【#映画感想文】 #ディズニー アニメーション一気に批評 その31『#ノートルダムの鐘』――もっともっと評価されていい一作 【#Podcast エピソード紹介】
「Reel Friends in Tokyo」は、パーソナリティの“まこ”と“オーマ”がお送りする映画紹介Podcastです。このnoteでは、ポッドキャスト本編で取り上げた話題作や名作、はたまた迷作たちを、番組で語りきれなかった裏話や個人的な深掘り、そしてリスナーの皆さまへの補助情報として、二人ならではの視点で掘り下げていきます。
毎回、Podcastで交わしたトークやディスカッションの要点、まこ・オーマ両名による独自の考察、時に脱線しがちな本音トークから個人的に見た映画Reviewまで、記事としてまとめております。リスナーの方も、そうでない方も、ぜひ肩の力を抜いてお楽しみください。
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ディズニー アニメーション一気に批評 その31
『ノートルダムの鐘』――もっともっと評価されていい一作
序章:なんでみんな知らねえんだよ!
僕が本作『ノートルダムの鐘』(1996)において特に言いたいのは、ここだ。
なんでみんな知らねえんだよ!
もっと見ろよ!感動しろよ!ええやろが!この作品は!
知名度も評価もいまいち芳しくない本作を、今一度しっかりと評価したい。
いや、マジで。
『ライオン・キング』『アラジン』『美女と野獣』『リトル・マーメイド』――これらは誰もが知っている。
だが、『ノートルダムの鐘』は?
「……ああ、なんかあったね」
違う。「なんかあった」じゃない。これは傑作なんだ。
"What makes a monster and what makes a man?"
(翻訳:何が怪物を作り、何が人間を作るのか?)
―― The Bells of Notre Dame (『ノートルダムの鐘』より)
この問いに、本作は真正面から向き合っている。
第1章:もっと評価されて良くない!?――不当に低い知名度
1-1. なぜこの傑作が埋もれているのか
僕が言いたいのは、ただ一つ。
なんでみんな『ノートルダムの鐘』を知らないんだ?
製作費7000万ドルに対し、全世界興行収入3億2500万ドル。
悪くない数字だ。だが、『ライオン・キング』(9億6800万ドル)や『アラジン』(5億400万ドル)と比べると、見劣りする。
批評家からの評価は高い。ロッテントマトでは74%。だが、ディズニー・ルネサンス期の他作品と比べると、やや低い。
そして、何より――日本での知名度が低すぎる。
1-2. 日本での興行収入はわずか
日本での興行収入は、約16億円。
『ライオン・キング』(約66億円)、『アラジン』(約39億円)、『美女と野獣』(約65億円)――これらと比べると、圧倒的に低い。
なぜだ?
この作品は、音楽も素晴らしい、ストーリーも深い、アニメーションも圧倒的――なのに、なぜ評価されないんだ?
"You can lie to yourself and your minions, you can claim that you haven't a qualm, but you never can run from nor hide what you've done from the eyes of Notre Dame."
(翻訳:自分自身や部下には嘘をつけるし、良心の呵責など感じないと主張できる。だが、ノートルダムの目から、自分がしたことから逃げることも隠すこともできない。)
―― The Bells of Notre Dame (『ノートルダムの鐘』より)
1-3. ディズニーランドにノートルダムのアトラクションを
僕は言いたい。
ディズニーよ、東京ディズニーランドに『ノートルダムの鐘』のアトラクションを作ってくれ。
ノートルダム大聖堂を再現した建物の中を、カジモドと一緒に駆け回りたい。
鐘撞き堂から、パリの街を見下ろしたい。
「God Help the Outcasts」を聴きながら、祈りを捧げたい。
頼む、ディズニー。この傑作を、もっと多くの人に知ってもらいたいんだ。
第2章:あらすじ――醜い鐘撞き男の物語
2-1. カジモドという存在
15世紀、パリ。
ノートルダム大聖堂の鐘撞き堂に、一人の男が住んでいた。
彼の名は、カジモド。
生まれつき背骨が曲がり、顔は醜く歪んでいた。だが、心は誰よりも優しかった。
カジモドは、パリの最高裁判事フロローに育てられた。フロローは、カジモドの母を殺した張本人だったが、カジモドはそれを知らなかった。
フロローは、カジモドに言った。
「お前は醜い。外の世界に出れば、人々はお前を怪物として恐れるだろう。ここに留まるのだ」
カジモドは、それを信じた。
2-2. エスメラルダとの出会い
ある日、「愚者の祭り」が開催される。
カジモドは、友人であるガーゴイル像たちに背中を押され、初めて外の世界へと飛び出す。
そこで、彼はジプシーの踊り子エスメラルダと出会う。
彼女は美しく、自由で、誰よりも勇敢だった。
カジモドは、一目で彼女に恋をした。
だが、フロローもまた、エスメラルダに欲情していた。彼は彼女を「魔女」として追い詰める。
2-3. フィーバスという存在
一方、パリの衛兵隊長フィーバスは、フロローの命令に疑問を抱いていた。
彼は、エスメラルダを助け、二人は恋に落ちる。
カジモドは、エスメラルダがフィーバスを愛していることを知り、心を痛める。
だが、それでも彼は、彼女を守ろうと決意する。
2-4. クライマックス――炎の中の戦い
フロローは、エスメラルダを火あぶりの刑に処そうとする。
カジモドは、鐘撞き堂から飛び降り、彼女を救出する。
ノートルダム大聖堂を舞台に、激しい戦いが繰り広げられる。
最終的に、フロローは転落死し、カジモドとエスメラルダは無事に生き延びる。
カジモドは、エスメラルダとフィーバスの愛を祝福し、自分は鐘撞き堂へと戻る。
だが、今度は、パリの人々から「英雄」として称賛される。
"Out there among the millers and the weavers and their wives, through the roofs and gables I can see them, every day they shout and scold and go about their lives, heedless of the gift it is to be them."
(翻訳:外には粉挽きや織工やその妻たちがいる。屋根や切妻を通して、毎日彼らが見える。彼らは叫び、叱り、自分の人生を生きている。それが贈り物であることに気づかずに。)
―― Out There (『ノートルダムの鐘』より)
第3章:ヴィクトル・ユゴーという天才――原作の力
3-1. ディズニーの改変の妙
ディズニーってなんだかんだで改変がうまい傾向にある。
もちろん、原作ありきで作品を見る人もいるから、改変に対して批判が集まることもある。
ただ、表現の一つとして作品は常に作り変わっていくものなのだ。
『竹取物語』だって、写本を作っていく中でよりよい表現が足され、冗長だったところは削減され、今の形になったと推察できる。
学校の怖い話だってそうだ。語り継がれていく中で、よりテクニカルな構成に成長していく。
"Books are the quietest and most constant of friends; they are the most accessible and wisest of counselors, and the most patient of teachers."
(翻訳:本は最も静かで一貫した友であり、最もアクセスしやすく賢明な助言者であり、最も忍耐強い教師である。)
―― Charles William Eliot
3-2. 原作『ノートルダム・ド・パリ』の悲劇性
原作は、ヴィクトル・ユゴーの『ノートルダム・ド・パリ』(1831)である。
この小説は、徹底的に悲劇的だ。
カジモドは、エスメラルダを愛するが、彼女は彼を愛さない。
エスメラルダは、フィーバスを愛するが、フィーバスは彼女を裏切る。
フロローは、エスメラルダに欲情するが、彼女を火あぶりにする。
最終的に、エスメラルダは処刑され、カジモドは彼女の遺体に寄り添って死ぬ。
誰も幸せにならない。
3-3. ディズニー版の改変――希望の物語へ
ディズニーは、この悲劇を「希望の物語」へと変えた。
エスメラルダは生き延びる。
カジモドは英雄として称賛される。
フィーバスとエスメラルダは結ばれる。
もちろん、原作ファンからは批判もあった。
「ユゴーの悲劇性を台無しにした」
「ハッピーエンドにする必要はなかった」
だが、僕は思う。
ディズニーの改変は、正しかった、と。
3-4. 難しい話をシンプルに、でもテーマは明確に
ディズニーは、物語の大衆化の手腕が見事だ。
難しい話はシンプルに、それでいてテーマ性を明確にして伝えてくる。
原作『ノートルダム・ド・パリ』は、複雑で、登場人物も多く、テーマも多岐にわたる。
だが、ディズニー版は、シンプルだ。
「外見ではなく、心こそが人を定義する」
このテーマが、一貫して描かれている。
"A story should have a beginning, a middle, and an end, but not necessarily in that order."
(翻訳:物語には始まり、中間、終わりがあるべきだが、必ずしもその順序である必要はない。)
―― Jean-Luc Godard
第4章:画面が美しすぎる――アニメーション技術の頂点
4-1. とにかく常に画面が美しい
とにかく、常に画面が美しい。
カジモドが縦横無尽に駆け回るノートルダムの鐘撞き堂も見事だし、恐ろしく動くカメラワークに芸術的な背景が恐ろしい完成度。
すげえ。
マジで、すげえ。
4-2. CGと手描きアニメーションの融合
本作は、CGと手描きアニメーションを融合させた初期の作品である。
特に、オープニングの「The Bells of Notre Dame」のシーンは圧巻だ。
カメラは、パリの街を俯瞰し、ノートルダム大聖堂へと降下していく。
CGで描かれた建物、手描きで描かれた群衆――それらが完璧に調和している。
この技術的な挑戦は、当時のアニメーション業界に大きな影響を与えた。
4-3. 鐘撞き堂という舞台装置
カジモドが住む鐘撞き堂は、本作の重要な舞台装置である。
縦に広がる空間、無数の梁や柱、巨大な鐘――これらが、立体的に描かれている。
カジモドは、この空間を自在に動き回る。ロープを使って飛び回り、梁を飛び越え、鐘に飛びつく。
このアクロバティックな動きが、アニメーションならではの魅力を引き出している。
"Architecture is frozen music."
(翻訳:建築は凍った音楽である。)
―― Johann Wolfgang von Goethe
ノートルダム大聖堂という建築物が、まさに「音楽」として描かれているのだ。
4-4. 背景美術の芸術性
背景美術も、素晴らしい。
15世紀のパリが、細部まで描き込まれている。
石畳の道、木造の家屋、ステンドグラスの窓――全てが美しく、リアルだ。
特に、ステンドグラスの描写は見事だ。
光が差し込むと、色とりどりの光が床に映る。このシーンは、まるで本物の大聖堂にいるかのような錯覚を覚える。
第5章:音楽の深み――アラン・メンケンの神業
5-1. ディズニー・ルネサンスの集大成
音楽は、アラン・メンケンとスティーヴン・シュワルツが担当している。
アラン・メンケンは、『リトル・マーメイド』『美女と野獣』『アラジン』を手がけた天才作曲家だ。
そして、本作の音楽は、彼の集大成とも言える。
5-2. The Bells of Notre Dame ――圧倒的なオープニング
オープニング曲「The Bells of Notre Dame」は、圧倒的だ。
クロパンが語り手となり、カジモドの悲劇的な誕生を歌い上げる。
重厚なコーラス、ラテン語の聖歌、そして圧倒的な映像――全てが完璧に調和している。
"Dark was the night when our tale was begun, on the docks near Notre Dame."
(翻訳:我々の物語が始まった夜は暗かった。ノートルダム近くの波止場で。)
―― The Bells of Notre Dame (『ノートルダムの鐘』より)
この一節で、観客は一気に15世紀のパリへと引き込まれる。
5-3. Out There ――カジモドの願い
「Out There」は、カジモドの心の叫びを歌った曲だ。
彼は、外の世界に憧れる。普通の人々のように、自由に生きたいと願う。
だが、フロローは彼に言う。
「お前は醜い。外に出れば、殺される」
カジモドは葛藤する。
"Out there among the millers and the weavers and their wives, through the roofs and gables I can see them."
(翻訳:外には粉挽きや織工やその妻たちがいる。屋根や切妻を通して、彼らが見える。)
―― Out There (『ノートルダムの鐘』より)
この曲は、カジモドの孤独と憧れを切なく歌い上げている。
5-4. God Help the Outcasts ――エスメラルダの祈り
「God Help the Outcasts」は、エスメラルダが大聖堂で捧げる祈りの歌だ。
彼女は、自分のためではなく、虐げられた人々のために祈る。
貧しい人々、差別される人々、居場所のない人々――彼らに、神の慈悲を求める。
"I ask for nothing, I can get by, but I know so many less lucky than I. God help the outcasts, the poor and downtrod."
(翻訳:私は何も求めない。私は何とかやっていける。でも、私より不運な人がたくさんいることを知っている。神よ、のけ者を、貧しく虐げられた者を助けてください。)
―― God Help the Outcasts (『ノートルダムの鐘』より)
この曲は、ディズニーソングの中でも最も美しく、最も深い曲の一つである。
5-5. Hellfire ――フロローの狂気
そして、「Hellfire」。
この曲は、ディズニー史上最も暗く、最も狂気的な曲である。
フロローは、エスメラルダへの欲情に苦しむ。彼は、自分の欲望を「悪魔の誘惑」として、エスメラルダに責任を押し付ける。
"Beata Maria, you know I am a righteous man, of my virtue I am justly proud."
(翻訳:聖なるマリアよ、あなたは知っている。私は正しい人間だと。私の美徳を私は正当に誇りに思っている。)
―― Hellfire (『ノートルダムの鐘』より)
彼は、自分を「正しい人間」だと信じている。だが、その内面は欲望と憎しみで満ちている。
この曲は、偽善と狂気を見事に描いている。
5-6. The Court of Miracles ――ジプシーたちの世界
「The Court of Miracles」は、ジプシーたちの隠れ家を描いた曲だ。
クロパンが率いるジプシーたちは、カジモドとフィーバスを「裏切り者」として裁こうとする。
だが、エスメラルダが現れ、二人を救う。
この曲は、コミカルでありながら、どこか不気味だ。
ジプシーたちの世界は、表の世界とは違う。彼らは、社会から排斥された者たちだ。
だからこそ、彼らは独自のルールで生きている。
第6章:残念なことに――知名度が低い理由
6-1. 主人公のビジュアルのとっつきにくさ
残念なことに、知名度や評価がついてこない理由は、主人公のビジュアルのとっつきにくさと、終始重苦しい雰囲気にあるかもしれない。
カジモドは、ディズニー主人公の中で最も「醜い」キャラクターである。
背骨は曲がり、顔は歪み、片目は小さい。
子供は、こういうキャラクターを怖がる。
『ライオン・キング』のシンバは、可愛い子ライオンだった。
『アラジン』のアラジンは、イケメンだった。
『美女と野獣』の野獣ですら、最終的には王子様になった。
だが、カジモドは違う。
彼は、最後まで「醜い」ままだ。
6-2. 終始重苦しい雰囲気
そして、本作は終始重苦しい。
テーマは、差別、偽善、欲望、そして贖罪。
子供向けのディズニー映画としては、あまりにも重い。
『ライオン・キング』も重いテーマを扱っていたが、ティモンとプンバァがコミカルな要素を加えていた。
だが、本作にはそれがない。
ガーゴイル像たちがコミカルな役割を果たすが、彼らの存在は賛否両論だ。
"Comedy is simply a funny way of being serious."
(翻訳:コメディは、真剣であることの面白い方法に過ぎない。)
―― Peter Ustinov
6-3. ハッピーエンドだが、カジモドは報われない
本作はハッピーエンドだ。
エスメラルダは生き延び、フィーバスと結ばれる。カジモドは英雄として称賛される。
だが、カジモドは「恋」では報われない。
彼は、エスメラルダを愛していた。だが、彼女はフィーバスを選んだ。
カジモドは、それを受け入れ、二人を祝福する。
これは、美しい場面だ。だが、同時に悲しい。
ディズニー映画で、主人公が恋で報われないのは珍しい。
そして、それが本作の「重さ」を際立たせている。
第7章:クロパンという天才――狂言回しの魔術
7-1. そして忘れてならないのが彼だ
そして、忘れてならないのが彼だ。
クロパン・トルイユフー。
ジプシーの王であり、物語の語り手である。
彼は、冒頭で物語を語り始め、クライマックスで再び現れる。
7-2. 狂言回しが作中で踊り回る
狂言回しが作中で踊り回るのは、本作の特徴の一つ。
最後まで、否が応でも作品世界へと引きずり込んでくる。
クロパンは、観客に語りかける。
「これは物語だ。だが、真実でもある」
彼は、フィクションと現実の境界を曖昧にする。
"All the world's a stage, and all the men and women merely players."
(翻訳:世界はすべて舞台、男も女もみな役者に過ぎない。)
―― William Shakespeare
7-3. コミカルでありながら不気味
クロパンは、コミカルだ。だが、同時に不気味でもある。
彼は、カジモドとフィーバスを「裏切り者」として裁こうとする。そのシーンは、まるで悪夢のようだ。
だが、エスメラルダが現れると、すぐに態度を変える。
彼は、道化師であり、王であり、裁判官であり、そして友でもある。
多面的なキャラクターなのだ。
7-4. トニー・ジェイの圧倒的な演技
クロパンを演じたのは、ポール・カンデル(英語版)である。
彼の演技は、圧倒的だ。
歌唱力、演技力、そしてカリスマ性――全てが完璧だ。
クロパンがいなければ、本作はここまで魅力的にはならなかっただろう。
第8章:フロローという悪役――ディズニー史上最高のヴィラン
8-1. 偽善者という恐怖
フロロー判事は、ディズニー史上最高のヴィランである。
彼は、魔法を使わない。怪物でもない。ただの人間だ。
だが、それゆえに恐ろしい。
フロローは、自分を「正しい人間」だと信じている。
彼は、神を信じ、法を守り、悪を憎む。
だが、その内面は欲望と憎しみで満ちている。
8-2. Hellfire という狂気
「Hellfire」は、フロローの内面を描いた曲だ。
彼は、エスメラルダへの欲情に苦しむ。
だが、彼はその欲望を「悪魔の誘惑」として、エスメラルダに責任を押し付ける。
「彼女が悪いのだ。彼女が私を誘惑しているのだ」
フロローは、自分の罪を認めない。
代わりに、他者を悪魔化し、自分を正当化する。
"The devil can cite Scripture for his purpose."
(翻訳:悪魔は自分の目的のために聖書を引用できる。)
―― William Shakespeare
8-3. 差別と偽善
フロローは、ジプシーを「悪」として迫害する。
彼は、パリからジプシーを排除しようとする。
だが、その動機は「正義」ではなく、「エスメラルダへの欲望」だ。
彼は、エスメラルダを手に入れられないなら、彼女を殺そうとする。
「私のものにならないなら、誰のものにもさせない」
これは、極めて現代的な悪だ。
ストーカー、DV、名誉殺人――フロローの行動は、現実の犯罪と重なる。
8-4. トニー・ジェイの名演
フロローを演じたのは、トニー・ジェイ(英語版)である。
彼の声は、低く、冷たく、そして威厳に満ちている。
フロローの狂気と偽善を、完璧に演じきっている。
トニー・ジェイは、2006年に亡くなった。だが、彼の演技は、永遠に残り続ける。
第9章:必見――この傑作をもっと多くの人に
9-1. みんなに見てほしい
みんなに見てほしい。
というか、必修レベルで見てほしい。
そして、高く評価してくれ。
日本国内での知名度を上げてくれ。
9-2. いつか東京ディズニーランドで
いつか、僕は東京ディズニーランドで『ノートルダムの鐘』のアトラクションに乗りたいんだ。
ノートルダム大聖堂を再現した建物の中を、カジモドと一緒に駆け回りたい。
鐘撞き堂から、パリの街を見下ろしたい。
「God Help the Outcasts」を聴きながら、祈りを捧げたい。
頼む、ディズニー。
この傑作を、もっと多くの人に知ってもらいたいんだ。
9-3. ディズニー・ルネサンスの隠れた名作
本作は、ディズニー・ルネサンスの隠れた名作である。
『ライオン・キング』『アラジン』『美女と野獣』の陰に隠れているが、決して劣っていない。
むしろ、ある意味では、これらの作品を超えている。
テーマの深さ、音楽の美しさ、アニメーションの技術――全てが最高レベルだ。
"The greatest glory in living lies not in never falling, but in rising every time we fall."
(翻訳:人生最大の栄光は、決して倒れないことではなく、倒れるたびに立ち上がることにある。)
―― Nelson Mandela
カジモドは、何度も倒れた。だが、その度に立ち上がった。
そして、最後には英雄となった。
エンディング:鐘の音が響く限り
『ノートルダムの鐘』は、傑作だ。
だが、評価されていない。
なぜなら、重すぎるから。暗すぎるから。主人公が醜いから。
だが、それこそが本作の魅力なのだ。
ディズニーは、子供向けの「楽しい映画」だけを作るわけではない。
時には、深く、重く、そして美しい作品を作る。
『ノートルダムの鐘』は、その代表例だ。
"What makes a monster and what makes a man?"
(翻訳:何が怪物を作り、何が人間を作るのか?)
―― The Bells of Notre Dame (『ノートルダムの鐘』より)
この問いに、本作は答える。
「外見ではなく、心こそが人を定義する」
カジモドは醜い。だが、彼の心は美しい。
フロローは美しい。だが、彼の心は醜い。
真の怪物は、誰なのか?
podcasterの まこ(@_macobana)が、メインチャンネル『ポケットに沼を』(#ポケ沼 )では語り足りないアレコレを一人語りするポッドキャスト番組、『#よもやまこばなし 』(#まこばな )にて展開された映画談義がついに専門チャンネルに。
語りたい映画なんて尽きることない!
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