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【小説・ヴィーナス症候群】(38)義手発達史

「村内さんというと、私なんか、ンジャメナパラで金メダルを取った“疋田凛ちゃん”のイメージでした」

インタビュアーの言葉に、村内凛は微笑みながら答える。

「今はご結婚されて、水泳の指導にあたっておられるとのことで……第一線で活躍されている姿に、ずっと感動しています」

村内凛は少し照れたように微笑んだ。
アスンシオンパラリンピックで銀、ンジャメナパラリンピックで金。
原因不明のいわゆる「2サリドマイド事件」で生まれつき両腕がなく、パラ水泳を牽引した「ヴィーナス児」第1世代――疋田凛、その人である。

大会後に現役を引退し、同じンジャメナ大会で出場していた車椅子陸上の選手と結婚。
現在は都内で水泳の指導者として子どもたちに泳ぎを教えている。

「子どもの頃は、親に手伝ってもらってばっかりでした。義手も今とは比べものにならないくらい重くて、ぶつければ痛いし、思うように動かないし。
何かひとつできるたびに、すごく嬉しかったけど……そのぶん“できない自分”に向き合う日々でもありましたね」

カメラの前で、ゆっくりと義手を動かす凛の手には、今やそのぎこちなさはない。
関節の動きは滑らかで、自然だった。

「今はもう、生活に支障はないです。
でも逆に、“手で生活する”ことに違和感があるときもあって。
まだつい、足で物を拾おうとしたり、つまんだりしちゃうんです。
今の子たちは、“義手があるのが当たり前”という感覚で。
……そんなに年が離れてるわけじゃないのに、もう世代が違うって感じます」

その言葉には、時代の変化に取り残される切なさと、次の世代への希望の両方が滲んでいた。



番組は後半、「義手はどう進化してきたのか?」をテーマに、義肢メーカー「サイセイ義肢」を取材。

案内役として登場したのは、一人の若い女性――割出結菜。彼女もまたヴィーナス児で、現在は研究開発の現場で義手の着用モデルとして働いている。
企業でもCMでもなく、大学やメーカーの実験室で、プロトタイプの義手を装着し、その挙動や耐久性を確かめる――地味で、でも必要不可欠な仕事だ。


「この関節部分で……あ、えっと、そっちでぇー」

凛は結菜の言葉の中の何かに気づいた。

「あら、もしかして石川とかそっちのほう?」

「はい! 金沢です! えっと、凛さんは……」

「福井の敦賀」

「あっ、じゃあ関西ですね! 木ノ芽峠の向こうですから」

「……あら。北陸に入れてくれないのね」

二人は顔を見合わせて笑った。



工場内では、大小さまざまな義手のパーツが机に並べられていた。
筋電義手、装飾型、研究中の軽量多関節モデル。
そして、今の最大の課題――“小型化”。

「カーディガンどころか、長袖が着れないので、みんな袖を切っています。
私も、小学校の頃からずっと……冬でも袖なしとか。あれ、地味につらいんですよね」

結菜の言葉に、凛は頷いた。

「私の時代も同じ。服を“選ぶ”というより、“諦める”ことが多かった」

収録の合間、カメラが回っていない時間。
結菜はふと、思い出すように言った。

「小学校の頃なんて、義手がごつくて、“ロボットかよ”とか、“鉄人かよ”とか、男子にからかわれて泣いたこともあります。
でも……“人間なんだよ”って言いたくて、冬でもショートパンツとかミニスカートとか履いてました。
変な意地なんですけどね」

「……あなたみたいな可愛い子でも、そんなに苦労してたのね」

凛の目に、静かに涙が滲んだ。

世代も仕事も違う。でも、義手とともに歩いてきた道の上で、分かり合えるものがあった。



番組はゴールデン帯で放送され、「#義手発達史」「#ヴィーナス児の世代差」がSNSでトレンド入り。

《感動した》《知らなかった》《義手ってこんなに進化してるんだ》といった肯定的な声があった一方、

《お涙頂戴》《義手礼賛》《偏向的すぎる》という批判も目立った。

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