意思で決断し、その結果として「初めてのお金」を手にするという体験だった。大切だったものを手放し、自分の選択で手に入れたお金。


お金がもたらした自由な世界


錬金術で手に入れた漫画を家に持ち帰り、寝る前にこっそりページをめくる。

暗い部屋の中、布団の中で息をひそめながら、枕元のスタンドライトだけが、私と物語を繋ぐ小さな灯火だった。その光に照らされたページの中では、現実とは違う世界が無限に広がっていた。

現実の私は、受験生として「勉強しなさい」と追い立てられる毎日。でも、そのページをめくるたび、現実の声は遠ざかり、私は物語の中に入り込んでいく。まるでページの中にもう一つのドアがあって、その向こう側に逃げ込むように。このがんじがらめの現実から逃げ出すように。

漫画の中のキャラクターたちは、自由に走り回り、冒険し、誰にも縛られない。

「何してるの?」
「早く勉強しなさい!」

母の声も、模試の成績も、その瞬間だけはかすんで消える。
その時間だけは、「受験生の私」でもなく、「母の過干渉に縛られた私」でもなく、ただの私

何者でもなく、ただの私でいられた。

親が選んだものでもなく、誰かの指示で読まされたものでもない。
自分で選び、自分で手に入れた世界。

錬金術で得たのは、たった数百円と、そのお金で買った漫画。
でも、その漫画のページの中には、私だけの自由が詰まっていた。

現実逃避かもしれない。
でも、あの時間がなければ、私は現実に押しつぶされていただろう。


錬金術の成果——受験と解放


売ったのはコナン1〜3巻だけでは終わらなかった。
一度味をしめた私は、読み終えた漫画を次々と売り、そのお金で新しい漫画を手に入れるというサイクルを確立していった。
母に気づかれることなく、私は自分だけの小さな経済圏を築き上げていったのだ。

とはいえ、隠れて漫画を読んではいたものの、勉強漬けの日々は変わらなかった。受験勉強の重圧は相変わらず私を締め付け続けていた。
あの10分間の古本屋タイムと、毎晩布団の中で広がる漫画の世界への逃避だけが、私の心の拠り所だった。

結果、志望校には合格。
春の制服に袖を通し、新しい校門をくぐる頃には、母の過干渉も少しずつなりを潜めた。

でも、私は漫画を読むことだけはやめなかった。
あの夜の布団の中で得た自由な時間が、私の心を救ってくれたから。
あのページの中で出会ったキャラクターたちが、私の孤独を埋めてくれたから。

「人生のバイブル?」
「人生を変えた漫画?」

誰かにそう聞かれても、1つに絞るなんてできない。だって、あの頃の私にとっては、全てがバイブルであり、人生を変える一冊だったから。泣きたい時は泣ける漫画を、笑いたい時は笑える漫画を。憧れたのは、自由に冒険するキャラクターたちであり、壁を乗り越えるヒーローたちだった。

だから私は、1つの作品に限定せず、漫画という世界そのものをリスペクトしている。ページをめくるたび、新しい世界が広がり、新しい自分と出会える。漫画は、どんな時でも私の隣にいて、私の言葉にならない気持ちを代弁してくれる存在だった。

今、生きていられる理由の一つに漫画がある。

そう言っても過言ではない。小学生の頃も、中学生になっても、その先も。振り返れば、どのフェーズにも漫画が寄り添ってくれていた。漫画がなければ、あの時の私も、今の私も、存在しなかったかもしれない。

そう思えるほど、私は漫画に救われた。だから今も、漫画のページをめくるたび、あの頃の私に会いに行く。そしてまた、次の一冊を手に取る。


大人の私の錬金術と「初めてのお金」が残したもの


あれから数十年。私は会社員として働く大人になった。
怖いのか優しいのか、よくわからない上司の隣で、毎日パソコンに向かっている。

ちょうど今、コナンの映画が上映されている。
その映画を100%楽しむには予習が必要だというnoteの記事を見かけて、懐かしさと共に、あの日の冷たい硬貨の感触が手のひらによみがえった。

今はもう、漫画を売ることはない。
でも、あの古本屋で覚えた錬金術の感覚は、今も私の中に確かに息づいている。

錬金術とは、等価交換。

昔は漫画を売ってお金を得ていた。
今は時間と労力を差し出して、給料という対価を手にする。

手に入れたお金をどう使うか。
それが、今の私にとっての錬金術だ。

仕事で得たお金を、自分が本当に欲しいものに使う。好きな本を読む。着たかった服を着る。美味しいものを食べる。そういう、選択の自由を楽しむ。親の過干渉から逃れるために漫画を売った小学生の私と、今の私は本質的に変わらない。

どちらも【自分の選択で生きる喜び】を求めている。

今思うと、最初に売ったコナン1〜3巻。もし、あの漫画を手放さず持ち続けていたら、もし、あのまま続けて漫画を買い続けていたら、今頃はもっとコナンの知識が増え、今上映している映画を観る楽しみも違っていただろう。でも、そのコナンを手放したからこそ、私は「自由」を手に入れた。

自分の意思で何かを選び、何かを手に入れるという感覚。
それが、私が最初に学んだ等価交換の法則だった。

あの日、小さな古本屋で手のひらに転がり込んできた冷たい硬貨は、母に頼み込んでようやく買ってもらった大切な漫画と引き換えに得た「初めてのお金」。それはただの金属片ではなく、「親の干渉から逃れて、自分を取り戻すための魔法」だった。

「初めてのお金」は私に教えてくれた。
お金そのものに価値があるのではなく、それを通じて得られる自由や選択肢にこそ価値があるのだと。

受験勉強に苦しんでいた小学生の私が、コナンと引き換えに手に入れた小さな硬貨。それは単なる通貨ではなく、私を救った自由への鍵だった。

あの古本屋で覚えた錬金術は、形を変えながら一つ一つ私の人生の指針になった。何かを手放し、何かを手に入れる。その選択の連続が人生であることを、あの小さな取引は教えてくれた。

私の錬金術は終わらない。
それは今も私の手の中で輝き続ける"生きる魔法"なのだ。



あとがき

この記事に出てくる【錬金術=等価交換】という概念は、漫画の名作の一つ『鋼の錬金術師』で学び得たもの。

「人は何かの犠牲なしに何も得ることはできない。 何かを得るためには同等の代価が必要になる。 それが錬金術における等価交換の原則だ」。

もう久しくあの漫画は読んでいないけれど、この概念だけは私の頭の中に今も強烈に残り、物事を考えるうえで重要な指針の一つになっている。
また読もうかな。大人になった私のお金と時間と等価交換して。


また、記事にも出てきたが、今コナンの映画が上映されている。どうやら予習をしっかりしていかないと、楽しめないそうだ。予習している間に上映期間が終了しないか心配。小学生の時に、もし売らずにコナンの漫画をずっと買い続けていたとしたら、漫画は107巻になっていたのか。それもすごいことだな。まぁ、売ってなかったとして、買い続けてたか知らんけど。


あと、本作はこれまでに書いた記事と合わせて読むと更に私への理解は深まると思う。(作者的に3部作と思っている)
私なんぞの理解を深めていただいても全くあなたの人生にとって意味はないかもしれないが、もし、心と時間に余裕があるなら、以下の記事も是非見ていただければ幸いです。等価交換として、私もあなたの記事を見に行きますので。


相変わらずエッセイって何かは未だにわからないけど、これは分類としてはエッセイにあたるらしいので、そんな私のエッセイみたいな作品をまとめたのはこちら。こちらも時間があったら読んでみていただければ幸いです。



また、本作はレンタル無職ズボラさんが実施している【noteコンテスト #はじめてのお金にも参加させていただいております。ちょうど書きたいと思っていた内容だったので、とてもいい機会となりました。素敵な企画をありがとうございます。


最後まで読んでいただきありがとうございました😊

いいなと思ったら応援しよう!

まーらいおん🤣 最後まで読んでいただきありがとうございます😁いただいたチップは、よりおもろい記事書くためのインプットにかかる費用に使わせていただきます!

この記事が参加している募集