この自分を、生きよ──エマソン『自己信頼』を読む
「我々は逃亡し、自由を得る。
行き先が炎の中であっても。」
――ホッファー
自己信頼(Self-Reliance)
――エマソン
人は、自分の価値を知り、主体的に生きるべきではないだろうか。
世界は本来、自分が向き合うためにある。
それなのに、まるでもぐりの商人のように、のぞき見をし、盗みをはたらき、こそこそと歩き回って生きる必要があるのだろうか。
道を行き交う人々は、塔を建て、大理石の神像をつくり上げた力に相当する価値が、自分自身にも宿っていることに気づいていない。
だから壮大な建築や芸術を前にすると、自分は取るに足りない存在だと思ってしまう。
宮殿も、彫像も、高価な書物も、自分とは無縁の世界にあるもののように感じる。
まるで従者を従えた豪華な馬車の中から、
「どちら様かな」と、問いかけられているような
気分になる。
しかし、本当はそうではない。
それらは、所有する者だけのものではない。
萎縮した目にではなく、堂々と見る目に見いだされるために、そこにある。
宮殿も彫像も、私の視線を待っている。
一枚の絵は、私の評価を待っているのであって、絵が私を支配しているのではない。
何を感じ、どう受け止めるかは、私が決める。
エマソンは、こんな寓話を紹介している。
酔いつぶれて路上で眠っていた男が、公爵の館へ運ばれる。
身体を洗われ、立派な服を着せられ、公爵の寝室に寝かされる。
目を覚ますと、召使いたちは皆、彼を公爵として扱う。
やがて男自身も、「自分は公爵だったのだ」と信じるようになる。
この寓話が長く語り継がれてきたのは、人間という存在を見事に言い当てているからだろう。
私たちは、自分の本当の価値を忘れたまま生きている。
だが、ふと正気に返る瞬間がある。
そのとき気づく。
自分は誰かの代わりではない。
この世界に、ただ一人しかいない存在なのだと。
それは、誰かより優れているという意味ではない。
自分が引き受けているこの一日、この持ち場は、誰にも代わってもらえないという意味だ。
だから、塔や神像に気後れする必要はない。
それを生み出した力と同じ源が、自分の内にもある。
ただ、そのことをまだ思い出していないだけなのだ。
この世界に、自分は一人しかいない。
だから、この自分を、生きればいい。
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