【小説・ヴィーナス症候群】[245]ドジ修行
第一章 ドジ修行
裏磐梯、五色沼。
森の香りと夏の冷気が混じり合う高原地帯で、今年も「コルチカムの会」サマーキャンプが始まった。
両腕のない女児──ヴィーナス児たちが、全国からここに集まる。
今年の参加者は30人ほど。多くはローティーン、小学校高学年から中1くらいの子が多い。
その受付を担当していたのは、事務局スタッフの階上つばさだった。
「はい、〇〇県の○○ちゃんね、じゃあこれネームタグ。お水もここにあるからね〜」
ポニーテールを結い、タイトスカートにブラウス、両肩には金属の義手。
今ではすっかり“裏方”の人間だが、実は十数年前、このキャンプに参加する側だった。
(……私も、あの頃は全然できなかったな)
草むらに落としたパンを足で拾おうと格闘していた女の子を見ながら、つばさはふっと懐かしくなる。
毎年恒例の「足で生活する訓練」。
靴下をはく。ペットボトルを持ち上げる。字を書く。料理もする。
このキャンプでは、なんでも「足」でやるのが基本で、だからこそヴィーナス児たちは驚異的な柔軟性を持つ子が多いとさえ言われる。
だが今年は、いつにも増して会場がざわついていた。
「ねえ、来るんでしょ? 本当に?」
「うん、あの人、ほんとに“足で三つ編み”してたよね……?」(第24話)
子どもたちの間でひそひそと交わされる期待の声。
その名前が出た瞬間、あちこちで目が輝く。
──麻帆(まほ)。
登録者300万人超の人気YouTuber。両腕がまったくないヴィーナス児でありながら、義手も一切使わず、「身体そのまま」で生活する姿を動画で発信し続けてきた。
最近では、超人気クリエイター・ンォーラーの動画にもゲスト出演してさらに注目を浴びた。(第230話)
そんな彼女が、今年は特別講師としてサマーキャンプに来てくれるという。
「ほんとに来るのかな……?」
「動画ではしゃべってても、実際は無口かもしれないし……」
「足だけで三つ編みできるって、どういうこと?」
──その“伝説”が、まだ姿を現していない麻帆をますます神秘的にしていた。
午後、広場での開会式。
壇上にゆっくり現れたのは、肩までの黒髪、タンクトップにショートパンツ、サンダル姿の麻帆だった。
両肩から先は、なにもない。
その、当たり前のことに、少女たちは思わず息を呑んだ。
「こんにちは。麻帆です」
笑顔とともに、頭を下げる。
その瞬間、空気が変わった。子どもたちの表情が、「本当に来たんだ……」という驚きから、何かをつかもうとする真剣なまなざしへと変わっていく。
麻帆は、それを見て、にこっと笑った。
「私ね、今日は“ドジ修行”しに来たの。みんなで、いっぱい失敗しよう」
──その日の午後。
訓練プログラムが始まる。開脚ストレッチ、足での操作練習、雑巾がけ。
麻帆は講師陣の後ろで、時々声をかけながら静かに見守る。
足で失敗してもいい。道具を落としてもいい。
「できない」を笑わないのが、このキャンプのルールだ。
やがて夕方が近づき、訓練が終わる頃。
麻帆はぽつりと口にする。
「……ねえ、三つ編み、見たい?」
その声に、子どもたちの目が一斉に光った。
「見たいー!!」
「本物だ!!」
「うわ、ほんとにやるの!?」
麻帆は静かに芝生に座り、片足をゆっくり上げた。
ついに、“最終奥義”が披露される。
──足で三つ編み。
第二章 夕暮れのベンチ
キャンプ1日目が終わろうとしていた。
日中は笑い声の絶えなかった広場も、今は森の音と虫の声が支配している。
五色沼の木道近くに設けられた休憩スペース──その片隅にある木製のベンチに、階上つばさと麻帆のふたりが並んで座っていた。
つばさは、普段どおり白いブラウスにタイトスカート、金属の肩義手を外すこともなく、ハイヒールを脱いで片足をベンチの縁にかけている。

「……正直ね、麻帆ちゃんが来てくれるって聞いて、『マジで?』って思ったよ」
つばさが言うと、麻帆はタンクトップの肩をすくめて笑った。
「私もね、最初は断ろうかと思ってた。でも最近……なんかもう、ロクでもないことばっかでさ。だから若い子たち見て邪気を払いたいと思ったんだよね」
「ぱんつっちが食い殺された事件でしょ」
夜の空気が、少しだけ重くなった。(第199話)
「うん。あいつに誘われてた他の子──あの子、追悼配信も現場で震えててさ。いまだに何も出せてないって言ってた」
「……でしょうね」
つばさは、そっと目を伏せる。
この数ヶ月、心がすり減るような出来事が続いていた。社会も、ネットも、現場も、ギスギスしていた。
「でもさ、ンォーラーの動画、観たよ。あの“包丁マン”」(第230話)
麻帆は吹き出しそうになりながら笑った。
「やっぱ言うよね、包丁マン。あれさ、正式には“カクテル仮面”なの」
「えっ、なんで?」
「シルクハットかぶってて、包丁持ってて、ジンの瓶持ってて……『正義のあとのカクテルはうめぇ!』って言うのよ」
「何それ、意味わかんない(笑)」
「でもね……登録者、めっちゃ増えた。あれだけはンォーラーに感謝してる」
笑いのあとに、ちょっとだけ間が空いた。
風が通り過ぎる音。五色沼の水面が、わずかにきらめく。
「でも、つばさちゃんもさ。がんばったよ」
「……毎日終電だったよ。補助金の交渉で厚労省に通って、栄養アレルギー表の見直し、現地視察、備品の搬入調整──もう、いま何やってんのか分かんなくなるくらい働いてた」
「……それでも、来てくれる子がいてさ。あたし今日、あの子たち見て泣きそうだったよ」
「泣くのは最後の挨拶で泣くのがつばさちゃんの仕事だから、って言われてるし。もう様式美」
「やめてよもう」
ふたりは笑う。ふっと、森の空気がやわらかくなる。
「……でも、あの子たち、三つ編みのときすごかったね」
「うん。正直、私なんかで“憧れ”になるなんて、おこがましいと思ってたけどさ……見ててわかる。あの目」
「ドジ修行だって言ってたじゃん」
「うん。あれ、自分に言ってたの」
麻帆は、自分の肩をちらっと見た。
「私、腕がないまま動画に出て、自由に表現して、ドジって、笑って、それでも“あれが私”って言いたくて。……たぶん、まだ、修行中なんだと思う」
「うん……でもさ、あんたが足で三つ編みしたときの、あの子たちの顔、見た?」
「うん、見た。……あれがあるから、やってんだよ」
ふたりの視線の先、夜の森が静かに揺れていた。
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