人は正しさではなく、自分の合理で動く
正しさは正解ではない
ビジネスで最も見誤ってはいけないのは、人は正しさだけでは動かないということだ。
会社にとって正しい。
数字上はやるべき。
経営として必要。
今やらなければ、確実に遅れる。
それでも、人は動かないことがある。
あるとき、施策を進めようとした。
経営としては必要だった。
数字を見ても、やるべきだった。
会議でも、大きな反対はなかった。
担当者も言った。
「必要性は理解しています」
それでも、動かなかった。
報告は遅れる。
確認が増える。
決めたはずの話が、また会議に戻ってくる。
やる意味は説明した。
優先順位も伝えた。
期限も置いた。
それでも進まない。
後になって分かったのは、その人にとって、動く合理性がなかったということだ。
施策が進んでも、
自分の評価が上がるわけではない。
負担が減るわけでもない。
むしろ責任だけが増える。
失敗すれば、自分の問題になる。
成功しても、会社の成果として処理される。
そうなれば、人は動かない。
正しさとは関係ない。
その人にとっては、動かない方が合理的だった。
別の場面もある。
長く会社にいる人間が、少しずつ会社を私物化していた。
ルールを曲げる。
境界線を越える。
本来なら確認すべきことを、自分の判断で進める。
周囲も違和感には気づいている。
でも、誰も止めない。
立場があるから。
関係が長いから。
波風を立てると、自分が損をするから。
こういう状態が続くと、組織は静かに冷めていく。
声を上げた人間が損をする。
黙っている人間が生き残る。
境界線を越えた人間が、何事もなかったように残り続ける。
それを見た人たちは、少しずつ判断する。
ここで本気を出しても意味がない。
正しいことを言っても、自分が面倒を抱えるだけだ。
会社のために動いても、守られるとは限らない。
組織が壊れるのは、一瞬ではない。
人が、じわじわと会社を信じなくなる。
この2つの場面に共通しているのは、問題が「人の質」ではなかったということだ。
動かなかった担当者は、無能だったわけではない。
動く理由より、動かない理由の方が大きかっただけだ。
黙認した組織も、全員が悪人だったわけではない。
声を上げた人間が損をする構造になっていただけだ。
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人は、精神論では動かない
構造で動く。
ただし、その構造は、人の本質を見ていないと作れない。
人の本質を見るとは、人を疑うことではない。
人は、自分が損をしそうな場面では、驚くほど合理的になる。
責任が曖昧なら、逃げる。
評価が曖昧なら、安全な行動を選ぶ。
守られないなら、踏み込まない。
咎められないなら、境界線を越える人間は出てくる。
これは性格の問題ではない。
設計の問題だ。
だから経営に必要なのは、正しいことを言うことだけではない。
責任範囲を明確にする。
動いた人が評価されるようにする。
声を上げた人が損をしないようにする。
境界線を越えた人間を、きちんと止める。
そこまで設計して、ようやく人は動き始める。
人の本質は、きれいな言葉の中には出ない
責任を負う場面。
損をしそうな場面。
評価が揺れる場面。
立場が危なくなる場面。
そういうときに出る。
そして、会社の本質も出る。
動いた人を守る会社なのか。
声を上げた人を孤立させる会社なのか。
境界線を越えた人間を、なあなあで済ませる会社なのか。
ビジネスで最後に残るのは、結局ここだと思う。
人は正しさだけでは動かない。
自分にとって、動く理由ができたときに動く。
だから経営は、その合理を設計しなければいけない。
会社が壊れた後に、どう打ち手を作ったのか。
その話はこちらに書きました。
『死ななかったから、打ち手は作れた』
人が動かない。
正しいことを言っているのに進まない。
声を上げる人から疲弊していく。
そういう違和感がある会社ほど、問題は人の性格ではなく、人がどう動くかの設計にあります。
あなたの会社でも、「正しいのに進まないこと」があるなら、そこには誰かにとっての合理が隠れているかもしれません。
似たような経験があれば、ぜひスキやコメントで教えてください。
