音楽は、人を肯定する
──作曲を続ける理由がわからなくなった時、考えたこと
作曲家として生きていくには、技術を磨き続けなければならない。
自分を成長させるために、ひらすらに努力するし、
好きな音楽を作って、人に聴いてもらえることにも喜びがある。
でも、作曲を始めてからずっと、
「自分は何のために作曲を続けているんだろう」
という思いが、どこかに引っかかっていた。
目先の評価とか、得意だからとか。
そういう理由だけで続けている気がして、
音楽と、自分の価値観や人生観が繋がっていないような感じがして、
ずっとモヤモヤしていた。
自分が音楽を作る意味。
なぜ自分が作曲をするのか。
ちゃんと腹に落ちるような言葉が、なかなか見つからなかった。
だけど、ありがたいもので何年も考え続けていたら、
浅はかな自分でも、少しずつ整理がついてきた。
──こんなふうに考えるようになった。
自分が音楽から得ていたものって、何だろう?
音楽を聴くってつまり、
音に導かれて「かっこいいな」「美しいな」と感じる、
そういう感覚と一体になる体験をしていたよな?
そして、誰だって
「かっこよくありたい」「美しくありたい」と思っている。
だから、音楽で体験したその感覚を思い出して、
“かっこいい”自分として
“美しい”自分として
日々を生きてもらえたら嬉しい。
それは理想的な自分として生きようとする人の姿だから
それなら作ったこちらも、いくぶん気分がいい。
よし、自分の作曲する音楽はそのためにある。
──そう考えることにした。
何となく始まった音楽人生だったけど、
こう考えていたほうが、自分の気持ちの収まりがいい。
それ以来、ずっとこの感覚で続けている。
万人にとっての正解ではないかもしれないけど、
この考え方によって、少なくとも自分のモヤモヤは消えた。
この記事の下にある言葉は、
そんな気持ちを思い出すために、自分のために書いたものです。
最初の投稿なので、自己紹介としてもふさわしいと思う。
もしかしたら、誰かのヒントになることもあるかもしれない。
そんな思いで、ここに書いておきます。
音楽は人を肯定する。
何でもない私でなく、
かっこいい私として
ちっぽけな私でなく、
大きく生きる私として
音楽は人を肯定する。
大好きな音楽を聴くとき、
それは──
音を聴いているようでいて、
最高の自分を聴いている時です。
私は、その人の“最高”を肯定したい。
そんな音楽を、作りたいと思っています。
人には良いところも、悪いところもあるけれど、
自分は人の「良い部分」を見出して、肯定したい。
音楽を通して、そんなことをしていけたらと思っています。
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