ボトムアップは経営の責任転嫁である
責任の所在
ボトムアップという言葉が、経営の逃げ道になっている会社がある。
現場の声を聞く。
社員に考えさせる。
みんなで決める。
主体的に動く組織にする。
言葉だけ見れば、きれいに見える。
でも、実際には違うことがある。
経営が決めるべきことを決めず、現場に考えさせる。
判断基準を渡さず、社員に意見を求める。
権限を渡さず、責任だけを求める。
最後の責任を取らないまま、「みんなで決めたこと」にする。
これはボトムアップではない。
経営の責任転嫁である。
最初に整理しておく
ボトムアップそのものが悪いわけではない。
数字に出る前の異変は、現場が先に感じる。
顧客に近い人の違和感は、会議室には上がってこない。
経営だけで見えないものを、現場は見ている。
だから、現場から情報が上がる組織は強い。
でも、それと「現場に決めさせること」は違う。
現場に決めさせたことにして、経営が責任を逃れることは、まったく別物である。
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ボトムアップとトップダウンは対立しない
それぞれに役割がある。
トップダウンの役割は、経営が決めることだ。
会社の方向性。
優先順位。
撤退判断。
投資判断。
守るべき基準。
これは経営がやるべき仕事である。
ボトムアップの役割は、現場が事実を上げることだ。
顧客の反応。
運用の無理。
数字の違和感。
組織の疲弊。
経営判断がズレていないかを知らせる材料。
つまりボトムアップとは、経営が判断するための材料を上げる仕組みである。
経営の判断責任を現場に移す仕組みではない
ここを間違えると、会社は一気におかしくなる。
経営がこの責任から逃げる会社では、こういうことが起きる。
現場は意見を出す。
幹部は議論する。
ワークショップを開く。
アンケートを取る。
でも、肝心の経営は決めない。
何を優先するのかが決まらない。
失敗したときに誰が責任を持つのかが曖昧なまま進む。
そして結果が悪くなると、経営は言う。
「みんなで決めたよね」
「なぜ実行しきれなかったのか」
「もっと主体性を持ってほしい」
違う。
それは、みんなで決めたのではない。
経営が決めなかっただけだ。
現場からすればたまったものではない
考えろと言われる。
でも、決める権限はない。
責任を持てと言われる。
でも、最後に覆される。
みんなで決めたと言われる。
でも、本当に決めた覚えはない。
人は、責任だけ渡されると疲弊する。
権限と基準があって、初めて責任を持てる。
それがないまま「ボトムアップで」と言われても、現場は困るだけだ。
困るだけではない。
だんだん冷める。
どうせ最後は上が決める。
どうせ責任だけ下に来る。
どうせ失敗したら現場のせいになる。
この諦めが、会社を静かに壊していく。
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本当のボトムアップとは何か
現場の声を拾う。
事実を受け止める。
判断材料にする。
そのうえで、
経営が決める。
決めた以上、経営が責任を持つ。
これだけだ。
シンプルだが、これができている会社は少ない。
任せるなら、信じろ。
信じないなら、決めろ。
決めたなら、責任を取れ。
会社が壊れるのは、トップダウンだからではない。
ボトムアップだからでもない。
決めるべき人が、決める責任を取っていないから壊れる。
トップダウンでも、経営が責任を取っていれば会社は進む。
ボトムアップでも、経営が責任を取っていなければ会社は止まる。
問題は形ではない。
経営が最後に責任を取っているかどうかだ。
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現場にいる人たちに言いたい
「みんなで決めた」と言われるたびに感じた違和感。
考えても通らない、意見を出しても潰される、その繰り返しの中で感じた理不尽さ。
それは正しい。
あなたたちの感覚は、ずっと正しかった。
だから、現場が感じていた怒りは、単なる不満ではなかった。
責任の所在がすり替えられていたことへの、まともな反応だった。
現場が足りなかったのではない。
経営が決めなかった。
経営が責任を取らなかった。
ただ、それだけだった。
会社が壊れた後に、どう打ち手を作ったのか。
その話はこちらに書きました。
『死ななかったから、打ち手は作れた』
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