言葉は全部ブーメランになって返ってくる
言葉のブーメラン
一番信用を失う社長は、間違える社長ではない。
自分の言葉を、自分で踏み抜く社長だ。
ある会社に、やたらと「人として」を多用するトップがいる。
会議でも、
朝礼でも、
面談でも、
ことあるごとに言う。
「人として大切なことがある」
「人としての品格を忘れるな」
「人として、それはどうなのか」
まるで倫理学の教授か、
道徳の教科書の編集長かと思うほどの熱量で、
部下たちに人間道を説いてまわる。
言っていることだけを切り取れば、たぶん正しい。
挨拶は大事だ。
誠実さは大事だ。
責任感は大事だ。
相手への敬意も大事だ。
問題は、その言葉があまりにもきれいな放物線を描いて、本人に返ってくることだ。
ブーメランの精度が、異常に高い。
「人として」の次のセンテンスが、
なぜか漫画ウシジマくんだった
不思議なことに、
「人として」と言った直後に出てくる言葉が、
いちばん人として遠いことがある。
丁寧さを説く。
でも、物言いは荒い。
敬意を説く。
でも、相手の事情は聞かない。
責任を説く。
でも、自分の判断については説明しない。
品格を説く。
でも、場の空気は一瞬で凍る。
漫画『闇金ウシジマくん』はフィクションだ。
でも、現実の会議室で似たような圧を浴びると笑えない。
ブーメランは現実の会議室ある
「人として」という言葉は便利だ。
相手を責めるときに使えば、自分が正義の側に立てる。
ただし、自分の振る舞いを点検しないまま使うと、その言葉は一瞬で凶器になる。
人として。
そう言いながら、
人としてどうなのかを一番問われているのが本人だったりする。
ここまでくると、
「人として」は教えではなく、
相手を黙らせるための芸に見えてくる。
本人にその自覚がない分、余計にたちが悪い。
挨拶を説く人が、挨拶をしない
そして翌朝。
「挨拶もできない人間は社会人としてどうなのか」
と説いた人が、廊下で社員とすれ違う。
社員は挨拶する。
でも、相手の視線は虚空のどこか遠くを見ている。
声はない。
会釈もない。
反応もない。
ただ、無である。
部下たちは今日も、見えない相手に挨拶を返している。
これは一度だけの話ではない。
こういう小さな場面が、会社の中に積み上がっていく。
誰かに強く言ったことを、本人は守らない。
人に求めた基準を、自分には適用しない。
その瞬間、社員は言い返さない。
でも、見ている。
かなり冷静に見ている。
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ブーメランは一本ではない
これが個人的な性格の話なら、まだ笑い話で済む。
誰にでも機嫌の悪い日はある。
誰にでも余裕のない瞬間はある。
経営者だって完璧ではない。
問題は、一度では終わらないことだ。
ブーメランは、量産される。
人には厳しく言う。
でも、自分は守らない。
現場には説明責任を求める。
でも、自分の判断には説明がない。
社員にはスピードを求める。
でも、自分の確認で止まる。
「責任を持て」と言う。
でも、責任を持つための権限は渡さない。
「報告が遅い」と言う。
でも、報告しても返事が遅い。
「もっと考えろ」と言う。
でも、考えた結果を持っていくと、最後は気分でひっくり返す。
「会社のために動け」と言う。
でも、社員から見ると、社長自身が一番会社ではなく自分を守っているように見える。
念のため言っておくと、本人はおそらくダブルスタンダードだとは思っていない。
ルールとは、作る側と守る側がいて初めて機能する
自分は作る側。
社員は守る側。
そういう前提なのだと思う。
なるほど、筋は通っている。
ただし、会社ではなく、かなり別ジャンルの世界観では。
社員は、笑っていない。採点している。
社長は、自分が社員を見ていると思っている。
でも実際には、社員も社長を見ている。
この人は、自分の言葉を守るのか。
都合が悪いときに逃げないか。
人に求めた基準を、自分にも適用するのか。
失敗したときに、誰のせいにするのか。
約束したことを、どれくらい覚えているのか。
社員は、かなり冷静に見ている。
口では何も言わない。
会議ではうなずく。
チャットでは「承知しました」と返す。
朝礼では神妙な顔をする。
でも、心の中では判断している。
この人の言葉は、どこまで信用していいのか。
そして一度、
「この人は自分に甘く、他人に厳しい」
と見られると、そこから言葉は届かなくなる。
正しいことを言っても、響かない
内容の前に、発信者への信用が落ちているからだ。
これは、かなり重い。
経営者の言葉は、正論であれば届くわけではない。
誰が言っているか。
その人自身が守っているか。
苦しいときにも同じ基準で動いているか。
そこまで含めて、社員は聞いている。
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現場は反発する前に白ける
「もっと主体的に動いてほしい」
そう言う前に、主体的に動いた人を潰していないか。
「責任感を持ってほしい」
そう言う前に、責任を持てるだけの権限を渡しているか。
「報連相を徹底してほしい」
そう言う前に、報告したくなる反応をしているか。
「数字にこだわってほしい」
そう言う前に、自分の意思決定を数字で説明しているか。
「会社目線で考えてほしい」
そう言う前に、自分自身が会社目線で判断しているか。
これを全部すっ飛ばして、社員にだけ高い基準を求めると、現場は白ける。
反発する人ばかりではない
むしろ、多くの人は黙る。
黙って、距離を取る。
黙って、期待しなくなる。
黙って、最低限だけやるようになる。
そして社長は言う。
「最近、みんな熱量がない」
違う。
熱量がないのではない。
熱量を向けるだけの信用が、もう残っていないのだ。
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社長の矛盾は、会社全体の矛盾になる
社長のダブルスタンダードは、社長個人の性格の問題で終わらない。
会社全体の文化になる。
上が守らないルールは、下も守らなくなる。
上が説明しない会社では、現場も説明しなくなる。
上が責任を曖昧にする会社では、責任の押し付け合いが起きる。
上が都合よく基準を変える会社では、現場も本音を隠すようになる。
経営者の矛盾は、組織にコピーされる。
社長だけが例外だと思っていても、社員はそう見ない。
「結局、この会社ではそういうことが許されるんだな」
そう解釈する。
だから、社長の言葉と行動のズレは重い。
一つひとつは小さく見える。
挨拶を返さない。
返事が遅い。
説明しない。
気分で変える。
責任だけ渡して、権限は渡さない。
でも積み重なると、組織の信用残高を削っていく。
そして信用残高が尽きたとき、社員は大声で反乱を起こすわけではない。
ただ、静かに期待しなくなる。
会社にとって一番怖いのは、怒っている社員ではない。
もう何も期待していない社員だ。
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最後に一つだけ
「人として」。
今日もどこかで、その言葉が美しい放物線を描いている。
たぶん本人は、正しいことを言っているつもりなのだと思う。
実際、言葉だけ見れば正しい。
でも、経営者の言葉は、正しさだけでは足りない。
自分にも適用されて、初めて組織に届く。
人は、言葉ではなく一貫性についていく。
社長の言葉が全部ブーメランになって返ってくる会社では、社員が冷めていくのは当然だ。
問題は、社員の熱量ではない。
信じる理由が、もう残っていないことだ。
言葉は、立場では届かない。
一貫性があって、初めて組織に届く。
同じように、言っていることとやっていることがズレた経営を見たことがある方は、スキで残しておいてください。
こういう会社の違和感を、これからも構造で言語化していきます。
会社が壊れた後に、どう打ち手を作ったのか。
その話はこちらに書きました。
『死ななかったから、打ち手は作れた』
