人間の火を焚きなさい
山尾三省
人間は火を焚く動物だった
だから火を焚くことができれば
それでもう人間なんだ
火を焚きなさい
人間の火を焚きなさい
やがてお前たちが大きくなって
虚栄の市へと出かけて行き
必要なものと
必要でないものの見分けがつかなくなり
自分の価値を見失ってしまった時
きっとお前たちは思い出すだろう
すっぽりと夜につつまれて
オレンジ色の神秘の炎を見詰めた日々のことを
───
私たちが今生きている世界を、少し離れて眺めてみる。
そこには、保身や欲望に根ざした争いがあり、
損得や効率ばかりが、幅を利かせている。
人々は、次々に押し寄せる情報や刺激に追われ、
立ち止まって、自分の心を見つめる時間さえ失いかけている。
私自身も、そうだった。
がむしゃらに働いていた頃、
目の前の仕事をこなすことが、
そのまま自分の価値だと思い込んでいた時期がある。
何かを手に入れるたびに、次はもっとと思い、
何のために働いているのかを、本気で考えなかった。
山尾三省は、そうして人が本当に大切なものを
見失っていく場所を「虚栄の市」と呼んだ。
そこへ出かけて行き、
必要なものと必要でないものの
見分けがつかなくなったとき。
何を求めて生きているのか、
分からなくなったとき。
人はそこで初めて、
自分にとって本当に大切なものは何なのかを、
問い始めるのかもしれない。
あの頃の私に足りなかったのは、
手に入れたものの数ではなく、
何のために手を動かしているのかという、
ただそれだけの問いだった。
迷い、戸惑い、苦しみながら、
自分という井戸の底にある泉を探していく。
たとえば、何気なく味噌汁を作っているとき。
野菜を切る包丁の音や、鍋でお湯が沸く音だけが聞こえる中で、
ふと「ここに自分がいる」と感じる瞬間がある。
その感覚は、どこかほっとするようで、少しだけ切ない。
そこには、他人から与えられた価値ではない、
自分自身の泉が、静かに湧いているのかもしれない。
思えば、あの夜見つめていた炎も、
同じ泉から立ち上っていたのだろう。
静けさの中でふと自分に出会うという意味では、
台所の音も、闇の中の炎も、変わらない。
自分の火が消えそうになったとき、
私はいつも、あの夜のことを思い出す。
すっぽりと闇に包まれながら、
オレンジ色の神秘の炎を
ただ見詰めていた日々のことを。
争いが起きても、憎しみが芽生えても、
できるだけ心を閉ざさないようにしたい。
偽りや偏見がまかり通るときも、
自分の中だけは、誠実さを手放さないように。
誰かに勝つためでも、
誰かに認めてもらうためでもなく、
自分の中にあるものを失わないために、
私はこれからも、自分の火を焚き続けたい。
あの日見詰めたオレンジ色の炎は、今もまだ、
私の中で燃えているだろうか。
読んでいただき、ありがとうございます。🍇
