大人は大人というだけで信じられる存在ではない。
子どもにとって、大人は大人というだけで「敬うべき存在」とか「絶対的存在」だと思っている部分がある。
自分が大人になってみると、決してそうではない事に気づく。
大人だって未熟な人間は沢山いて、完璧な人なんていない。
むしろ距離を置くべき大人も沢山いる。
四半世紀前の話。私が中学1年生だった頃。
学校の数学についていけなくなった私は親に頼み込んで、個別塾に行かせてもらうことにした。
そこでは2人~3人ほどの生徒に対し、先生が1人ついていた。
その塾で先生に言われた言葉を今でも覚えている。
「分からないところある?」
と聞かれ、考えたけれど出てこなかったので、
「分からないところが分からない。」
と答えた。すると先生は、
「分からないところが分からないんじゃ、こっちも教えようがない。」
と、突き放された。少し怒りの混じった言い方だった。言い放ってはどこかへ行ってしまった。
びっくりした私は、いけない事を言ってしまった気がして、無理矢理にでも分からない箇所を探した。そして先生を呼ぶ。
「ここが分かりません。」と告げて、必死に探した〈分からない問題〉を解説してもらった。
四半世紀もの昔の話を今でも覚えているのは、大人しくて先生に怒られることがないような子供だった私が、強い物言いに衝撃を受けて、とても悲しい思いをしたからだろう。
大人になってから考えると、落ち込むような出来事ではなかった事がわかる。
個別塾は、集団塾についていくのが不安だからこそ来ている子供が沢山いるところだ。
分からないところが分からないけど成績が振るわない、迷える子羊たちの救済所のような場だ。
分からないところを探してあげるのが先生だろう。
中学生が学校で授業を受けて、部活をして、その後に分からないところをノートに纏めて、先生に聞く体制を整えてから塾に行く義務がどこにあるのだ。
それも高い授業料を払って。
別にやる気がなくて「分からないところが分からない。」のではない。
全てを理解できてはいない事を自覚しつつも、本当に「分からないところが分からない。」のだ。
先生もただのアルバイト大学生だ。子供が子供に教えているのだ。
大人になれば理解できるけれど、当時の自分にはそれが分からなかったから素直に傷ついてしまった。
我が子たちは、大人からの言葉をどのように受け取るだろう。
受け取るべき言葉と、そうではない言葉を見分けることが出来るだろうか。
小学校高学年の娘は、母の昔話をどう感じるかが聞いてみたくなって、話してみた。
「昔、ママがね・・・こんなことあって悲しかったんだよね。」
と話すと、娘が言う。
「そんなの先生がおかしいよ。話の途中から先生が変だって思ったよ!そんなの傷つくところじゃないよ!!」
逞しい。私の心配は全く持って杞憂に過ぎなかった。
娘はいつの間にか、物事を客観的に、そして正しく見極める力をつけていたのかもしれない。
ただただ、〈大人は正しい。大人だから自分より凄い人なんだ。〉と思い込んでいた自分の子供の頃とは違うのだ。
母である私がすべきは、子供の力を信じることだけだと改めて思ったのだった。
