【小説・ヴィーナス症候群】[207]独立宣言
第一章 琉貿デパートにて
「次は壺川、壺川です」
車内アナウンスに続いて、車両全体を突き刺すように響いたのは、唐船ドーイのリズムだった。
カチャーシーの定番として知られるその旋律を、ゆいレールの駅チャイムはまるで祝い事の高鳴りのような音圧でぶつけてくる。
三線の弦が空気を切り裂くように、電子音で再構成されたその一節が、莉子の鼓膜を直撃した。
ああ、沖縄だ。
彼女は車窓に目をやり、湿った雲と抜けるような青空のコントラストを見上げた。
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那覇・国際通りの入り口にある老舗のデパート、琉貿。
その6階催事フロアで、ドレスブランド「Felice(フェリーチェ)」の展示会が開催されていた。
テーマは「紅型×Ceremony」。沖縄伝統の紅型染めを取り入れたウェディングドレスを中心に、成人式向けのセレモニードレスや記念撮影用の衣装も並ぶ。
その中心に立つのが、Felice専属の「トルソーさん」、武隈莉子だった。
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着用しているのは、ベアショルダーの白いウェディングドレス。
赤、黄、藍の花々が沖縄の陽光のように広がるその布地に、余計な装飾はなく、ただ構造だけが静かに美しさを支えていた。
肩から腕のない莉子の身体は、ドレスの意匠とぶつからず、「そこにないもの」がむしろ布の落ち感を際立たせていた。
デパートのフロアには適度な人の流れがあり、スタッフの声が柔らかく響いている。
「そちらは予約も可能ですよー」
「莉子さん、次の立ち位置こちらで大丈夫です」

展示会の評判は上々だった。
沖縄の女性たちは明るく、そして実に具体的だった。
「うちの娘が成人式で着たらどうなるかね?」と娘の肩幅を指差す母親。
「えっ、この色味、写真写りヤバくない?映える〜」と興奮気味の若い女性。
莉子は客の声に反応しながら、静かに身体の角度を変え、ドレスの裾を崩さぬように姿勢を調整していく。
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そして、午後三時を少し回った頃。
何かが変わった。音が違う。
まず最初に、遠くから拡声器の音が割れて聞こえてきた。
「……あれ?なんか、外……騒がしくないですか?」
隣でドレスをたたんでいたFeliceのスタッフが、首をかしげる。
莉子も、展示スペースの奥から入り口方向に目をやった。
正面玄関の外に、白地に赤い文字の横断幕が見えた。
そして、人だかり。その中に、警備員が慌ただしく動いているのがちらりと見える。
「デパートの前、なんか集まってます」
「これ……警察来てる?え、なにごと?」
莉子は展示台の横で静止したまま、スカートの裾が風でわずかに揺れるのを感じていた。
その風は、琉球という言葉の記憶と、どこか切り離された街の空気を同時に運んできているようだった。
第二章 騒ぎのなかで
「お客様にご案内いたします。現在、正面玄関前におきまして、外部団体による集会行動が確認されております。安全確保のため、出入口の一部を制限させていただきます」
館内放送が流れた瞬間、展示フロアの空気が変わった。
BGMがふっと下がり、天井の照明音だけが妙に耳につく。さっきまでドレスを見比べていた親子客が振り返り、周囲のスタッフが無言で目配せし合う。
莉子は、ドレスのまま静止した姿勢のまま目線だけを入り口に向けた。
エスカレーターの降り口から、黒い制服姿の警備員とスーツの男性が急ぎ足で入ってくるのが見える。
フロア責任者だ。Feliceの沖縄入りチームのチーフも呼ばれて、さっと打ち合わせが始まった。
「何があったの?」
「さっき、表でなんか旗とか……」
「“独立”って書いてあったってよ。なんか叫んでたみたい」
ざわめきが拡がる中、莉子はスタッフの一人に軽く肩を叩かれた。
「莉子さん、ちょっと控室のほうに。念のため」
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控室と言っても、催事フロアの奥にある仮設のフィッティングスペースだった。
白布のパーティションの裏で、莉子は立ちポーズを解き、サンダルの紐を緩めながら待機した。
客の声もスタッフの声も、すべて布一枚を挟んだ向こうで揺れている。
「……なんなんだろ、独立って」
「あれ、“琉球共和国”とか名乗ってたって」
「やば、ネットに出てる。今もう拡散されてる」
スタッフの誰かがスマホをかざし、画面を共有する。
そこには、琉貿デパート前に集まった20人ほどの人々が「琉球独立を宣言する」などと書かれた垂れ幕を掲げ、演説している動画。
どこかの活動家がライブ配信していたらしく、コメント欄には「フェイクじゃないの?」「ガチ?」「てか邪魔なんだが」などの言葉が並んでいた。
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やがて、警察官が数人、フロア外の警備線の中を通り抜けていくのが見えた。
制服姿に肩章をつけた人物が、小型の拡声器を片手に警告を繰り返している。
「これより、無許可の道路使用に関し、退去を命じます。繰り返します、付近の通行の妨げとなっております……」
百貨店の外に出ることはできず、展示会のフロアは事実上「閉鎖」された。
エレベーターは停止、非常階段は解放されたものの、下層階での混雑を避けるため館内にとどまるよう要請される。
莉子は、展示用のピンをひとつずつ外していくスタッフの動きを見ながら、
「ああ、これ、ちゃんと着替えられるかな」と、少し困ったように笑った。
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控室の一角にあった折りたたみ椅子に腰掛け、莉子は館内放送をもう一度聞く。
今度は冷静な声で、こう続いていた。
「本日はご来場誠にありがとうございました。展示会は本日午後4時をもちまして、終了とさせていただきます」
時計はまだ、3時37分だった。
第三章 静かな脱出
午後四時。展示会は予定より早く閉場となった。
騒ぎの真相はまだ定かでないものの、百貨店側の判断は早かった。
「万が一」を避けるため、スタッフと関係者の帰宅が静かに促される。
莉子はスタッフの手を借りながら、バックヤードでゆっくりとドレスを脱いだ。
紅型模様の布は、脱いでもまだ身体の熱を抱いているようだった。
ローバンに結っていた髪をほどくと、空気がふっと軽くなった。
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「莉子さん、ゆいレール、いま一部の駅で乗降規制が入ってるみたいです」
「え、止まってる?」
「いえ、止まってはいないけど、警察が“念のための誘導”って。空港までは行けるみたいです」
Feliceの沖縄担当スタッフがスマホを操作しながら説明する。
百貨店の裏手から出た非常通路は、普段なら関係者以外立ち入らない静かな出入口だったが、今日は警備員が立ち、顔ぶれを確認して一人ずつ通すような体制が取られていた。
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通りに出ると、空が広かった。
梅雨明けの沖縄。アスファルトの照り返しはまだ強く、蝉の声が空気を押し返すように響いていた。
信号待ちの間、莉子はふと後ろを振り返った。
琉貿デパートの建物は、さっきと何も変わらず立っている。ただ、警察車両が一台、入り口横に止まっていた。
記者らしき人がスマホで撮影し、女性アナウンサーがマイクを構えて何かを語っている。
「那覇市中心部では本日午後、“琉球独立”を掲げた集団が……」
少し聞こえた。
莉子は目をそらし、そのまま駅へ向かった。
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ゆいレールの改札では、案内係が多めに配置されていた。
制服を着た若い男性職員が、親子連れに声をかけ、英語で道案内している。
「現在、壺川駅・県庁前駅では一部通行に誘導が出ています」
そんな掲示が電子板に出ていたが、空港方面の運行は通常通り。
車内は落ち着いていた。
観光客らしき人々がサンダルを投げ出してくつろぎ、地元の高校生が静かにスマホをいじっていた。
莉子はドア近くに立ったまま、流れる車窓を見ていた。
「何もなかったように、街は進んでるな」
そんな気配だけが、唐船ドーイの激しいリズムとはまるで無縁だった。
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那覇空港の保安検査場は、混んではいたが騒然とはしていなかった。
一部のメディアクルーが通路付近に立っていたが、特別な制限もなく、莉子は普段通り搭乗口へ向かう。
Felice本部のグループチャットに「無事、空港着きました」と短く書き込むと、すぐに既読が並んだ。
「おつかれ!今日は大変だったね」
「ドレス、すっごく綺麗だったよ」
「無事帰ったら打ち上げやろ〜」
画面を閉じ、莉子はバッグの中のピンケースにそっと触れた。
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機内に入り、シートベルトを締める。
外はすでに夕暮れ。滑走路の向こうに、島の輪郭がにじんでいた。
「Ladies and gentlemen, welcome aboard—」
英語のアナウンスを聞きながら、莉子はひとつ大きく息を吸って、目を閉じた。
機体がゆっくり動き出すと、体がわずかに沈む。
そして空へ。
ドレスも、声も、旗も置き去りにして、
飛行機は、琉球の空を後にした。
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