【小説・ヴィーナス症候群】(17)サマーキャンプの夜
近年、国内では両腕のない状態で生まれる女児の報告が相次いでいた。
症例は少ないながらも、特定の時期や地域に集中するわけではなく、しかし奇妙なことに「必ず女の子である」という点だけが共通していた。
これが「第2サリドマイド事件」である。
ある深夜のテレビ番組が、そのうちの一人を取り上げた。
足でピアノを弾き、字を書き、料理までこなすその少女に、ナレーションはこう語った。
「まるでヴィーナス像のようだ」と。
――それが、「ヴィーナス児」という呼び名のはじまりだった。
当初は論議も巻き起こした。身体を美術作品にたとえることに違和感を示す声、安易な呼称への反発。しかし、やがて当の少女たちやその家族が、自分たちの存在を言葉にする手段としてその呼び名を使い始めたことで、「ヴィーナス児」という言葉は次第に静かに定着していった。
やがて全国のヴィーナス児の親たちがつながり、「コルチカムの会」という当事者団体が生まれた。
そして夏になると、各地で“足で生きる術”を学ぶための合宿――サマーキャンプが開催されるようになった。
とはいえ、その正式名称はずいぶんと堅苦しい。
「全国上肢先天欠損児支援交流合宿訓練会」。
これは、厚労省や文科省などからの補助金を受け取るために必要な、きちんと目的の明記された事業名である。
申請書類に「ヴィーナス児のサマーキャンプ」と書いても、さすがに通らない。
今年のキャンプ地は、中国地方に広がる蒜山高原。
開脚訓練や、足での生活動作を身につける実技は日中のみで、夜は近隣のホテルに宿泊するスタイル。
中学生のヴィーナス児たちも、数名が初めての参加に緊張しながらも、少しずつ笑顔を見せ始めていた。

そして、その夜。
ホテルの四人部屋のカーテンが閉め切られ、エアコンの風が静かに流れるなか、少女たちは足で枕を蹴り合い、ベッドの上でごろごろと転がりながら、にぎやかに過ごしていた。
「てかさ…『腕がない』って言葉、うち、実はまだ自分では言いにくいんだよね」
萌のそのつぶやきに、一瞬、部屋が静かになった。
「なんかわかる。自分のことなのに、なんか“実況”みたいになるよね」
美月が足で枕を引き寄せながら言った。

「うちも学校では言わない。“生まれつきこう”ってごまかす。『ヴィーナス児』って言葉も、たぶん担任知らんと思う」
沙耶が少し笑って言うと、他の子たちも顔を見合わせて、苦笑い。
「それでさ、こないだ委員会で“うちがプリント配ります”って言ったら、“あっ、ごめんね”って止められた」
「あるある!」
萌が急に起き上がる。「わたしそれ、掃除当番の雑巾がけで言われた!“無理しなくていいよ”って!」
「“無理してないわ!”って言いたくなるやつ!」
沙耶が笑いながら足でクッションを投げる。萌がとっさに足で受け止めた。
「うちはさ、“それ、どこで買ったの?”って、義手してると絶対聞かれる」
「あるある!“海外製?ドイツ?”って勝手にブランド物みたいに言ってくる子もいた」
「“これ、うちの手やし!”って思うよね」
「ランドセルの時期って、義手の子はまだしも、義手なしだと“どうやって背負うの?”ってめっちゃ聞かれなかった?」
「うち、足で背負ってたよ。朝からプロ技披露してた感じ」
「毎朝がサーカス!」
「体育座り。両腕ないのにちゃんとバランス取れてると、“わたし意外とやれる…”って謎の誇り湧く」
「それある!」
「あと、“袖のある服着ると、肩だけ動いてるのちょっとかわいい”って妹に言われたことある」
「それ褒めてんの?ディスってんの?」
「どっちもじゃない?」
笑い声が止まらなくなって、しばらくのあいだ「ヴィーナス児あるある」が止まらなかった。
そして、ふっと沙耶が言った。
「でもさ、こうやって笑いながら言えるようになったのって、うちら成長したよね」
「前だったら、こういう話すらしんどかったかも」
「…そうかも」
「“ヴィーナス児でよかった”とはまだ言えんけど、でも、“ひとりじゃない”って思えるのは…ちょっとだけ救いかな」
誰もすぐには返事をしなかったけれど、空気はやわらかくて、深くて、少しだけあたたかかった。
「さぁて、明日もまた開脚あるんだけど?」
「それ、呪い」
「でもちょっと楽しみになってきたかも」
誰かが足で明かりを消した。
誰かの足が、誰かの足に触れた。でも誰もどけなかった。
蒜山の夜は静かに、更けていった。
