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地テシ:468 ドナ禁カフェ大阪学会と山形の思い出

 先日、無事に閉幕いたしましたプロジェクトKUTO-10「三大劇作家の世界大冒険」は大阪→山形→東京の三都市公演、しかも大阪稽古でしたので飛び飛びではありましたが約六週間の大阪滞在となりました。
 そしてやっと東京に戻ってきたと思ったら、また大阪ですよ!

おおさか東線の大阪駅なので次は西九条

 ちなみに、おおさか東線の大阪駅は大阪駅の北側の地下にあり、通称は「うめきた」。この路線は貨物線を転用した新線で、大阪駅から新大阪、南吹田と一旦北上してからグイッと南に向かい、鴫野・放出を経由して久宝寺まで繋がっています。路線図で見ると「へ」の字型をしている妙な路線ですよ。
 ですので、新大阪駅から南へ向かうと、淀川を越えた辺りから西へと曲がっていき、梅田手前から地下に入っていきました。特急はるかに乗れば京都方面から新大阪を経由して関西国際空港まで一本で行けるんですって。

 さて、なぜまた大阪に来たのかと言いますと、三年振りに「ドナインシタイン博士の禁断カフェ」「禁断のシンカロン」大阪学会に参加したんからですね。会場は中之島の「Art Beat Cafe」。朝日放送と堂島リバーフォーラムに挟まれた素敵なカフェでした。広いし新しいし綺麗だし見やすいし、スタッフさんもきちんとしていらして実に使いやすい会場でした。
 次は東京学会。下北沢の「演家(しとらや)」さんですが、実は以前から学会を開催してきた「風知空知」さんと同じ場所です。下北沢駅から例のゴチャゴチャしたメインストリートをミスタードーナツの方に向かって降りていって、五叉路に出るちょっと手前の左手にあります。ビルの4階なので見つけにくいですが、一階がアパレル店「シモキタGARAGE」さん(変わってなければ)でして、その横にあるエレベーターで上がってきて下さいね。


 さて、今年初旬の六都市行ったり来たりからまたしても大阪に行ったり来たりしている私ですが、だからエスカレーターの右に立つか左に立つかで混乱している私ですが、今回はKUTO-10山形公演について書きたいと思いますよ。二度目の山形県、初めての山形市。心配していた雪は街中ではもうすっかり消えておりましたが、朝晩はかなり冷え込みました。
 なにしろ初めての山形市ですから地理も歴史も不案内。しかし山形市出身の後藤ひろひとさんに山形市についての様々な歴史を教えて頂いたり案内して頂いたりしたので色々と納得しながら歩き回れましたよ。
 そんな膨大な山形市の街歩き写真の中からごく一部だけをご紹介していきましょうか。

 まずは山形駅ですか? 山形城ですか? いいえ! まずは関西国際空港からです! 初めての関空からです!

初めての関空には初めての南海電鉄ラピートで向かいました
関空ってやっぱり海の中にあるのね

 大阪から山形に行くには様々な方法が考えられますが、我々が取った移動手段は関西国際空港から飛行機で仙台空港へ、仙台駅へは仙台空港アクセス線で、仙台駅からは山交バスに乗って山形駅へと、飛行機→鉄道→バスというまるでトライアスロン三種競技のような大冒険でした。

仙台空港駅の顔ハメに入る長橋遼也くん

 その移動中にもね、色々とありましてね、バタバタとはしましたがまあ無事に山形について公演を行うことができましたよ。
 ここからは山形で撮った写真をズラッと並べていきますよ!

 まずは山形城跡にあるいくつかの施設から。山形城址には天守閣などは残っておらず、ていうか最上氏の山形城には元々天守は建てられていなかったそうですが、明治維新後には陸軍施設などが置かれていたようです。戦後は運動公園となっていたそうですが、現在では史跡公園である「霞城公園(かじょうこうえん)」として市民憩いの場となっています。その中には繁華街に建てられていた旧済生館病院本館(山形市郷土館)が移築されていたり、国宝も展示されている山形県立博物館があったりもします。

山形城址の大手は鍵型に曲がっています
擬洋風建築の名作である旧済生館本館
素敵な中庭。やはり病院に中庭があると和みますよね
二階へと上がる階段が複雑な形でした
広くて立派な山形県立博物館。見どころがいっぱいでした
山形県って左を向いた人が口を開けているように見えるよね
国宝展示室にはもちろん国宝が展示されています
こちらが国宝の「縄文の女神」
お堀沿いの鉄道って珍しいなと思ったけど東京の中央総武線もそうだった

 山形市で面白いのは、行政施設がお城の方ではなくて旧市街地の方に集まっているコト。県庁所在地では城址に行政が集まることが多いのです。でも、旧羽州街道がお城を迂回して城下町を突き抜けているため、そちらの方が発展したようです。
 その立派な旧県庁が今では山形県郷土館「文翔館」として公開されています。後藤さんが子供の頃には普通に県庁として使用されていたそうですが、新しい県庁へと業務が移転した後、以前に改築された部分を剥がしていくと創建当時の意匠が数多く発見されて、それを綺麗に補修してから公開されたそうです。
 ですから見どころも満載。大正時代の趣を間近で感じることができます。

大正五年から昭和五十年まで県庁として使われた文翔館
中央の大階段が県庁の重厚さを表しています
講堂に当たる「正庁」。壮麗にして清澄、ゴージャスにしてシリーン
こちらの中庭も美しいの。やっぱり中庭っていいよね

 旧羽州街道は現在は十日町とか七日町と言われるかつての繁華街なのですが、後藤さんが子供の頃には映画館などもたくさんあったりして、そりゃもう大いに賑わっていたそうです。ですが現在では駅前の方に人出が移ってしまったんですって。
 でもそのおかげで旧羽州街道沿いには古建築や街並みなどに旧街道の風情が残されています。先ほどの旧県庁=文翔館も旧羽州街道の曲がり角にありますし、済生館病院も羽州街道沿いにあったようです。
 特に、街なか情報館やお店として公開されている「山形まるごと館 紅の蔵」は、かつて山形の名産であった紅花(べにばな。染料の元になる)問屋の蔵や母家を改修して使用しているそうです。

綺麗に改修されていますが基本的には明治から昭和に掛けて建てられたものだそうです
母家とか蔵屋敷とか。今ではお店として再利用されています
羽州街道沿いにある吉池医院は大正元年竣工
第二公園には「鬼滅の刃」で話題になった蒸気機関車の同型が展示されていました
大王にお勧めされた「つる福」さんの冷やし肉そば。げそ天と共に
山形で見つけたメキシコ料理の「MUCHAS」さん。美味しかった!
山形のソウルフードである「ベタチョコ」はコッペパンにどっさりとチョコが掛かってます


 山形公演が無事に終わった翌日は東京への移動日。指定された山形新幹線がちょっとゆっくりのスケジュールだったため、ホテルをチェックアウトしてから電車までに時間がありました。さて、どうしましょうかね。
 昨年の劇団☆新感線「爆烈忠臣蔵」松本公演翌日の移動日に、松本市の北隣にある安曇野市に行った話は以前に書きましたよね。地方の大都市から在来線に乗ってちょっと移動するのが大好きなのです。今回も隣の街まで行ってみましょうか。ただ、注意しなければならないのは電車の本数が少ないこと。県庁所在地あたりでも一時間に一本しかないのは当たり前。帰りの新幹線に乗り遅れないように電車の時間を下調べしておくのは鉄則です。

 というワケで、山形市の北隣にある天童市に行ってみましょうか。将棋駒の街・天童。温泉とフルーツの街・天童。さて、どんなところでしょうか。大して調べもせずに行き当たりばったりで行ってみますよ。
 一時間に一本しかないからなのか、かなりの混み具合です。ところが山形線天童駅の手前にある天童南駅でほとんどの人が降りてしまいました。窓からは大きなイオンモールが見えます。どうやら天童市の繁華街は天童南にあるようですね。
 でも構いません。私は繁華街ではなく古い街並みに興味があるのです。天童駅が寂れているならむしろ好都合です。そして天童駅で降りてみたら駅前からしてこれ。

郵便ポストが将棋駒の形!

 いきなり将棋駒推しです。もう至る所に将棋駒。それもそのはず、天童市は日本の将棋駒の九割以上を製造しているのです。ていうか、そんなに需要があるのか、将棋駒。そっちの方が心配です。
 駅に併設されている「天童市将棋資料館」はお休みでしたが、それは予想通りです。だって月曜日だからね。駅からちょっと歩いて「天童織田の里資料館(天童市立旧東村山郡役所資料館)」にも行ってみましたが、こちらも休館日。ああそうさ。予想通りさ。

旧東村山郡役所は明治12年竣工

 そこからちょっと山を登って「建勲(たけいさお)神社」へ。ここは日本で初めて織田信長を祭神とした神社なんですって。え? 織田信長が祭神? しかも山形で? と疑問に思うのもごもっとも。私だって不思議でした。
 織田信長の次男である織田信雄は戦国の世を生き延びて徳川家の家臣となり、大名の一人として仕えます。その織田家は何度か移封され、幕末頃には天童市が領地だったのです。明治になって天童織田家の当主が天童藩知事となりました。そして明治政府に注進して許可を得、先祖である織田信長を祭神として建勲神社を建立したのです。なるほど。だから天童市に信長の神社があるんですね。

参道の石段がかなりの勾配でしかも長い

 建勲神社があるのは天童駅から15分程にある舞鶴山の中腹。山頂にはかつて天童氏が建てた天童城があったそうですが、なるほど小高い舞鶴山山頂に立てば山形盆地が一望できます。もちろん城址などは何も残っていませんが、その替わりに山頂付近には人間将棋の盤面があります。え? 人間将棋?
 天童市民や山形県民にはお馴染みなのだそうですが、毎年一月には舞鶴山で人間将棋が行われるとのこと。そうです。戦装束に身を包んだ物々しい人々が二手に分かれ、床几に座って対峙するのです。床几で将棋さ。その将棋を指すのは招聘されたプロの棋士。仮設された櫓の上から指示を出し、武将たちが駒となって移動して将棋を指すわけです。

周りの景色からこのスケール感が伝わりますでしょうか。デカい!

 なるほど。雄大な自然の中で、人間大の駒で将棋を指す。なんとも雄大です。気になる人は「天童 人間将棋」で検索してみて下さい。できれば動画も見て下さい。こりゃあ名物になるよね。

 その後、また在来線で山形駅に戻るワケですが、その途中の駅で山形新幹線とすれ違いました。そうです。山形新幹線は在来線である山形線の線路を走るのです。だから山形線の線路の幅はJR線の狭軌ではなく標準軌になっているんですよ。判ってはいてもちょっとビックリはしますよね、普通の路線を新幹線が走っているとさ。

北山形駅に停まっていた山形新幹線。単線だから駅で時間調整するのよ
天童駅のトイレには髪を染める人が出没するらしい
先ほどのお堀沿いの鉄道を、鉄道車内から

 あとはその山形新幹線で東京に戻るだけです。その車窓から、ネットで話題になった山形新名物である「田圃の中にいきなりタワマン」の写真を撮ったりしながら帰りました。山形市よりも標高の高い米沢市辺りでは街中にも雪が残っていたりしたので、同じ山形でも色々あるんだなあとか思いましたよ。

こちらがポツンと一軒家ならぬポツンとタワマンのスカイタワー41

 KUTO-10三都市公演を逆順で回想している最近。次回はさらに遡って大阪公演を書きましょう。とはいえ生まれ育った大阪の街ですから書くことはほとんど有りません。
 いや有ります! 有るんです! 生まれ育った街だからこそ書くことがあるんです。今回は久しぶりの長期大阪滞在、しかも時間に余裕のある滞在でした。となれば生まれ育った街を歩いてみたくなるのも当然でしょう。

 というような話を次回辺りに書いてみたいと思います。ではまた来週。