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アラサー、人生の分岐多すぎ問題。

最近、Netflixで『東京タラレバ娘』をちまちま観ている。
地上波で放送されていたのは2017年、私はまだ19歳だった。
当時は大人の議題だと思っていた“アラサーのあれこれ“がぴったり刺さる世代になっていたとは…
自分も大人になってしまったもんだ。

アラサー、人生の分岐多すぎ問題。

キャリアにライフスタイル、どう転んでも正解なのに、なんだか自分の選択だけが不正解のように思えてくる時がある。

3年前、私は25歳で3つ上の夫と結婚した。
東京出身が周りに多い私のコミュニティーでは中々に早い方で、既婚の友達は本当に少なかった。
特に結婚願望が強い方ではなく、「結婚するにしても30歳を超えたあたりが良いな」
なんて抜かしていたら5年も巻いていた。
しかも自分からプロポーズまでしてしまっている。※興味深すぎる案件だと思うので(?)別の記事で話してます

「こんなに早く結婚して本当に良かったのか?」
「キャリアに影響が出る可能性は?」
こんな疑問がグルグルと脳内で渦巻く。
自分で誘っておきながら、なんとも無責任で失礼な、自業自得のマリッジブルーである。

20代後半を過ぎたあたりから、神様の“分岐選択の納期設定“のセンスを本気で疑っている。
というか、シンプルに采配がずさん過ぎやしないか?

20代前半までは、就職だの昇進だの、なんとなく全員が一列に並んで同じ一本道を走っていた気がする。
多少の差はあれど、同じ教室で同じテストを受けているような、ある種の気楽さがあった。
それがどうだろう。
30歳という足音が聞こえ始めた瞬間、目の前に無数の分岐ルートが、暴力的なスピードと質量で雪崩れ込んでくる。

キャリアを築く。
結婚する、しない。
結婚したらしたで、今度は「子供は産むの、産まないの?」という次なるカードが、生物学的なタイムリミット付きで秒で配られる。
そして産むと決めた瞬間、今度は”仕事との両立”という名の、構造的な無理ゲーが幕を開ける。

冗談じゃない。

仕事が一番おもしろくなってきて、自分の頭と手足でガツガツ動ける一番大事なフェーズに、どうしてライフイベントのすべてを同じ打席にいっぺんに放り込んでくるのか。
どれか一つのルートにハンドルを切れば、別のルートは確実に足止めを食らう。
なんなら、せっかく積み上げたキャリアが退行するリスクすら伴う。

この理不尽な大渋滞、どう考えても人生のシステムエラーだとしか思えない。

けれど、周りを見渡して、そして自分自身の足元を見て、最近ようやく気がついた。
この大渋滞の中で、私たちは全員、漏れなく“自分で選んだ道の地獄“を等しく引き受けて生きているのだ。

バリバリ働いて自立し、経済的な自由を謳歌している独身は、日曜日の夜に「私、このまま一人で干からびていくのかな…」と、底なしの孤独に沈んでいる。
一方で、キャリアを小休止して絵に描いたような家庭に入った既婚者は、深夜の授乳中にinstagramを開き、「社会から自分だけが置いていかれた…」とこれまた違った孤独に沈んでいる。

誰一人として、100%の無傷で、満ち足りたルートを歩いている人なんていない。
私たちは全員、何かを手に入れるために、何かを諦めるか、あるいは後回しにするというトレードオフを、血を流しながらやっている。
だからこそ、他人の選んだルートの“光っている部分“だけを切り取って、自分の手元にあるものと比べることほど、不毛で愚かなことはないのだ。
隣の芝生は、いつだって青いどころか蛍光グリーンくらいに眩しく見えるようにできているのだから。

だからこそ、“誰かにとっての模範解答“に倣う必要はない。
そんなものは最初からどこにも存在しないし、全員が違うルールのゲームをプレイしているのだから、スコアを競うこと自体がナンセンスだ。

他人のタイムラインを見て焦る必要なんて、1ミリもない。
欲しいものは、自分のタイミングで、欲しいと思った瞬間に、強欲に手に入れればいい。
キャリアも、家庭も、自分の譲れないこだわりも、最初から諦める必要なんてない。
全部、自分で決めて、自分の納得する形で手にする努力をしたらいいだけだ。

ただし、頑張りすぎるな、とも思う。

たとえ選んだ道が一時的な大渋滞を起こしたとしても、あるいはキャリアが少しだけ足止めを食らったとしても、
今の私たちなら、その場所でまた新しいゲームを始めるだけの知性とタフさが、もうとっくに両手に備わっているのだ。
少し立ち止まることは、後退ではない。
人生という長い長期経営の目で見れば、次の一手を打つための“戦略的調整期間“に過ぎないのだから。

結局、自分の人生は、自分が選んだ道を力技で「正解」にしていくしかない。
「あっちの道の方が楽だったかも」という未練や外野のノイズをすべてシャットアウトし、
自分が今立っているこの荒野を、自分の美学で耕して、大輪の花を咲かせる。
そのゴリ押しとも言える覚悟こそが、私たちが持つべき本当の“自分軸“なのだと思う。
全部、自分で決めて、自分でプロデュースしていけばいい。


ーーなんて、ここまで偉そうに書いてきたけれど。
白状すると、私だって最初からこんな風に割り切って戦えていたわけじゃない。
だって“まだ“28年しか生きていないし。

過去に自分でゲームの舵を切って、逆プロポーズという強硬手段に出たあの瞬間だって、人生1番とも言える大きな自己決定に足元は震えていた。
今だって、全ての選択が不正解に思えて、ベッドの中で静かに泣く夜もある。
画面の向こうで強く、完璧に見えるあの人も、きっと同じだ。
みんな、最初から強いわけじゃない。
傷つかない鎧を着ているわけでもない。
私たちはみんな平等に、それぞれの不完全な毎日のなかで、ただ必死に今日をサバイブしているだけ。
他人の作った正解の波に溺れそうになりながら、それでも溺れないように必死に手足をバタつかせて、今を生きている。
それだけで、本当に、信じられないくらい偉いのだ。

完璧主義の私たちは、どうしてもすべてのルートを100点満点で、しかも涼しい顔で完走しようとして、勝手に窒息しそうになってしまうけれど。
たまには自分に「本当によくやってるよ」と言って、お気に入りのキャンドルに火でも灯して、肩の力を抜いたってバチは当たらない。

大丈夫。
私たちは、十分に賢くて、十分にタフだ。

悩んで、迷って、それでも自分の意志で選んだ道なのだから、どう転んだって最後は愛おしい結末にしかならない。
だから、神様のめちゃくちゃなスケジュールにいちいち振り回されるのはやめて。
今日も、自分が選んだその“一軍の選択“と、何より今日を生き抜いた自分自身を、ただ堂々と愛して、進もう。


追伸。
それぞれ全く違う荒野に立って、それぞれの地獄を愛しながら、それでも定期的に集まっては
「あっちの芝生も蛍光グリーンで綺麗だね」なんて笑い合える、私の大切な友人たちへ。
あなたがどの分岐点にいても、私はその選択をいつでも全力で支持しているし、私たちが選んだ人生は、どう転んだって最高にしかならない。
今日を生き抜いたあなたたちに、心からの愛と、最大の敬意を。

mana


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