見出し画像

【小説・ヴィーナス症候群】(420)山あいの「校長先生」

第1章 幸せなら手をたたこう

帝都新聞の特集連載をまとめた書籍『怒りと悲しみと抵抗のミニスカート』には、
何十人もの「ヴィーナス児」たちの声が収められていた。(416

なかでも最も強い印象を残したのは、
「ロボットではなく生身の人間であることを示したくて、冬でもミニスカートで足を出した」
という一節だった。
その言葉が、タイトルの由来になったと編集者は語っている。

だが、その少し後ろに載った、地味で短い文章があった。
見出しも飾りもない、地方在住者の小さな声。

〈中部地方 バズ岬〉
小学校の音楽の時間に、「幸せなら手をたたこう」を歌いました。
私は生まれつき腕がなくて義手をしています。拍手をしないで歌っていたら、
クラスの男の子が「お前も拍手するんだよ!まじめにやれよ!」と怒鳴りました。
義手の私が拍手したらどんな音が鳴るかわかってるくせに。
みんながニヤニヤ笑いながら私をみていました。
先生は止めてくれませんでした。
あの時の教室の音が、いまも耳から離れません。
私は義手で、金属の音で拍手をしました。
その瞬間の大笑いの声が、十年以上経った今でも夢に出てきます。

その先生が、今はどこかの校長をしているそうです。
世の中は理不尽です。
私はいま、服を着ることを仕事にしています。
あの時よりも、ずっと堂々と人前に立てるようになりました。
でも本当は、あの日の私を助けてほしかった。

私の「怒り」は、たぶんあの時のままです。

――呼続芽衣。
東京でフリーの「トルソーさん」として活動するヴィーナス児の一人。
コルチカムの会のシンポジウムに出たこともあるが、
普段はあまり自分の過去を語らない。

その夜、芽衣は自宅のデスクにスマートフォンを伏せたまま、
義手の先を額に当てて長く息を吐いた。
「書かずにはいられなかった」と思う一方で、
胸の奥には鈍い痛みが残っていた。
画面の明かりが消えると、
十年前の教室の蛍光灯が、記憶の底でふっと灯った。

――白井先生。

拍手の音、笑い声、
そして「仕方ないの」と震えた声。
その全部がまだそこにあった。

芽衣はもう一度スマホを開き、検索窓に義手の指を滑らせた。
「白井多江子」

検索結果の一番上には、
愛知県北設楽郡三鼎村立三鼎小中学校――児童不在のため休校中、
という記事が出ていた。

サムネイルの写真には、
山あいの斜面に建つ白い平屋の校舎。
校庭に一本だけ桜があり、
枝の影が教室の窓にゆらいでいた。

芽衣は画面を見つめたまま、
息をするのを忘れていた。

第2章 三鼎村の校長

朝、谷を渡る風が、川の音を運んでくる。
薄い霧の向こうに、木造の白い校舎が静かに浮かんでいた。
山の学校の一日は、鳥の声とともに始まる。

「おはようございます」

ドアを開けると、子どもたちの声がいっせいに返ってきた。

「おはようございます、せんせい!」

白井多江子は微笑み、出席簿を開いた。
「みんな元気ね。じゃあ今日も、楽しく勉強しましょう」

窓からの光が床の木目を照らす。
チョークの粉が舞い、
黒板には丁寧な字で〈三鼎小学校〉、その下に〈四月六日〉と書かれていた。

「最初の時間は音楽です。
 “幸せなら手をたたこう”を歌いましょう」

子どもたちの歓声が上がる。
「やったー!」「せんせい、カスタネットある?」
「もちろん。みんな、リズムをそろえてね」

白井はオルガンの前に座り、ゆっくりと鍵盤を押した。
柔らかな音が教室を満たす。

♪幸せなら手をたたこう パン、パン

拍手の音が明るく重なり、
笑い声が揺れる。
窓の外では桜が咲き、風が花びらを舞わせていた。

「いいわね、みんな。とっても上手よ」
白井は頬をゆるめ、
一人ひとりの顔を見渡した。
ここには、泣く子も怒る子もいない。
誰もがやさしく、誰もが誇らしげに笑っている。

「では次に、作文の時間にしましょう。
 “春になったらやりたいこと”を書いてみてください」

子どもたちは机に向かい、鉛筆の音を立て始めた。
白井は静かに教卓に腰かけ、その音を聞いていた。
春の風のような音。
川のせせらぎのような音。
彼女は幸せを感じていた。

昼休みには、校庭の桜の下で弁当を開いた。
「せんせい、見て! 四つ葉のクローバー!」
「まあ、すごいじゃない」
小さな掌にのった緑の葉を受け取り、
白井はそっと笑った。
子どもたちは鬼ごっこを始め、
天竜川の水音と笑い声が溶け合った。

午後の授業。
黒板の前に立った白井は、もう一度言った。
「じゃあ、みんなで歌いましょう。
 “幸せなら手をたたこう”」

明るい声。軽やかな拍手。
教室が光に満ちていく。

そのとき――
廊下の向こうで足音がした。

戸が静かに開き、若い男の声がした。
「あ、あの、村民総会の案内、置いときますね」

風が吹き込み、カーテンがふわりと揺れた。
白井が振り向く。

教室は、静まり返っていた。
机の上には厚い埃。
花瓶の水は干上がり、
窓際のランドセルは色あせていた。
黒板の文字は、すでに白くかすれている。

子どもたちの姿はなかった。
拍手の音も、笑い声もなかったのだ。

男――役場の笠松陽は、一瞬立ち尽くした。

白井は微笑み、
「ありがとう。みんなに伝えておくわね」と穏やかに言った。

笠松はうなずき、何も言わずに教室を出た。



坂を下りる軽トラックの音が、谷にこだました。
笠松が村役場に戻ると、窓の外では桜の花びらが川面を流れていた。

「今日もまた、一人で“授業”してました」

村長は静かに頷き、
机の上の資料を閉じた。

「この十年、この村には学齢期の子どもがいない。
 村議会すらなくなって”村民総会”になってしまった。
 限界集落を通り越して”消滅可能性自治体”だ。
 愛知の中でも“そういう人”がここに一人、校長として送り込まれてくるのは確かだが……
 しかし痛々しいな」

机の上に郵便物が数通置かれている。
差出人の消印には「奥天竜局」とある。

三鼎村は行政上こそ愛知県に属するが、
郵便の集配は天竜川を越えた静岡県側から行われている。

豊橋や名古屋に出るには遠く、
最寄りの鉄道駅は長野県側の伊那落合駅――
県境を跨がねばどこへも行けない、
そんな地理の袋小路にある村だった。

村長は窓の外の山々を見つめた。
春の霞が谷を満たし、
天竜川の音だけがかすかに聞こえてくる。

「あの人も、本当は優しい先生だったんだろう。
 でも今の子供たちに対しては、それだけじゃやっていけないだろうからな…」

笠松は何も言わず、
机の上の封筒を整えた。

遠くで風が鳴った。
その音は、山の上の教室で誰かが拍手しているように聞こえた。

(了)

#AI小説 #小説 #ヴィーナス児 #ヴィーナス症候群 #近未来小説
#呼続芽衣

いいなと思ったら応援しよう!