自分にセンスがあるとは思わない。ただ、違和感は放っておけない
センス
あなたの周りで、こういうことはいないだろうか
会議で、誰も反対しなかった。
全員が納得したように見えた。
なのに、三ヶ月後にプロジェクトが止まっていた。
飲み会で、「また集まろう」と言って別れた。
でも、その後誰も連絡しなかった。
「決まった」のに、動かない。
「仲がいい」のに、気づいたら疎遠になっていた。
なぜそうなるのか、わかるだろうか。
たぶん、最初からズレていたのだ。
その場の空気と、本音が。
言葉と、実態が。
そしてそのズレに、誰も気づかなかった。
あるいは、気づいていたのに、言えなかった。
自分は、そのズレがどうしても気になってしまう人間だ。
センスがあるわけじゃない。
器用なわけでもない。
ただ、引っかかりだけは、ずっと残る。
「お疲れさまでした」のあとに残るもの
会議が終わって、「お疲れさまでした」という声が部屋に広がる。
議事録には、決定事項がきれいに並んでいる。
次のアクションも、担当者の名前も、期日も書いてある。
でも、なんだろう。
席を立ちながら、どこかひっかかっている。
なぜ、決まったはずなのに、すっきりしないのか
思い返すと、心当たりがある。
会議中、誰かが「進めましょう」と言ったとき、他の人たちは賛成したわけじゃなかった。
ただ、黙っていた。
その沈黙が、合意として処理された。
責任者の名前は議事録に載っている。
でも、その人が「自分がやる」と言ったわけじゃない。
自然と名前が入っていた。本人も、たぶん気づいていない。
数字は説明されていたけれど、「そもそもその前提、合ってるのかな」という感覚が拭えない。
「競合他社の動向は?」
「去年と市場環境が変わってないか?」
そういう問いは、誰も口にしなかった。
こういうとき、なかなか言い出せない。
根拠があるわけじゃない。
誰かが明確に間違っているわけでもない。
ただ、何かが違う。
その感覚だけが、静かに残る。
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違和感は、なぜ言葉にしづらいのか
そもそも、なぜ違和感はその場で言えないのか。
理由は単純だ。言葉にならないから、だ。
「何かがおかしい」とは思っている。
でも「何が」と問われると、詰まる。
根拠がない。
数字もない。
ただの感覚だ。
それを会議の場で言うのは、難しい。
感覚のまま出しても、伝わらない
「なんか気になります」は、ただの反対意見に聞こえる。
場の空気を止める人間に見える。
だから、いったん飲み込む。
飲み込んで、構造で捉え直す。
何が決まっていて、何が決まっていないのか。
誰が本当に責任を持っていて、誰は名前だけなのか。
数字の前提は何で、それは今も成立しているのか。
言葉と行動が、ちゃんと一致しているのか。
感覚を、問いに変える。
問いを、観察に変える。
観察を、言葉に変える。
そうやって、違和感を「なんとなく」で終わらせず、論理として扱えるようになってきた。
そして後から、こう思うことがある。
あのときの違和感は、やっぱりここだったな、と。
あの会議で、誰も本気で動く気がなかったこと。
「とりあえず決めた感」が三ヶ月後の停滞につながったこと。
前提が甘かった数字が、半年後に現場を混乱させたこと。
小さかったズレが、時間をかけて形を変えて、表に出てくる
もっと早く言えばよかった、と思ったこともある
引っかかっていたのに、言えなかった。
おかしいと思っていたのに、根拠にしきれなかった。
「伝わらないだろうな」と思って、飲み込んだ。
その結果、後から問題が大きくなったことがあった。
だから気づいた。
行動しないと、情報は手に入らない。
担当者に直接聞いて、初めて「実は動く気がなかった」ことがわかった。
現場に足を運んで、初めて数字の前提が崩れていたことがわかった。
動いたからこそ、次の打ち手が生まれた。
違和感は、感じるだけでは何も変えない。
考えて、動いて、初めて情報になる。
その情報が、次の判断をつくる。
だから、違和感を軽く扱えなくなった。
面倒な感情じゃなくて、まだ形になっていない問題の入口かもしれない。
そう思うようになった。
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人間関係でも、同じことがある
仕事の話だけじゃない。
人との関係でも、同じ「ズレ」を感じることがある。
たとえば、久しぶりに会った友人と、いつも通りに話している。
話題も、笑うタイミングも、変わっていない。
でも、なんとなく、薄い。
前なら自然に出ていた「そういえばさ」の一言が、出てこない。
会話は続いているのに、どこか表面をなぞっている感じがする。
これって、気のせいなのか。
それとも、本当に何かが変わっているのか。
正直、どちらのこともある。
疲れていただけのこともある。
ただの思い込みだったこともある。
でも、こういうこともあった。
レスが少し遅くなった人がいた。
内容は変わっていない。
でも、前とどこか違う。
気にしないようにしていたら、半年後にその人との関係が、気づいたらずいぶん遠くなっていた。
あのとき、もう少し早く「最近どう?」と声をかけていたら、何かが違ったかもしれない。
違和感は、いつも正しいわけじゃない
だから、すぐに正解として扱ってはいけない。
感覚を、そのまま事実にしてはいけない。
違和感を理由に、誰かを決めつけてもいけない。
でも、無視していいものでもない。
まだ言葉になっていない変化かもしれない。
まだ誰も口にしていない、小さなすれ違いの始まりかもしれない。
センスではなく、見過ごせなさ。
そして、だからこそできること
センスがある人は、最初から正解を選べる。
直感で外さない。迷わず動ける。
自分にはそれができない。
だからこそ、別のやり方をとるようになった。
違和感を感じたとき、感覚で終わらせず、構造で捉える
何が決まっていて、何が決まっていないのか。
誰が本当に責任を持っていて、誰は名前だけなのか。
数字の前提は何で、それは今も成立しているのか。
言葉と行動が、ちゃんと一致しているのか。
そうやって分解していくと、
「なんとなくおかしい」
が
「ここがズレている」
に変わる。
そして、動く。
会議のあと、担当者に「本当に動けそうですか」と一言確認する。
現場に足を運んで、数字の前提が実態と合っているか確かめる。
「最近どう?」とただ声をかける。
その小さな一手が、新しい情報を連れてくる。
情報が、次の判断をつくる。
判断が、打ち手になる。
違和感は「感情」じゃなくて「情報」だ
まだ数字になっていない変化。
まだ言葉になっていない問題。
まだ誰も口にしていないリスク。
それを早めにキャッチして、構造で捉えて、動く。
それがビジネスにおいて、自分にできることだと思っている。
だから自分は、違和感を感じたとき、こう問うようにしている。
「これは、どこがズレているのか」
「確かめるために、何ができるか」
「動くとしたら、最初の一手は何か」
センスがあるとは思わない。
でも、見過ごさず、構造で捉え、動くことはできる。
その積み重ねが、違和感を打ち手に変えていく。
それが、自分にできることだと思っている。
会社が壊れた後に、どう打ち手を作ったのか。
その話はこちらに書きました。
『死ななかったから、打ち手は作れた』
同じように、会議や人間関係の中で「何か違う」と感じたことがある方は、スキやフォローで残してもらえると嬉しいです。
これからも、仕事や組織の中で見過ごされがちな違和感を、言葉にしていきます。
